第5日目(2004年3月29日)

《ダマスカス シャームパレスホテル》

【朝日を見る】 0500〜0530
 昨日の夕日が中途半端だったので、今朝は早く起きて朝日を見るために外へ出た。
 時刻は5時。辺りはうっすらと明け始めという感じ。我々の他にも同宿の日本人団体が出てきた。すぐ目の前の山に登って行くうちに少しずつ周りが明るくなってきた。
 5時18分頃、太陽が見え始めた。逆光になるので、パルミラの列柱道路が真っ黒に浮かび上がる。しばらく夢中になってシャッターを切り続けた。
 10分後にはすっかり日は昇ってしまったので、ホテルへ戻って朝食をとった。

【バグダットカフェ】 0812〜0830
 7時にホテルを出発してダマスカスへ戻る。
 途中のトイレ休憩は、昨日と同じバグダットカフェ。結局、土漠の中なので、何もないのだ。
 右の写真は、土漠の中に何本か走る線路を行く、リン鉱石を運搬する列車。偶然に踏みきりで遭遇したが、めったに見ることは出来ない。

【マルーラ村】 1020〜1055
 そこからまた、何もない道を2時間ほど走って着いたのがマルーラ村。キリストが話していたアラム語という言葉が残るということだけが売り物の町、というより教会だ。
 ギリシア正教の教会で、世界でも古い部類に入る「聖サルキス教会」に入る。
 丁度牧師さんが別の外人団体へアラム語で説教をしていた。内容はもちろんだが、英語との区別すら全くわからなかった。イコンがたくさんあったが、あまり感動はなかった。
 それからまたひたすら何もない道を走ってダマスカスへ戻った。

【ダマスカス市内観光】 1150〜1845
○国立博物館(1150〜1320)
 まず行ったのが国立博物館。ここではカメラを預けなければならないので、その前に庭先と建物正面に埋め込まれたウマイヤ朝の遺跡、カズル・アル・ハイル(写真右)の宮殿を写した。入り口にはたくさんの小学生くらいの団体がいた。
 博物館は、BC2世紀以前、BC2〜AD7世紀、それ以降のイスラム、の3つに分かれている。
一番の見ものは、ウガリットのフェニキアの遺跡から発掘された粘土板かな。BC14世紀の物というのに政治や交易のことが書かれているというのだから驚き。
 マリ遺跡のイシュタル神というのがあって、多分お土産に買ったのがそれ。
 シナゴークは壁や天井が見事なモザイクで埋められていた。天井には50cm角の多数の絵があったが、残念ながらこの頃になると歩き疲れて、じっくりと味わうという余裕がなくなってきていた。

○昼食 ニュートロン レストラン 1340〜1450 
 以前はお屋敷だったのではないかというような建物で、昼食。ここは完全に外国人向けの店だったので、ビールは冷えていた。

○アゼム宮殿 1508〜1555 
 その後ストレート通りを通ってアゼム宮殿へ向かう。このストレート通りというのは、その昔パウロが通った道なのだそうだが、歩道といえる所が人1人通れるのがやっとの広さしかない。真ん中の道は車がぶんぶん通っていく。両側にはいろんな店があって覗いてみたいのだが、そんなことで気をつけて歩くのが精一杯だった。(左の写真)
 アゼム宮殿は、18世紀のオスマントルコ時代に建てられた比較的新しい建物で、中庭から、ウマイヤドモスクの塔が見えた。中庭を取り囲むような形で、小さい部屋がいくつもあった。それぞれ、女性の部屋とか武器の部屋とか博物館になっている。目新しいのは、寄せ木細工が見られたことだ。
 ここで則にアクシデント。何と靴の裏が剥がれてしまった。困った。しばらくは我慢して歩くことになる。

