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(2000年5月27日〜 28日)

 今度は何処へ・・・? 北海道です。
 則が入れ歯を忘れるというトラブルもあったけれども、新宿へ計算されている時間に到着。山の手に乗り換えて品川へ。あと一歩というところで一台前の電車に乗れたのだけれども結局こちらで計算していた急行に乗って、羽田空港へ。すぐにJASの団体カウンターへ。少し待たされたけれども、無事に搭乗券を得る。またまたイージーにツアーなのだけれども、添乗員は北海道内だけ。海外旅行ではこうしたいわゆる「日本語(日本人ではない)スルーガイド付き」という形式は珍しくないが、今回はその日本版と言った形。添乗員費用も浮かすということだろうか。ともかくも搭乗券を手にしたので、直ちに搭乗手続きへ。さすがに土曜日で結構な列だ。羽田は拡張したために、ビックバード横付けでない便がけっこう増えた。今回もその例で、一旦待合室にはいる。そこで順さんが、則が歯を取りに戻っている間にコンビニで買っておいたおにぎりなどを食べる。

 羽田では混雑のためとのことで離陸が遅れたが、帯広空港に9時16分に着陸。定刻が15分だからほぼオンタイムだ。出発が遅れた割りには正確な時間に着いたわけ。今回は人数が多い分集合にも時間がかかる。順さんは降りたら直ぐトイレに直行。冬に札幌雪祭りなどを見にきたときに、後から気づいてトイレに行って、バスに乗るのが遅れたのを教訓としたからだ。30分は優にここで費やすと思っていたが、9時42分にバスは帯広空港を後にした。今回は旅慣れた連中が多いのだろうか、時間に遅れた出発はこのあと皆無であった。
 空港内もそうだったが、道の両側にはタンポポの花がびっちりと敷き詰められたように咲いている。先に楽しみを持たせる出迎えだ。最初の休憩場所は足寄庵というドライブイン。ここは以前にもきたことがあり、松山千春の知り合いだかがやっているとかで、彼の似顔絵が出迎える。11時12分から29分までそこで休憩し、阿寒湖を目指す。

 阿寒湖に12時28分に到着。我々は自由昼食のお決まり(?)がラーメンだったのでパス。則が麺類が嫌いなのと、順さんが塩分控えめを言い渡されているからだ。我々はビジターセンターをざっと見てから、ボッケを目指した。阿寒湖には何度も来たことがあるが、ボッケやビジターセンターは未だ行ったことがなかった。ビジターセンターの裏には水芭蕉の小群落があったが、ほとんど花の時期は終わりその名のように葉が既に相当大きくなっていた。
 10分ほど遊歩道を歩くと硫黄の臭いがしてきて、ボッケが近いことが感じられた。そのうちにポコポコと言う音が聞こえ出すと現地。粘性の高い土を押し上げながら湯やガスが土中から出てくる。そこを少し行くと阿寒湖畔。そこで我々は記念写真を撮り、ゆっくりと来た道を戻る。集合場所に着くとなお少し時間があったので、酒屋でパンを買って車中で食べてこれを昼食とすることにした。阿寒湖を定刻13時30分に出発。

 約1時間かけて14時29分に摩周湖へ着く。ここで記念の集合写真。よく「何度来ても摩周湖を見ることができない」云々の話があるが、実際はけっこう晴れの日が多いという話。実際我々ももう何度も来ているけれども、一度だけ霧に霞むことがあったものの、それとてしばらくしてから晴れてきたわけで、中央の島を見ずじまいということは経験がない。そこで30分休憩見学(これはけっこう時間が足りなかった)。

 少し天気が曇り模様となってきたので、不安を抱きながら、この旅の2大目的地の一つ東藻琴を目指す。45分ほど走ると遠くにピンクの小山が見えかくれしてきた。滝川に次ぐ広大な面積に植えられた芝桜の絨毯だ。近づくにつれそれは眼前に大きく迫ってきた。今まさに、今日この時間に、我々の到着を待ち構えていたかのように、それはそこにあった。15時50分到着、1時間の見学時間。
 最初に集合写真。その後解散。我々は直ぐに小山に登り始める。芝桜は二つの連なった小山(丘と言うべきだろう)に敷き詰めるように植えられている。それがこの時とばかりに誇らしげに咲いているのだ。花の発する香ぐわしい匂いも、それがこの膨大な数の花・花・花の中では、香水の中を泳いでいるような、半ば香りに酩酊した状態に陥ってしまった。その酔いも手伝って、当然ながら我々は写真を撮りまくった。色はピンクが基調ではあるが、その色も濃い薄いとあり、また雪のような白色のものもある。そうしてそれらが斜面に計画的に植えられているので、マークや牛の形などの造形を生み出していた。山麓には温泉やゴーカートやフィールドアスレッチクなどもあり、時間があれば花の中でそれを楽しみたかった。とにかくこの敷き詰められた絨毯と香水の中で、我々はこの旅の目的をもはや達したとさえ感じた、至福の時を過ごした。

