区役所発(0755)首都高速新宿入(0820)大黒(0905~0917)円覚寺駐車場(1005)円覚寺(1010~1050)浄智寺(1105~)食事処・鉢の木(1145~1225)建長寺(1245~1325)鎌倉そうびえん駐車場(1330)寿福寺(1350~1423)鎌倉そうびえん駐車場(1440)浄妙寺(1500~1555)横浜横須賀道路入(1610)釜利谷IC(1614)区役所着(1800)
1.出発
中野区役所発(0755)首都高速新宿入(0820)大黒(0905~0917)
区報を見て、史跡巡りというのを見つけての初参加。教育振興会というなにやら正体の分からない団体主催だが、鎌倉の五山を巡るというので参加してみることにした。一人の参加費が8,000円というので、申し込むまでいささかの逡巡はあったが、自分たちで五山巡りをするのは大変だろうということと、昼食が鉢の木だということが決断させた。
バスは満席。地元中野の宮園自動車のバス。高齢の人が多いようだったが、教育振興会主催と言うことで心配していた程教育関係者とは限っていないようだった。
新宿から高速に入り、以前町会の旅行で横浜に行った際のように大黒で休憩。
そこから鎌倉へと向かって行った。
さて、五山とは、印度の五精舎にならい、中国南宗末期に禅宗の保護と統制のため格式高い五つの寺を定めたことに由来する。鎌倉五山は、鎌倉時代に北条氏が、南宋にならい鎌倉の 主な禅刹を五山と呼ぶようになり、鎌倉幕府滅亡後の室町初期には鎌倉・京都それぞれに五山が定められ、この制度が定着したと言われる。
鎌倉の五山は、第一位が、建長寺。ついで、円覚寺(第二位)、寿福寺(第三位)、浄智寺(第四位)、浄妙寺(第五位)となっている。
2.円覚寺(1010~1050)
円覚寺駐車場(1005)
バスを降りると,今回鎌倉を案内してくれるガイドさんと合流。人数が多いので、2つのグループに分かれてそれぞれにガイドさんが付くという贅沢さだ。
円覚寺は、鎌倉幕府八代執権・北条時宗が弘安五年(1282)に創建した臨済宗・円覚寺派総本山。文永・弘安の役で蒙古を撃破した時宗は、両軍戦死者の菩提を弔い、己の精神的支柱となった禅宗を広めたいと中国より無学祖元禅師を招いて、祖元を開祖に円覚寺を建立した。
現在は、敷地の中に線路が走っているという,つまり寺地が鉄道によって分断された姿になっている。
2-2 仏殿
円覚寺の本尊を祀っている建物で、関東大震災で倒壊したが、昭和39年に再建された鉄筋コンクリート造の建物。本尊は冠を被っているので、宝冠釈迦如来とよばれる。かなり派手な装飾を施されていた。普段は直接目にすることが出来るそうだが、この日はその前に幕が張られていて横から覗き見るようになった。
「大光明寶殿」の扁額は1378年後光厳天皇より賜ったもの。天井に描かれている白龍図は、前田青邨画伯とその弟子守屋多々志画伯によるもの。爪は3本だった。
梅の花が咲き始めていた。
本来は、この建物の後ろに、「方丈」があるのだが、ここには残されておらず、現在は杉林になっている。
2-3 舎利殿
ここは国宝に指定されているので、近寄ってみることが出来ない。門の外から眺めた。
源実朝が宋から譲り受けたとされる仏牙舎利が納められている。中国から伝えられた唐様式の代表的な建物で、室町時代中期に建てられたものと考えられている。
1563年に円覚寺が全焼したために、復興に当たって、舎利殿として、鎌倉尼五山の一つであった大平寺の仏殿を、天正のころに移築したとのこと。この舎利殿も関東大震災で倒壊しており、昭和4年に一部部材を取り替えて修理、復元された。
ただ、その前に緑色の屋根の門があるために、全容をうかがい知ることは出来ない。
それからここ円覚寺にはもう一つ国宝がある。洪鐘(おおがね)という梵鐘。ただ、それは更に上って行かなくてはならないというので,今回はカット。
3.浄智寺(1105~)
歩いて次の寺、浄智寺へ向かう。
浄智寺は、北鎌倉からの道を右折したやや奥まったところにある。その右折した入り口の所には、蝋梅が咲いていた。こちらはそろそろ終わりの時期になるのだそうだ。
鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の3男である北条宗政の菩提を弔うために、1283年に創建された。最盛期には七堂伽藍を備え、塔頭も11寺院に達した。
しかし、15世紀半ばころから鎌倉の衰亡とともに徐々に荒廃し、江戸時代末まで塔頭8院を維持したが、関東大震災でその大部分が倒壊し、今日の伽藍は概ね昭和になってから復興された。
寺の前には湧き水がある。これは、鎌倉十井のひとつ「甘露の井」という。
少し先へ行くと「寶所在近」の額を掲げた門がある。これは惣門という高麗門という形式の門。そこをくぐると、参道は砂岩の一種である鎌倉石で舗装されている。舗装と言っても昔のままなので、特に階段部分は、結構削られたりしていて歩くには要注意。
4.食事処・鉢の木(1145~1225)
そこからまた歩いて昼食場所へ行く。
