ライラック祭りの札幌


第二次世界大戦以降の日本における最大の危機(その2)

彷徨する日本

 ポスト3.11を未だ考えられる余裕の無い日本。政治は、もはや頼りがいを無くしている。頼りがいが無くなったのであって、頼るべきは政治であることに変わりは無い。しかしながら、国レベルにおいても、地方自治体レベルにおいても、特に原発事故直下地域の政治的な指導は「棄民」にさえ向かっているように思える。
 noriは3月で仕事を辞めたが、3.11直後から、子供が危ないことを理解していた。理解しているだけで、何も現実にはできなかった。しなかったともいえる。職場でそれを語っても、本来一番専門家に近い人たちでさえ、理解できていなかった。日本では原爆を経験しているから、その事故の作用は光と同義に考えていた。チェルノブイリ原子力発電所の事故で明らかなのは、風の作用、ちょうど黄砂のような風の作用であると言うことを理解している人はいなかった。
 県も国も当初から理解していながら、どうもそれらは隠蔽していたように報道では明らかになりつつある。こうした人々が政治を担っている現実は恐ろしい。恐ろしいとしか言いようが無い。大本営発表を繰り返すだけの報道は、早く改善してもらいたい。
 大本営発表と書いたが、これも既にnoriは3月15日頃には使っていた。素人目にも報道はおかしかった。しかし、ある意味もっと恐ろしいものを最近目にした。日本人自体の行動パターンも、半世紀以上経過しても変わっていないという感じだ。「がんばれ東北、がんばろう日本」は未だ許せる。まぁ事実そうせざるを得ない。しかしながら、「守ろう節電」は、絶句した。もちろん節電に協力せざるを得ない。そして政府も生活者に対しても、協力を求めている。これはまだ理解できる。しかしこの標語は、節電しない人間は非国民・・・という考えが底流にある気がする。
 とはいえ、ようやく分かってきたのは、noriがこれも働いているうちから言ってきたことだが、経済を回せ!それが第1!ということが、理解され始めて来たように思う。しかしながら、その現実はどうなのだろう。さきに、石和旅行で、経済は底流では流れ始めていると書いたが、実はその動きはかなり鈍いと今回思った。


いつもにまして、春の遅い北海道

hokkaido1105 1137 27 1542.jpg 掲げた写真は、ANAの機内誌「翼の王国」の一部を撮影したものだ。実は我々は札幌旅行の前にハンガリーに行ったのだが、ハンガリーで今回の旅のチケット予約というか、座席指定をした。その際に分かっていたことと言うか、我々が指定した座席は往復とも二階席窓側であった。ANA国内線で二階席を持つのは、747-400Dという機種だけのように思える。
 しかし実際に我々が復路乗ったのは、その右に書かれている737-800という機種であった。実際に我々は往路も復路も二階席の無い機種に乗った。どうかクリックすると写真は拡大するので見てもらいたいが、747-400Dは565人乗りで、737-800の方はと言えば167~176人乗りである。つまりは、座席数がわずか1/3の期待に変更されて運行されたのだ。ハンガリーから偶然にも無料のネットが使えたからよいものの、これが有料のネット利用だったら、さぞや腹が立ったことだろうと思う。
 まぁそれは個人的な話だが、これじたいはANAの企業努力と評価できるだろうけれども、要するに観光業を含めた人の往来が従前からすれば1/3に落ち込んでしまっていることをこのことは示しているように思う。リタイヤ-組の我々というか我が家にとっては、もはや以前のように、日経新聞を読むことも無くなったわけだが、それでも垣間見られるこの現実は、少し背筋の寒くなる思いがした。
 今ひとつ言えば、北海道内の旅行会社によるツアーを申し込んでいたのだが、今回直前でツアーキャンセルにあった。その日があいたので、さして当ても無い旅だったので、手っ取り早く定期観光バスに乗り込んだ。定期観光バスは、一人でも乗客がいれば運行するルールになって?いる。で、どうだったかと言えば4人での催行だった。
 観光客は大通公園(札幌中心地)でも、まばらだった。以前でも北海道の景気はあまりよくなかったのだが、追い打ちをかけられている感じがした。
 ライラック祭り目当てに出かけた旅であったが、そして例年ならライラックがそろそろ終わりの時期にさしかかっている頃であるはずなのに、今年はまだチラホラ咲き始めているという状況。今年の北海道は、季節的にも春が遅い年となった。