平成24年5月13日(日) 関西へ第三日目

3.5月14日(月) 関西へ第三日目

ホテル発(0820)橿原神宮:レンタサイクル(0919~1340)当麻寺(1434~1700)夕食(1905~2010)ホテル着(2030)



3-1 朝

 今日はいいお天気です。レンタサイクルで飛鳥巡りをしようと言うことになりました。
 朝食のメニューは最低限確保されています。そこそこ満足できる内容です。



kansai12spring_0387 14 0743.jpgホテル正面
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3-2 レンタサイクル(0919~1340)

ホテル発(0820)

 ところで今回も「スルッとKANSAI」の3dayチケットを利用しました。これは三日間で関西圏の私鉄バスの殆どが乗り降り自由なので、橿原神宮までも梅田から切符一つで来ることができます。
 橿原神宮前のレンタサイクル店で自転車を借りました。ここもクーポンが使えたからです。2時くらいには戻るつもりです。
 係の人が詳しく周りの様子を説明してくれました。



kansai12spring_0390 14 0912.jpgしっかり説明を受けました

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3-2-1 甘樫丘(0933~0958)

 地図で行き先を確認してから出発です。
 始めに向かったのは、甘樫丘。200mの丘。入り口に自転車を置いて、少し上ります。頂上からは大和三山が見渡せます。ここは初めて来ました。
 大和三山というのは、右から天香久山(標高139.7m)、耳成山(標高152.4m)、畝傍山(標高199.2m)のなだらかな3つの山を言います。さほどの高さはありませんが、周りは畑になっているところにポツンとあるので、すぐに分かります。
 昔の人がこれらを見て歌を詠みました。

「香具山は  畝火ををしと 耳梨と  相あらそひき 神代より かくにあるらし古昔(いにしへ)も  然(しか)にあれこそ うつせみも  嬬(つま)を あらそふらしき」(中大兄皇子)
「春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香久山」(持統天皇)
「耳無の 山のくちなし 得てしがな おもひの色の 下染(したぞめ)にせむ」(詠み人しらず)
「玉たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原(かしはら)の ひじりの御代(みよ)ゆ 生(あ)れましし 神のことし・・・(後略)」(柿本人麻呂 1-29)

 麓を飛鳥川が流れています。ゆったりとしたときが流れているようです。noriは将来日本国内しか歩けなくなったら、日本史の現場というサイトを作ろうと思っているので、盛んにシャッターを切っていました。
 この後は、飛鳥寺の方へ行ってみようと思います。



kansai12spring_0416 14 0949.jpg京都地下鉄京都駅
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3-2-2 水落遺跡(1014~1032)

 巨大水時計の遺跡のようです。漏刻の元祖?遺跡の近くには何の説明もありませんでしたので、そばにある資料館へ行ってみました。が、ここには石舞台やキトラ古墳の解説はあっても、水落遺跡については全く触れられていませんでした。レンタサイクルでもらったパンフレットに何も書いていないというかわいそうな遺跡です。
 そうそう、この資料館にあるキトラ古墳の壁画の中にも、玄武を見つけました。



kansai12spring_0423 14 1014.jpg見学する人もなし
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3-2-3 飛鳥寺(1038~1108)

 元興寺跡、今は安居院。日本最初の丈六金銅仏飛鳥大仏があります。が、銅が盗まれたり補修がなされたりしたせいなのか、国宝どころが重文にも指定されていないのが不思議です。まあ、止利仏師作と言っても、殆ど残っていないのが現状ですから、そんな影響でしょうか。と言っても、その時代の流れに翻弄された歴史はしっかりとあるはずなのです。じっと見ていると寺の人が来て説明をしてくれました。顔は、少し右を向いていますが、「右斜めから見ると厳しく見え、左斜めから見るとやさしく見える」そうです。写真を撮ってくださいといいますので、遠慮無く撮らせて頂きました。(ここは昔から写真OKで、今も変わりませんでした。)
 小学生の団体も来ていましたが、丁度出てきたところだったので、静かに見ることが出来ました。
 それから、外へ出て蘇我入鹿の首塚を見に行きます。この寺を作った蘇我馬子の孫ですね。以前はもう少し荒れた原っぱの中にあったような気がしたのですが、今は綺麗に整備されて、悲壮感というか哀れみは以前ほどには感じられなくなってしまっていたのが残念です。
 帰り際に、当時の蘇を再現して作っていたので、味見をした後に買ってきました。 



kansai12spring_0429 14 1038.jpg飛鳥大仏を安置する通商飛鳥寺
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3-2-4 酒船石(1118~1133

