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氷雪のまつりと流氷と(第三日目・2000年2月13日)

○キタキツネ村
 北海道には北キツネなどを売り物にした飼育広場(小屋)が付属しているドライブインがいくつかある。観光バスは買い物と(それによって旅行会社もマージンを受け取ることがタブンできるのだろう)ドライバーの休憩と、そして表面的な理由はトイレ休憩ということで、1〜2時間に1回はドライブインに停まる。層雲峡から一挙に網走まで昇るので、その間は4時間程度の道のりになる。だからというわけで、キタキツネ村なのだ。
 さて以前にもキタキツネ村(それがどこで・・・つまりひょっとしたら同じところかも知れない)に休憩で立ち寄ったことがあるのだが、その時の印象はけっこう動物のにおいがきつい・・・ということだった。もちろん、それは動物のせいではない。しかし今回覚悟して立ち寄ったにもかかわらず、冬だと言うことなのだろうか、殆どにおいというものを感じることはなかった。
 キツネは(「キツネも」という方が正解だろうか)冬の装いで、皆口々に言っていたことは「わぁ〜タヌキみたい!」というセリフ。キツネ色のいわゆるキタキツネから白色の褐色のと様々いた。それらは檻の中にいるのではなく、巨大な敷地の中に放し飼いにされていて、その中に我々が入っていくスタイル。もちろん餌がちゃんと(しっかり)売っていて、観光客はそれをキツネに分け与える仕組み。人を見ると物欲しげによってくるキツネさえいた。
 柵の中にはさらに囲んだエリアがあり、そこにはトナカイが飼われていて、角をつき合わせて戯れている姿も見ることができた(写真のじゃれているキツネの後にある檻の中にいる動物がトナカイ)。

○昼食は蟹を食べる
 昼食に寄った旅館も、かつて一度やはり昼食を食べたところ。タラバガニとかが腹一杯食べられたが、既に食傷気味の我々にとっては、感激も今ひとつの食事(ゴメン)。メインのタラバは少々水っぽかったし、蟹コロッケもどうと言うことのない趣向。ただここも量は多かった。鍋は殆ど残してしまって、申し訳ない感じがしたが、仕方がない。一番最後に蟹の鉄砲汁がでてきたが、これが一番ダシが効いていて美味しかった。
 そうそうここではアルコールは飲まなかった。

○博物館「網走監獄」
 ここはかつての網走刑務所の様々な建築物を移築した、網走刑務所に特化した明治村の如きところ。縁無くこれまで一度も訪れたことはない。案内人が付いてくれて駆け足だったがぐるっと一回りした。
 最初に見たのが独房というか、全く明かり取りのない小さな小屋。不服従のものを懲戒するために使ったものという。暑さ40センチくらいの煉瓦造りの壁に囲われたそれは、泣こうが叫こうが外部には全く届かないであろう代物。それから刑務所内にある寺とも教会ともつかぬところ(こうした教護施設が監獄内に設置されていたことは大変な驚きだった)や、風呂(夏は1日おき冬は1週間程度に1回だという)などを見た。
 そのあと、メインの丁度手の平のように広がった監獄の建物(丁度手の指の部分が監舎で、その中心に刑務官の見張り台があるという当時の外国の刑務所=ベルギーと聞いたような気がする=を範に作られたもの)を見た。興味深かったのは脱獄王・五寸釘虎吉(だったと思う)が実際に網走刑務所を脱獄した際の実際に彼が収監されていたその部屋を見ることができたことだ。
 さて網走刑務所のそもそもの出発は、旭川〜網走間の中央横断道路を明治政府が開くための、安上がりの労働力を囚人に求めたのが始まり。だから今でも国道の一部区間は「囚人道路」と呼ばれている。囚人たちは2人一組で足に鎖をつけられ、数年はかかるであろう工事をわずか1度の春〜秋の9ヶ月で完成させたのだった。その悲惨さは想像にあまりあるが、今日でも鎖をつけられたまま白骨化した遺体が発見され、鎖塚と呼ばれているという。

○天都山とクリオネ
 その後天都山に昇る。ここはその昔高校の時の修学旅行で則は訪れたはずだが、その記憶は30年の彼方に完全に置き忘れている。
 さて展望台に昇ると・・・見える、流氷が岸に迫っているのが見える・・・でも展望台に昇って外を見るが強風でバスガイドさんのせっかくの説明もそこそこに階下の流氷体験館へ。ここでは実際の流氷を、氷点下20度以下にした部屋で触ることができた。また入り口で濡れタオルを渡され、それを振ると一瞬で手折るが直立する実験も体験できる。流氷館を出たところに小さな水槽があり、そこにクリオネなどが代われていた。クリオネが見られると言うことだったが、確かにそこにいたものの少々その規模にがっかり。時間が迫って、流氷体験館をあとにする。ここはいま少し時間が欲しかったところだが、その後の最後の大出し物の流氷観光船が待っているのだから、致し方のないところ。

○最後に感激の流氷海域へ!
 天都山から15分くらいで流氷観測船の「おーろら」号の停留岸壁へ。15時30分の出航の前に、おーろら号の前で記念の集合写真。薄氷で網走港の周りは覆われている。既にそれを見ただけでもう我々は感激半ば。やがて出航の時間を迎える。
 船は十数分で(本当の)流氷域に突入した。船は厚さ1メートル級の氷は難なく割って進める設計だという。実はこの船数年前に我々は乗っているのだ。この「おーろら」は、夏は知床観光船として羅臼の港で活躍している。本来は砕氷機能を持って船だから、夏場は出稼ぎにきているといった感じなのだろう。
 流氷域に入る前の薄氷状態でも我々は感激していたわけだが、流氷域に入るとそれは頂点に達した。船はきしみながら、半ば意図的に流氷域の氷を割りながら進む。割れた氷はその後の氷に追い被さるように重なり、斜めになったところで一旦海中に沈みやがてゆっくりと浮き上がる。その大きさと動きに感動を覚えないわけには行かない。
 こうして船は約50分の航海を終えて戻ってくる。我々が戻ってくると何と既に夕闇が迫っているにもかかわらず、次の航海が待っていた。ライトを照らしているから、おそらくはそれで氷を照らすのであろう。それはそれでまた趣があろうというものだ(写真の左下に移っているのが防寒装備に身を包んだ順さんの姿で流氷の大きさと対比ができると思う)。

○今回は30分程度の遅れ
 実は前回北海道(新千歳空港)から戻るときに、飛行機が大幅に遅れて、モノレールの時間を終了していたのだが、今回は遅れはしたが30分程度で無事に羽田(東京国際空港)に到着した。帰路の電車もまぁまぁ順調にいった。終わりよければ全て良しと言うが、今回は正にそうした感じ。後半の層雲峡表瀑まつり、網走監獄博物館、そして流氷は見応えと感動があった。
 楽しいときはあっという間に過ぎ去るものだ。我々はまた都会の雑踏の中の1人となったのだった。


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