(2000年11月25日〜26日)

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11月25日(土)・第一日目

 旅の始まりはいつも楽しい。うきうき気分で4時起き。この前のバス危うく乗り遅れ事件の轍を踏まないために、早めの出立。羽田7時50分発の飛行機(JAS釧路行)なので、集合時間も7時10分と結構な時間だ。それで6時30分には羽田に着くように時間設定をして、最寄り駅から乗る前に50円引きの吉野屋のけんちん汁定食を食べて、行くことと相成った。幸い計画通りに羽田に着く。しかしながら飛行機は何だか理由がわからないけれども、いやいつものことといった方がよいだろうか、遅れて出発した。しかしまぁ大幅な狂いもはなく、20分程度の遅れで釧路空港到着。

 飛行機を降りて最初に向かったのは釧路湿原の展望台。展望台は釧路市内にあるからさほど空港から遠いわけではない。同じ飛行機か同じような時間に着く関西からの飛行機からのか一団のバスが既に駐車していた。我々もその端に降り立ち何枚かシャッターを切る。外はやはり寒い。しかしその分空気は澄んでいるから眺望は遠くまでかなう。走行しているうちに先に停まっていたバスは発車していってしまった。そう長い間いられる状況ではないことは確かだ。我々も先の一団に習い、早々にそこを立ち去る。

 バスは釧路市内に入り、フィッシャーマンズワーフを目指す。最近このような施設は数多くなったが、その走りとなった施設だ。11時前に到着したため、食事場所はまだ開いておらず、しばし時間をつぶした後に食事をとる。

 昼の後は、道東の岬を2カ所臨んでから宿へと向かう。釧路から納沙布岬までほぼ海岸沿いを走り、そのあと弟子屈付近を目指して進むことになる。まず愛冠岬に向かう。愛冠とかいてアイカップと読ませる、いやたぶんその逆で説明を逃しただけで、アイカップというアイヌ語に地名に愛冠をはめただけなのだろう。

 愛冠岬の突端へはバスの駐車場から500メートルくらい歩くと着く。岬の突端は断崖になっており、その文風光明媚だ。この何とも現代の若い人受けしそうなネーミングを施したのは誰かということもさることながら、そこには願いが叶うとかいう鐘まで用意されていて、夕暮れ時にさぞや愛をささやくには絶好のところのように感じた。もちろん我々のようなツアー客はそうしたこととは無縁で、津波のように押し寄せて無遠慮に鐘を打ちならし、それと岬の風景とっをカメラに納めると、また引き潮のように去っていくだけであった。

 愛冠岬を後にすると、今日最後の見学地となる納沙布岬を目指しバスは進む。この間はいささか距離がある。いましも沈まんとする太陽に追い立てられるように、バスは半島の先を目指して進んだ。途中の濤沸湖では、白鳥が羽を休めていた。進めどもなかなか到達はしない。人家も視界からとぎれることはなく、ロシアと対峙する地へと足を運ぶという緊張感をなかなか伴わないものだった。それでも人家がまばらになり出すと風力発電の装置などもも見えてきて、風邪が強い地、すなわち岬へ近づいていることが知れた。やがて灯台が見えてきた。岬の突端のその一角だけが人家がとぎれているが、しかし土産物屋などもあり、対岸のわっずか3.7キロ沖合の島々には監視所が設けられ常にこちらをうかがっているなどというような緊張感をそこに見いだすのはなかなか難しかった。

 実際のところバスを降りた人々は、いくつかの土産物屋の中で提携している1軒の店が客寄せでサービスをしてくれる潮汁に惹かれて、岬の突端から悪も鋸を散らすようにいなくなってしまった。我々は海中に浮かぶ中間点(写真参照・後方は水晶島?)、つまりは暫定的な国境を望むなどし岬にしばしとどまり、岬の突端にたつ対岸を望むかつて入った望郷の家(正しくは「北方館」)と同趣旨の建物に入った。そこに備えられている高倍率の双眼鏡からは、ロシアの監視所もしっかりと見ることができる。流れる解説を聞きながら遠望することで、初めてその実感がわいてきた。その距離は先日の佐渡などよりも遙かに近い距離なのだ。これは日本だという感情は、理屈ではなくわいてくるのを感じた。

