戻る
 

(2000年5月13日〜 14日)

 第四弾は本来は妙高高原の山の斜面を利用して行われる「大かやば(萱場)焼き」を見る旅だった。昔は実際に萱の生長のために、丁度芝の生長を計るために若草山などで山焼きするように、実利のあったものだったらしいが、今は完全に観光ショー化しているものらしい。それを見る旅だったのだが・・・どうなったかは以下をご覧下さい。

 今回もこりもせずにまたまたバスツアー。慣れたものだ。例のごとく新宿に集まって出発。関越にのる。自宅近くにまで戻っていくので、損した気分というか、忘れ物を取りに来たような気分というか。ゴールデンウイークあけだからだろうか、渋滞予想もなかったし、実際渋滞らしき物を殆ど経験もせずにバスは関越を進む。藤岡ジャンクションを過ぎて、上信越道にのる。関越の藤岡というと、まだ上信越道が出来る前の、あの日のことをどうしても思い出す。その日新潟方向に向かっていた順さん運転するカローラは、東京方面に向かういくつもの寝台自動車とすれ違った。御巣鷹山の悲劇の直後のドライブだった。

 さてそうした則のかつての思いでもあっという間に通り過ぎて、途中名古屋方面からの長野自動車道と合流する間の片道1車線区間で少しスピードが落ちたものの、昼前には信州中野インターチェンジ近くのビアンデ信州中野というドライブインへ滑り込んだ。ここでは自由昼食(つまり基本的にはオプションだけれども限りなく皆さん時間的な問題があるから予め用意されているおきまりをお食べ下さいという代物)だが、予め用意されているのは栗おこわのコースとビーフシチュー&ローストビーフの2種類。前者が1000円で校舎は500円まし。車中でこの予約を取るのだが、普段だったら当然おやすい前者の方だが、肉が好きな順さんとグラスワインが付いているというところに気をひかれた則との合意で、後者になった。しかしである・・・どうも他の人の注文に聞き耳を立てていると我輪と同じ注文をする人はあまりいないように思えた。で、到着してみると何とそれは現実のものとなった。2つ、つまり我々のものしかそこにはなく、少しばかり恥ずかしい思いがしたが、特にローストビーフは厚さがあり美味しかった。

 さらに車は走って、戸隠を目指す。今日初めての見学場所。戸隠森林植物園での水芭蕉の見学中心とした散策。ここで与えられた時間はわずかに45分。45分というのはそこではあまりにも短かった。バスの駐車場から水芭蕉の群生地まで10分はかかるところにあったので、実際は20分くらいが堪能できた時間。
 そして何故足りなかったかというと、順さん曰く「もう尾瀬に行かなくても良いかも知れない」というくらいに、満開近い水芭蕉の群生だった。今年は例年だともはや峠を過ぎている(ゴールデンウイークあたりからが見頃になるらしい)ころだが、遅めの気候の推移で、ジャスト、今。則も順さんも写真やビデオを撮りまくった。そのくらいに感激をしたので、帰りは競歩になって、道を間違えた一行がいなければブービーになっていたところだった。

 その次に近くの戸隠神社の中社(ちゅうしゃ・・・と読む)へ参拝に。ここは何の変哲もない神社であったが、神社の閑散としている割には旅館や土産物屋が目立った。我々も土産のそばを買った。そう戸隠は戸隠蕎麦というそばでも有名なところ。神社もいわれがあったらしいが、我々は写真を撮るのとトイレと土産で、そこそこに引き上げてしまったのが悔やまれた。

 それからバスはまた上信越道のかつての終点中郷まで行き、そこから昨年暮れに完成した新井にあるリゾートホテルに入った。ただこの頃から雨が降り出しており、大かやば焼きの実施が危ぶまれたが、実施されると言うことで、急いで風呂に入り食事をして、再び車上乗の人となった。

 会場に着くと、心配していた雨も小康状態になった。最初に抽選会場へ行って抽選の登録を済ませた。オーストラリア旅行が当たるということだが、我々の番号は既に6000番を越えていた。それから「イモリ池」の畔に腰を下ろして開始の時を待った。この頃になると稲妻が光るようになり、やがて大粒の雨が降り出した。初めは傘をさして待っていたが、抽選会が始まった7時10分こりには土砂降り状態に近くなり、傘をさして座っていたのだが、ソノシートも雨でズボンが濡れ初めてたまらずたつ。
 抽選会の結果はスピーカーで流れていたのだが(残念ながらくじ運にも見放された)、抽選会が終わるとそれは大かやば焼きの中止を告げるアナウンスに切り替わった。もはや靴には雨が入ってくるし、Gパンはびしょぬれで・・・惨憺たる思いでホテルに逃げ帰ったのであった。それにしてもあの大混乱の中を良くも一行がまとまって対した時関さなくバスの駐車場まで帰ってこられたこともまた奇跡と言って良いだろう。