 自転車を置いて、ここも少し上って行きます。上り始めてすぐの所に、平成4年に発見されたという石垣がありました。未だにこうした発掘が行われ、発見されると言うことに驚きました。ローマと同じように、掘れば何かが出てくるという土地なのでしょう。
 更に狭い道を先に上って行ったnoriが立ち止まっています。どうしたのかと思ったら、道に蛇が横たわっています。そこでjunがそばにあった石を持って追い払い、無事に石の所まで行くことが出来ました。
 石の大きさとそれに掘られた溝は製油用とも製酒用とも言われ、未だにはっきりと解明されていないという不思議な石です。
 竹が影を作ってあまりいい写真は撮れませんでした。



kansai12spring_0474 14 1124.jpg新たに発見された石垣
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3-2-5 伝板蓋宮跡(1139~1145)

 まだ発掘が完全になされていないということですが、大化の改新の舞台となったところです。ここで蘇我入鹿が殺されたといいます。ここから飛鳥寺まで首が飛んでいったという訳ですか。



kansai12spring_0494 14 1140.jpg広大な土地が広がる

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3-2-6 岡寺(1155~1238)

 ここは自転車で行くのはきつい坂が続いています。電動自転車やギア付き自転車に慣れているので、普通の自転車をこぐのは大変です。途中からは押して進んでいきました。
 この頃になると気温も上がってきましたので、ボーッとしたjunは大事なバッグを自転車に置きっ放しにしてしまって、noriにとって来てもらいました。
 大きな門をくぐって境内に入りました。ツツジが見頃でした。まず鐘楼に目を付け、自由についても構わないというので、お布施をしてから交代に付きました。なかなかいい音が出ました。
 それから伝説になっている、暴れる龍を僧が押さえて閉じ込めたという池と石を見ながら本堂にお参りしました。
 その後三重の塔の所へ行きました。ここからは下の様子がよく見えました。高いところまで苦労して上ってきた甲斐がありました。
 下りも急な坂なので、気をつけながら下りていきました。



kansai12spring_0502 14 1158.jpg正面入口山門
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3-2-7 石舞台(1252~1312)

 横穴式石室としては最大のもの。飛鳥観光には外せない場所です。蘇我馬子の墓と推定されています。飛鳥寺を作った人です。上にかけられていた盛り土がなくなってしまって石が露出している状態です。
 これがどうやって作られたのかは、偶然ですが、水落遺跡の資料館で映像を見ていたので、役に立ちました。
 周りには小学生の団体が二つも来ていて賑やかでしたが、この遺跡の中には入ってこなかったのでゆっくり見ることが出来ました。でも、そのうちの一つの団体は、柵の外から先生が説明をしていました。
 近くには石棺の複製品も置かれていました。



kansai12spring_0538 14 1259.jpg人も石も堂々たるものだ
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3-2-8 川原寺跡(1322)

 板蓋宮が焼け落ちた後、帝が川原宮に遷られ、その宮跡に川原寺が建てられたといいます。以前に比べて寺前の雑草がかなり伸びていました。
 ここは写真だけ撮って、駅へ向かいました。教えられたとおり、車の道を避けるようにして戻りました。ほぼ予定の時間に戻ることが出来ました。
 その後の移動の時間がもったいないので、コンビニでお弁当を買って電車の中で食べました。それほど混んでいなかったので出来た芸当です。



kansai12spring_0563 14 1321.jpgさっと遠望しただけでした
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3-3 当麻寺(1434~1700)

 「この當麻曼荼羅は中将姫が一夜で織りなした伝説とともに全国的に広まり、多くの参詣者を迎えて浄土信仰の霊場として栄えました。
 5月14日は、中将姫の命日。中将姫は當麻曼陀羅を織り上げた後、29歳で生身のまま極楽浄土へ往生されました。その様相をそのまま現したものが練供養です。
 当日は長い掛け橋が渡され、極楽浄土から二十五菩薩に扮した人たちが、娑婆堂に進み中将姫を蓮台に乗せて浄土へ導く、来迎引接のさまを演劇的にあらわした古い宗教行事です。(以上葛城市HP)」
・・・と、つまりこのお練りを見に来ました。