 秋の日はつるべ落としのごとくというが、ましてや初冬の日暮れは早い。空が茜に染まったとみているうちに、あたりは見る見るうちに薄暗くなってきた。望郷の丘のモニュメントの階段のところでは、地元の子供たちがスケートボードに興じている。その子らの影も長くなったかと思うとあっという間に彼ら自身もシルエットになってしまった。焚かれている火が風に揺らめいているのが、暗くなるに従ってより印象深いものになったいった。

 風も冷たくなってきた。まだ集合時間にはあだいぶあるが、潮汁にありつかないで望郷の丘の展望台とその周辺をさまよっていた我々は、身を隠すところもなくバスへと向かう。遠くから我々の姿を見つけて運転手が走ってくるのがわかった。バスは集合時間きっかりに、今夜の宿へ向かって走り出した。

 宿までの距離はおよそ120キロもある。北海道のバスは走行距離は勢い長くなるものだが、それでも暗くなってからの走行はつらいものがある。途中での休憩を含んで、バスが旅館に滑り込んだのは18時30分を回っていた。停まったところは摩周温泉のニュー子宝というところ。食事時間は19時からということで、少し早めに食堂へ降りていったものの、既に殆どがそろって食事を始めていた。皆腹が空いたのだろう。食事は毛蟹と花咲蟹を含む膳でった。しかしながらその後に予定もあったので、気もそぞろに食べ終えた。

 食事の後19時にロビーに集合して、摩周第一展望台へ天の川の観測に出かけた。下界にかなり光があり、満天の星空とはいかなかったものの、天の川を見ることはできたし、我々の知っているほんのいくつかの有名な星座はそれと十分に確認ができた。摩周湖もうっすらとそこに横たわっているのがわかったし、見上げる空には流れ星も確認することができた。

 深夜の天の川見学から宿へ戻り、風呂に入り、寝酒を飲んで就寝した。


11月26日(日)・第二日目

 出発は遅い。9時だ。この事情はたぶん、帯広空港の離陸時間が19時25分と遅いことによる。朝の時間を利用して風呂に入ったり、旅館の売店を覗いたり、朝食もしっかり食べた。その朝食をとりながら外を見ると何と雪が降っている。部屋に戻ってみるとあたりは雪景色だ。昨日あんなに晴天だったし、空は茜に染まっていたし、今日も天気は上々と判断していただけに・・・この時期のここらあたりはこれが普通なのだと言うことを思い知らされた感じだ。
 バスは定時にその雪空の中を出発。バスを見送る旅館の人たちはバスが見えなくなるまで送っていた。丁寧な旅館だ。

 最初に向かったのは川湯にある硫黄山(アトサヌプリ)。この頃になると雪の量も結構半端でない状況になっていた。それでもがんばってガスの噴出口へ近づこうとする。途中卵を売っている(こうした地獄にはつきもの)人が、誘いの声をかけるが雪が舞っている状態では誰も買おうとするはしなかった。ようやく噴出口の一つに近づく。と、ガスの影響と雪の影響が相俟って周りがホワイトアウト状態になる。しばらくするとまた周囲が見えるようになってきたが、やや危険な状態であることに代わりはない。その場の写真を急いで撮ってそこを離れる。帰り道再び卵売りが声をかけてくるが、もはやそれどころではない。そうそうにレストハウスへ避難する。避難の途中1台観光バスが駐車場に入ってきたが、彼らはこうした状態なのでレストハウスへ直行だ。誰も噴出口の方へ向かおうとはしない。

