3.5月14日(月) 関西へ第三日目
ホテル発(0820)橿原神宮:レンタサイクル(0919~1340)当麻寺(1434~1700)夕食(1905~2010)ホテル着(2030)
3-2-1 甘樫丘(0933~0958)
地図で行き先を確認してから出発です。
始めに向かったのは、甘樫丘。200mの丘。入り口に自転車を置いて、少し上ります。頂上からは大和三山が見渡せます。ここは初めて来ました。
大和三山というのは、右から天香久山(標高139.7m)、耳成山(標高152.4m)、畝傍山(標高199.2m)のなだらかな3つの山を言います。さほどの高さはありませんが、周りは畑になっているところにポツンとあるので、すぐに分かります。
昔の人がこれらを見て歌を詠みました。
「香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より かくにあるらし古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を あらそふらしき」(中大兄皇子)
「春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香久山」(持統天皇)
「耳無の 山のくちなし 得てしがな おもひの色の 下染(したぞめ)にせむ」(詠み人しらず)
「玉たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原(かしはら)の ひじりの御代(みよ)ゆ 生(あ)れましし 神のことし・・・(後略)」(柿本人麻呂 1-29)
麓を飛鳥川が流れています。ゆったりとしたときが流れているようです。noriは将来日本国内しか歩けなくなったら、日本史の現場というサイトを作ろうと思っているので、盛んにシャッターを切っていました。
この後は、飛鳥寺の方へ行ってみようと思います。
3-2-3 飛鳥寺(1038~1108)
元興寺跡、今は安居院。日本最初の丈六金銅仏飛鳥大仏があります。が、銅が盗まれたり補修がなされたりしたせいなのか、国宝どころが重文にも指定されていないのが不思議です。まあ、止利仏師作と言っても、殆ど残っていないのが現状ですから、そんな影響でしょうか。と言っても、その時代の流れに翻弄された歴史はしっかりとあるはずなのです。じっと見ていると寺の人が来て説明をしてくれました。顔は、少し右を向いていますが、「右斜めから見ると厳しく見え、左斜めから見るとやさしく見える」そうです。写真を撮ってくださいといいますので、遠慮無く撮らせて頂きました。(ここは昔から写真OKで、今も変わりませんでした。)
小学生の団体も来ていましたが、丁度出てきたところだったので、静かに見ることが出来ました。
それから、外へ出て蘇我入鹿の首塚を見に行きます。この寺を作った蘇我馬子の孫ですね。以前はもう少し荒れた原っぱの中にあったような気がしたのですが、今は綺麗に整備されて、悲壮感というか哀れみは以前ほどには感じられなくなってしまっていたのが残念です。
帰り際に、当時の蘇を再現して作っていたので、味見をした後に買ってきました。
3-2-4 酒船石(1118~1133
自転車を置いて、ここも少し上って行きます。上り始めてすぐの所に、平成4年に発見されたという石垣がありました。未だにこうした発掘が行われ、発見されると言うことに驚きました。ローマと同じように、掘れば何かが出てくるという土地なのでしょう。
更に狭い道を先に上って行ったnoriが立ち止まっています。どうしたのかと思ったら、道に蛇が横たわっています。そこでjunがそばにあった石を持って追い払い、無事に石の所まで行くことが出来ました。
石の大きさとそれに掘られた溝は製油用とも製酒用とも言われ、未だにはっきりと解明されていないという不思議な石です。
竹が影を作ってあまりいい写真は撮れませんでした。
3-2-6 岡寺(1155~1238)
ここは自転車で行くのはきつい坂が続いています。電動自転車やギア付き自転車に慣れているので、普通の自転車をこぐのは大変です。途中からは押して進んでいきました。
この頃になると気温も上がってきましたので、ボーッとしたjunは大事なバッグを自転車に置きっ放しにしてしまって、noriにとって来てもらいました。
大きな門をくぐって境内に入りました。ツツジが見頃でした。まず鐘楼に目を付け、自由についても構わないというので、お布施をしてから交代に付きました。なかなかいい音が出ました。
それから伝説になっている、暴れる龍を僧が押さえて閉じ込めたという池と石を見ながら本堂にお参りしました。
その後三重の塔の所へ行きました。ここからは下の様子がよく見えました。高いところまで苦労して上ってきた甲斐がありました。
下りも急な坂なので、気をつけながら下りていきました。
3-2-7 石舞台(1252~1312)
横穴式石室としては最大のもの。飛鳥観光には外せない場所です。蘇我馬子の墓と推定されています。飛鳥寺を作った人です。上にかけられていた盛り土がなくなってしまって石が露出している状態です。
これがどうやって作られたのかは、偶然ですが、水落遺跡の資料館で映像を見ていたので、役に立ちました。
周りには小学生の団体が二つも来ていて賑やかでしたが、この遺跡の中には入ってこなかったのでゆっくり見ることが出来ました。でも、そのうちの一つの団体は、柵の外から先生が説明をしていました。
近くには石棺の複製品も置かれていました。
3-3-3 お練り
ようやく始まったのは、16時少し前。なるほど、パンフレットに16時頃と書かれていたのがこれで分かりました。
始めに本堂(極楽浄土)の方から、僧と2人の稚児に先導されて、輿に乗せられた中将姫の像が進んでいきました。次に、逆方向から僧の一弾がやってきます。多分お迎えの列なのでしょうか
しばらくして母親に手を引かれた稚児行列が来ます。子供以上に母親にとっての晴れ舞台なのでは無いかと思います。子供の表情と母親の表情を見比べてみると面白いです。その後ろに楽隊、僧の行列などが続きます。僧正というのでしょうか、偉い人は着ているのも立派です。中将姫でしょうか、そのような女性が織り込まれているものや曼荼羅模様らしき衣装も見られました。
3-4 夕食:やまと(1905~2010)
昨日も来たのですが、混んでいて入れなかったのでまた挑戦です。今日は時間がたっぷりあるのでいつまでも待つつもりで並びましたが案外簡単に入ることが出来ました。
ここでは車エビの踊りを食べたかったのですが、前の人が頼んで終了となってしまいました。残念、と思って見ていたのですが、出てきたエビを見てややガッカリでした。騒いで頼むほどのことはないという程度の大きさだったからです。
ビールの後日本酒にしました。溢れんばかりに注いでくれるのが魅力です。始めて食べた明石焼きが美味しかったです。
3-5 ホテル着(2030)
いい気持ちになってホテルに戻りました。明日はいよいよ葵祭ですが、天気予報は芳しくありません。
明日の朝6時には分かるようですので、天にも祈る気持ちで床につきました。