鉢の木と言うから、北鎌倉の店かと思ったら、「鉢の木カフェ」という建長寺門前の店だった。お昼のみの営業という。本店を軽食喫茶として生まれ変わったのだそうだ。全席椅子になっていた。北鎌倉店に比べると安めに設定されている。
和食ランチ「北条」(1700円)と北条セット(2300円)があり、ほかにも一品料理、また喫茶に甘味などもある。
メニューは、新若布(しんわかめ)と分葱(わけぎ)酢味噌和え、小松菜と薄揚げ浸し、筍、里芋、厚揚げ、梅麩、こんにゃく辛煮、鳴門金時ワイン煮、春姫金柑、菊花蕪、菜花辛子和え、切干大根、御飯、生麩しぐれ煮、香物。汁は建長汁。ここまでが北条。それに胡麻豆腐と自然薯をプラスしたのが、北条セット。我々はこちらを頂いた。
また、生麩しぐれ煮は、500円でお土産用にセットされた物があり、飛ぶように売れていた。
ここで一人参加の85才男性が行方不明となり、連絡が付かずに騒ぎとなった。(というか、事務局の人が一人旗持ちでついてくるのだけれど、その人もガイドの話を聞きたいものだから、二人で先頭付近を歩いてしまうので、メンバー確認がおろそかにされていたのだった。)
5.建長寺(1245~1325)
いなくなってしまった御仁は、見学時間になってもまだ見つからず、しばらく待っていたが埒もあかないので、係員を店に残して我々は建長寺の見学に向かった。
建長寺は、臨済宗建長寺派の大本山で、鎌倉時代の1253年(建長5年)の創建、本尊は地蔵菩薩、開基は鎌倉幕府第5代執権北条時頼。
元は「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場であって地蔵菩薩を本尊とする心平寺という寺があったことから、仏殿の本尊が地蔵菩薩になっている。
江戸時代には徳川家の援助で主要な建物が新築または他所から移築されたが、ここも関東大震災でも大きな被害を受けた。
先ほど鉢の木でたべた建長汁(けんちんじる)は、この寺が発祥。
5-3 仏殿
参道の両側に見事な白槇(びゃくしん)が並んでいる。創建当時から生き残っている古木で、幹周りが7mもある貴重な物だそうだ。それが仏殿の前栽だとか。
仏殿は、寄棟造で単層裳階が付く。芝の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院(江)の霊屋を建て替える時に、古い方の物を譲渡され、1647年に建長寺に移築されている。
もともと霊廟建築として造られたものであるので、屋根や天井などの形式が一般的な禅宗の仏殿とは異なっている。すなわち、屋根は入母屋造でなく寄棟造、また、天井は和様の格天井になっている。 窓は火灯窓で、その上には花菱様の欄間を配している。その部分の彫刻も見事だそうだが、中には入れず暗いので、朧気に見るだけだった。
6.寿福寺(1350~1423)
鎌倉そうびえん駐車場(1330)寿福寺(1350~1423)鎌倉そうびえん駐車場(1440)
鎌倉五山第3位の寺院で、臨済宗建長寺派の寺院。本尊は釈迦如来、開基は北条政子、開山(初代住職)は栄西である。
寿福寺のある付近は、奥州に向かう源頼義が勝利を祈願したといわれる源氏山を背にした、亀ヶ谷と呼ばれる源氏家父祖伝来の地であり、頼朝の父、源義朝の旧邸もこの地にあった。
総門を抜けて、長い参道を通って中門まで行った。この参道、神社のように中央が違う石になっているので、それをよけるようにして歩いていたら、ガイドさんによると中央はそっと歩くようにわざとバラバラに石が置かれているとのことだった。これは池に浮かぶ氷の破片を表しているとか(氷紋敷石)。
総門から中門までの参道と裏山の墓地は公開されているが、中門から内側の境内は一般公開されていないので、遠目に見るだけだった。
境内裏手の墓地には、陸奥宗光、高浜虚子、大佛次郎などの墓があり、さらにその奥のやぐらには、北条政子と源実朝の墓と伝わる五輪塔がある。
ただし、政子と実朝に関しては、墓では無く供養塔だろうというのがガイドさんの話だった。二人ともはっきりした墓の場所は分からないのだそうだ。
それにしても普通の墓地と変わらぬ所もあるが、やぐらと言われる墓が多いのにも驚いた。
7.浄妙寺(1500~1555)
これまで見てきた4つの寺は、以前にも行ったことのあるところばかりだったが、この寺は初めてだ。
「稲荷山浄妙廣利禅寺」というので、なんでお稲荷さん?と思ったら、山号が稲荷(とうか)山だかららしい。本尊は釈迦如来。開基は足利義兼。
1386年室町将軍・足利義満が五山の制度を定めた頃は七堂伽藍が完備し、塔頭23院を数える大寺院であったが火災などのために衰退し、現在は総門、本堂、客殿、庫裡だけ残っている。足利尊氏の父、貞氏が中興開基で、墓地に貞氏の墓と伝えられる1392年銘の宝篋印塔がある。といって建物の中を見ることは出来ず、面白い墓碑があるということで、墓地を見て回っただけだった。後は石窯ガーデンというパン屋へ行った。
皆さん、買い物に飢えていたのか、先を争うようにパンを買っていた。
ここには白梅、紅梅、福寿草などが咲いて綺麗だったのだが、皆さん目に入ったろうか。