 次に摩周湖へ向かう。実は何度も摩周湖を訪れているのだが、そう実際昨日も訪れたわけだが、「霧の摩周湖」を見たことはない。しかし今日の摩周湖はまさしく霧というか一面雲の中。仕方なく標識の前で記念撮影をして、後はレストハウスで時間を潰す。
 もう何回も来ているところだけに、あまり珍しいものはない。それでもここは一大観光地だから、観光客は結構来ていて、レストハウス内はごった返している。摩周この形をしたキーホルダーを土産に買う。外にも出られないから仕方がないし、、まだ朝ご飯を食べたばかりだから芋餅などをほおばる気にもなれない。

 摩周湖を離れてから近くのドライブインで買い物休憩。我々は例によってほとんど買う物はない。ここでも暇つぶしの時間が流れる。缶コーヒーを二人でわけて一缶飲む。同じように暇をもてあましている人もいるようで、バスは定刻よりやや早めに出発する。
 途中で双湖台付近を通過する。バスの車上からではあったが、ペンケトー・パンケトーを望むことが出来た。奥のパンケトーのほうが、見る角度によって北海道の形をしているというので有名なところだ。その北海道の形が半分は白い。そこまで結氷していると言うことだろう。この頃になるとバスの中の温度と外気の差が激しくなってきて、窓ガラスは拭いても拭いてもすぐ曇ってしまう。

 摩周−阿寒の横断道路を通り約1時間のドライブで阿寒湖へ到着する。幸いにも雪はかなり小止みになってきた。ここで昼食休憩だ。我々はここでは昼食を頼んでいないので(ここはこの旅行会社だといつもYという店でラーメン抵触のようなものがおきまりなので)、集合写真を撮影してから(ここではアイヌの装束を着せられて撮影となる・・・これも2度目の経験)前回と同じようにボッケへ向かう。東京へ帰ってから送られてきたその写真を見たら、その日3番目の写真だったらしい。それでも観光船は結氷していないので、1日数度は運行されている。

 さて、ボッケだが、別府温泉の坊主地獄を思い浮かべればたぶん正解だと思う。湖畔の数カ所で、ボコボコやっているが、前回の時よりは威勢が悪かった。途中のビジターセンターは工事でお休みなので、仕方なくボッケから湖岸の散策路を通って温泉街へ遠回りして戻る。途中でアベックとご婦人とすれ違っただけで、誰もいない散策路は静かであった。完全に雪もあがって、湖面を越えて見える山々の姿が美しかった。
 一周してから、この前訪れたときに入ったコンビニに再び行き、パンと飲み物を買って車上の人となる。これが我々の昼食だ。何処までもケチな人種だ。

 最後の観光地は鶴公園。ここまでは1時間あまりをかけて走る。ここも来たことがある。観察ゲージがいくつかあり、それぞれにつがいが飼育されている。ここは釧路空港に隣接する状態の立地で、決して好条件とは言えないように思うが、もう10年以上この地にある。今日も沈もうとしている太陽にせかされるようにして、今度は鶴の姿を写真に収める。丹頂の赤は頭にほんの少し載っているだけなので、それを入れて撮るのは結構大変だ。

 鶴公園から近い釧路空港ではなく帯広からの帰途となるため、我々はなお2時間前後そこからバスを利用しなければならなかった。往復の航空運賃よりも安い金額なのだからこうしたことは仕方がない。もっとも帯広空港は完全な計器飛行ができる空港なので、機体整備さえ万全ならば天候に左右されずに飛べるので安心だ。
 職場の人のものと妹のところの土産を買ったが、なお充分に時間の余裕があったので、ここで夕食とビール。こうしたことには平気でお金を使う不思議な人種だ。東京便は最終なので、店のカンバン近くまでいてゆっくり乗り込んだら、荷物を入れるスペースが無くなっていた。仕方なく椅子の下に置いて、東京へ。窮屈だけれども、そう長い間乗るわけではないからここは我慢。羽田には20分くらい遅れて到着した。こうして今回の旅も終わった。旅の終わりはいつも寂しい。


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