kansai12spring_0574 14 1434.jpg当麻寺山門

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3-3-1 賑わい

 始まるのは、16時頃となっていましたので、それに間に合うように行きました。駅から行列が出来るほどの人出でしたので、正直驚きました。途中から道の両側には露店が並び、子供達で賑わっていました。それにしても子供の数が多いのには驚きました。後で聞くと、地元の学校は半ドンなのだそうです。



kansai12spring_0575 14 1435.jpg子供達の姿も多く見られた

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3-3-2 練習

 架け橋は、本堂の方から下るように少し斜めに設置されています。そこを確認するかのように人が何度か往復していましたので、どこから写真を撮るかを練習したりして場所を探しました。
 さすがにこの周辺には店はありませんので、人はまだまばらでした。適当な場所を探してしばらくうろうろしてから、塔頭の一つの入り口の所に陣取ることにしました。
 次第に人が多くなり、架け橋の周りは人で埋まってきました。



kansai12spring_0581 14 1441.jpg念入りにチェック?
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3-3-3 お練り

 ようやく始まったのは、16時少し前。なるほど、パンフレットに16時頃と書かれていたのがこれで分かりました。
 始めに本堂(極楽浄土)の方から、僧と2人の稚児に先導されて、輿に乗せられた中将姫の像が進んでいきました。次に、逆方向から僧の一弾がやってきます。多分お迎えの列なのでしょうか 
 しばらくして母親に手を引かれた稚児行列が来ます。子供以上に母親にとっての晴れ舞台なのでは無いかと思います。子供の表情と母親の表情を見比べてみると面白いです。その後ろに楽隊、僧の行列などが続きます。僧正というのでしょうか、偉い人は着ているのも立派です。中将姫でしょうか、そのような女性が織り込まれているものや曼荼羅模様らしき衣装も見られました。



kansai12spring_0599 14 1553.jpgお練りの先頭
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3-3-4 25菩薩

 それから25菩薩の登場となります。皆手を引かれています。お面をかぶっているので前が見えないのかも知れません。その表情は無表情といえるような物で、不気味な感じさえしました。まあ、菩薩様ですから愛嬌を振りまくのもどうかと思いますが、それにしてももう少し神々しさが欲しい、などと思ってしまいます。
 ただ、言ってみればこれはまだ露払い。



kansai12spring_0659 14 1623.jpg手を引かれて・・・
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3-3-5 三菩薩

 最後に、蓮台を掲げた「観音菩薩」、合掌をしている「勢至菩薩」、天蓋を持った「普賢菩薩」と3菩薩が歩いて行きました。このときに「観音菩薩」は蓮台を左右に捧げてはすくい上げるという所作をしながらゆっくりと歩んでいきますので、「スクイボトケ」とも呼ばれるそうです。「勢至菩薩」も同じように合掌したまま左右に身体をくねらせるので「オガミボトケ」というのだそうです。これはかなりの重労働だろうと思いました。
娑婆堂で、観音菩薩の蓮台に中将姫を乗せて、また元の道を戻っていきます。



kansai12spring_0721 14 1635.jpg補助がないのに堂々としたものです
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3-3-6 終わり

 これが約1時間。我々は最後まで見届けましたが、行きだけを見て帰る人が結構多かったです。まあ、混雑を避けたいと言うこともあるのでしょう。
 我々が帰ろうとしたときに、この塔頭の女将さんがいて、娑婆堂での中将姫の引き渡しを見ましたか?と聞かれましたが、とてもそこまで移動できるような状態ではありませんでしたので、いいえ、と答えるとそれは惜しいことをしましたね、この次はそれを見にまた来てくださいと言われました。
 が、実際、それを見るのはかなり難しいのでは無いかと思われるような人出でした。



kansai12spring_0846 14 1652.jpg中将姫は天に召されてゆきます
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3-4 夕食:やまと(1905~2010)

 昨日も来たのですが、混んでいて入れなかったのでまた挑戦です。今日は時間がたっぷりあるのでいつまでも待つつもりで並びましたが案外簡単に入ることが出来ました。
 ここでは車エビの踊りを食べたかったのですが、前の人が頼んで終了となってしまいました。残念、と思って見ていたのですが、出てきたエビを見てややガッカリでした。騒いで頼むほどのことはないという程度の大きさだったからです。
 ビールの後日本酒にしました。溢れんばかりに注いでくれるのが魅力です。始めて食べた明石焼きが美味しかったです。


3-5 ホテル着(2030)

 いい気持ちになってホテルに戻りました。明日はいよいよ葵祭ですが、天気予報は芳しくありません。
 明日の朝6時には分かるようですので、天にも祈る気持ちで床につきました。