 ホテルに帰ってからがまた大変だった。まずホテルの中のミニ・ショップでお酒とつまみを確保した我々は、次には濡れた靴とGパンを乾かすために相当の時間を費やさざるを得なかった。それから寒くなった体を温めに再び風呂へ向かった。ここの風呂は英語では「スパ」と書いてあるが何のことはない単なる公衆浴場だ。温泉ではない。その分サウナのように風呂関連の施設は整っている。露天風呂脇では文字通りスパにするためにだろうか、櫓も組まれていた。
 風呂から上がった我々は、ロビーで宴会を始めた。そこには旅行書やスポーツ雑誌などの類が揃っており、慌ただしく帰ってきて慌ただしく乾燥に追われたわれわれが、ようやくのんびり出来る時間となった。
 それから今日の水芭蕉、そして明日は本番の水芭蕉が見られると言うことで、満足と期待を枕にその後寝入ったのであった。


 翌朝は心配した雨もあがった。まず風呂へ。それから朝食。若い時代は我々もそうだったのだけれども、バイキングというとこれでもかというくらいに食べる人がいる。だからこそバイキングなのだし、則など昔は飲み屋でバイキングのところで、お店の人に嫌な顔をされた経験すらあるのだけれども、最近食べられなくなった。そのせいかもしれないが、最近人が食べるのがやけに気になる。それも若い人でなく、我々よりも年輩の人々だ。横に座ったご婦人二人組も、ご飯茶碗とパン皿を並べ、おかずも山盛り。健啖というのはこういうことをいうのだろうか。うらやましさ半分あきれがを半分の我々だった。

 今日は一路鬼無里を目指す。途中妙高高原駅で弁当(これはオプションではなく予めツアー代金に入っている)を積み込む。名物の笹寿司。これはにぎり寿司の3倍ほどの大きさの上に季節の山菜などが載ってそれをクマザサの葉に包んで押し寿司にしたもの。それから長野インターで降りて、細いくねった道を対向車と苦闘してすれ違いながら1時間あまりかけて鬼無里に到着。
 そこから奥裾花自然園入り口までは、現地のピストン輸送されているバスに乗り換える。片道200円だがこれもツアー代金のうち。実はここであきれる事態に出くわす。我々は装備も万全だし(長靴を借りる人もいた)、トイレも途中の休憩ですましていたのでピストン輸送のバスを松永偉業列の比較的前の方に陣取っていた。と、女性二人が我々の後に割り込んできて、「同じツアーの人同士だからいいでしょう?!」、あきれる限りというか、怒鳴りたかったけれども、ばかばかしさでその気にもなれなかった。

 さて水芭蕉の群生地までは、乗り換えたピストン輸送のバスで揺られて10分程度のところからさらに進まねばならない。この間はまだ完全に雪が残っており、その残雪の上を歩くことになる。残雪を踏みしめていくとようやく水芭蕉の一大群生湿原に出会うことになる。湿原はもちろん低地で、グルッ他水芭蕉群生地を回りながら降りていく。
 ここのキャッチフレーズは81万株。本州最大級の群生地。ただ、バスの入り口付近の入山料徴収所では7分咲きとなっていたが、まだまだ三分から五分と言ったところ。それと、そのためにまだ背が低いところもあろうが、芭蕉群生地には同時に芦も生えていて、その枯れたあとがジャマして、圧倒的な質感を持って迫って来ることを鈍らせている。

 それでも81万株の一部は確実に開花しており、その絶対的な量感は称賛に値するものがある。また湿原のそこここは雪解け水が流れており、写真よりも動画の世界で面白みがあると思った。ここで予定は積み込んだ昼食を食べるわけだが、我々はそれをバスの残してきた。団子より花である。我々は二人の写真を撮ることを含め、水芭蕉を観賞した。
 時間的にはここではピストンのバスの時間を含めて約3時間あったので、戸隠よりはゆったりと鑑賞できた。帰りには水芭蕉の根付けを買うことも出来た。

 こうして「大かやば焼きツアー改め水芭蕉ツアー」は実質の終わりを告げた。途中関越道は日本道路公団の予想通りに若干の渋滞をもたらしたが、定刻通りに新宿に帰ってくることが出来た。季節の遅れがもたらした気まぐれな結果が今度の旅のすべてだった。


(写真はクリックで拡大されます)
戻る