 時間が決まっているのは効率をも考慮しなければならないツアーにあっては仕方の無いところではある。芝桜を惜しみつつ出発。30分走って、海産物屋に到着。ここも以前に立ち寄った場所で、眼前がオホーツク海に面しており、買い物にほとんど興味のない我々はトイレ休憩をした後は、波打際でしばし海の香りを感じて時を過ごした。そこを17時50分に出発し、18時12分にホテルへ到着した。

 ホテルも以前に泊まったことのあるホテルであった。風呂へ入って記憶が戻ってきた。ところで夕食であるが、蟹三昧のコースに3500円で変更ができた。いつもならば蟹好きの順さんは変更を希望しただろうが(則はあまり蟹や海老に興味が無い)、前日に同じようなコースを腹いっぱい食べていたので、変更はしなかった。食事は宴会場であったが、かなりの人がこの変更をしていた。我々はその分ワインを飲んだ。食事の内容はまぁまぁだった。


 朝はバイキング。でもここのホテルのバイキングは何日泊まっていても飽きないだろうほどに種類が豊富だ。しかしここで問題が・・・外は昨夜来の雨模様。バスの出発の8時30分には少し小休止になったが、たれ込めた雲は吹っ切れない。網走の街を抜けようとする頃に水芭蕉の群生地の脇を通り抜けた。バスガイドさんの説明(網走在住?)では、私は子どもの頃から見ているので何の感動もないのだけれども・・・ということだったが、もちろん時期的に残念ながら過ぎではいたものの、かような群生地が平地の道路脇といって良いところでいとも簡単に見ることのできるのには驚いた。そしてその規模も順さんが見た尾瀬沼や今年二人で見た奥裾花や戸隠のそれにも引けを取らないものであることはなおさらの驚異。北海道がいかに北に位置しているかがわかる。

 最初の停車場所はワッカ原生花園。ここでは自転車に乗ったり馬車に乗ったりといった時間を1時間ばかりとる予定であったが、今は花は何もないというガイドの声を聞いた乗客の、メインへ急げと言う希望を受け入れて30分に短縮。9時32分から58分までの見学。我々はそれでも原生花園の少しでも先に行こうとしたが、大半は入り口のところで留まっていた。

 乗客の願いもむなしく出発近くなると小雨模様となってきた。晴れるようにとの願いを載せてバスは出発。しかしながら雨は止みそうもない。実は昨日は座席がいちばん後ろだったのだが、今日は最前部で、視界も広くてその分雨模様もよく判り、憂鬱さもひとしおの座席なのだ。この旅行の今一つの大きな目標である上湧別のチューリップ畑に着くころには雨は本降りに。10時45分着。最初のワッカ原生花園をはしょった分、時間は十分にある。何と出発は13時とのこと。
 勇気を出してバスから降りて畑へ向かう。雨・雨・雨だが、チューリップ・チューリップ・チューリップでもある。ここもほぼ満開だ。早稲品種なのだろうか、既に終わっているものもあったが、そしてまだ蕾のものもあったが、写真で見るチューリップ畑と同じ風景がそこには広がっていた。砂利道もあるがぬかるんでいる道もあり、所々には板を渡しているところなどもあり、足周りは悪かったが、チューリップの見事さはかえって雨に濡れて輝いているようでもあった。
 しかしながらいよいよ雨脚が強くなってきたので、一旦建物に避難しようと、畑の道を隔てたところに建つ郷土博物館のようなところ(上湧別町ふるさと館)へ入場料を払って入った(上の写真の右側のコンクリートむき出しの建物)。雨宿りのつもりだったが、どうしてどうして見応えのある屯田兵入村から今日までの一大絵巻がそこにはあったし、時間が足りずに簡単にしか見なかったが、カナダの同じような入植の比較展示が興味を引いた。国内から何故移ってきたのか、原住民の抑圧の歴史など遠く離れていながら類似の足跡をたどった展示は興味深かった。

 出発は13時だったが、どうも我々が一番最後だったようで、12時52分我々が戻ると同時にバスは発車した。もはやここからは帰路の行程になる。14時10分から20分間温根湯の道の駅で休憩した後、臨時に銀河・流星の滝に立ち寄った。奇跡的とでも言うべきだろうか、大雪国道に迂回路として掘られたトンネルを抜けると日が差し込んできたのだ。そこで予定が変更になり、思いがけずのたちよりとなった。丁度昨夜来の雨を加えたために滝の水量は豊かで、凍り付いた滝を数か月前に見ているので、この対面にも感激するものがあった(15時35分から54分)。

 バスは更に最終目的地の旭川APまで行く間に、ラベンダーヒルズと言う店で最後の買い物タイムを17時5分から27分までとり、18時10分に空港へ到着した。搭乗する飛行機は今日の最終便で、しばらく時間があったので、空港ビルで今回の旅の無事の終了を祝った。飛行機はやや遅れたものの、自宅へは計算していた時間に帰ることができた。雨にチューリップではたたられたものの、天候を左右する神々は開花時期を芝桜・チューリップともに我々が訪れるの迄調整を計ってくれていたし、満足のいく旅だった。


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