○モスク 1600〜1635
 いよいよウマイヤドモスク。女性は入り口でフード付きコートを貸し出されて、ネズミ男状態になる。それから靴を脱いで中に入る。鳥の糞だらけで要注意だ。
 中庭へ行くと外から見るよりも広く感じられた。正面には豪華な礼拝堂がある。珍しく金ぴかだ。「楽園」というらしい。イスラムが考える楽園を現した物だそうだ。その前にある水場は、信者が身を清める所。中庭を見下ろすように3本の塔が立っている。入り口横が花嫁の塔。その向かいにあるのが、イエスの塔(鉛筆の形)。出口の方にあるのが西の塔(角柱と円柱の折衷)。それぞれ造りが違っている。周りには回廊がある。が、これは復元された物ということで、当時の物が一部分に残っているだけだ。
 さてモスクの礼拝堂の中に入る。中は広い。男女の祈りの場所が違っていて、女性の場所はミハラブから遠い壁際になっているようで、多くの女性が座って祈っていた。
 中は、ステンドグラスがきれいだった。キリスト教様式の物と、イスラム様式の物とがあるとのことだが、その違いはわからなかった。
 中央に緑色をした小さな霊廟があるが、そこが聖ヨハネの遺体を祀ってある所だ。この教会から発見された骨で、史実とも合致するというので、たぶん間違いなくヨハネの骨が納められていると言うことだ。たくさんの人が覗いていたので、順も同じようにしていると、現地の人らしき女性から、「Do you like this?」といわれてビックリした。うーん、どういう意味なのだろう。

○スーク 1640〜1710
 その後スークを自由散策ということになったので、則はガイドさんに頼んで靴屋へと連れて行ってもらった。そこの店はレバノン人が経営する店なのだそうだ。二階部分が倉庫になっていて、種類と大きさを指定すると、二階から放り投げてくれる。旅の後半で、ペトラに行きインディージョーンズのまねごとをしなければならないから、軽い靴が必要だ。
 そこで、スニーカーを購入。9US$なり。日本円にすれば1000円程度だが、現地の人にとってはどうなのだろう。ドルは普通に通用するらしく、10$出したら1$でおつりが帰ってきた。同時にガイド氏も靴を手に入れた??

○聖アナニアス教会 1720〜1740
 今は地下教会になっているが以前はそこが民家の1階だったという小さな教会だ。つまりは、歴史が重なって遺跡が埋もれているのと同じことで、昔は地面が今よりもそれだけ低い所にあったと言うことらしい。奥の部屋には、聖パウロの絵が、物語になって多数残されている。
 聖アナニアスは、キリストに逆らって?目が見えなくなったパウロに開眼させ、改宗させた人物で、ここにかれが住んでいたという説もある。

○聖パウロ門 1745〜1800
 パウロ門へ行く。迫害を受けたパウロが逃げ出した門だ。既に暗くなりかけたので、写真を撮っているうちにライトアップの電気がついた。
 門の右横には、失明したパウロが馬から転げ落ちる像があった。

○カシオン山 1830〜1845
 真っ暗になった中を山に登る。ここは絶好のビューポイントらしく、結構な観光客が集まっていた。バスできているのは我々だけらしく、他はほとんどが地元の人のようだ。現地の人たちの格好のデートコースのようで、夜景を見下ろせる場所にレストランが並んでいた。
 函館とまでは行かないが、それっぽい夜景だった。

【ホテル着】 1905
 シャームパレス ダマスカス。308号室。次の間付き。

【夕食】 中華料理店 2000〜
 ホテルの中にある(ちょっとわかりづらかった)中華料理店だが、中華料理と言うにはちょっと味が違うかな。まあ、本場ではないのだから仕方ない。ただ、個室で円卓、長箸というのは同じ。右の写真は、麻婆豆腐風の食べ物。豆腐に見えるものは、はんぺんに近い食感のものだった。
 ここに、今回のシリアの旅行会社の社長が来て、寄せ木細工模様の箱を1人1人にプレゼントしてくれた。親日家ということで、何度も日本に来ているそうだ。この社長も、ガイドも日本語を話す。ニュージーランドに引き続き、ここでも紹興酒はないと断られた。不可思議。