第四日目 3月26日(月) 快晴    25日  27日

 サンライズでのビューポイントで暗闇から次第にその姿を現すエアーズロックを鑑賞した後アボリジニの聖地エアーズロックに登る・・・すがすがしい山頂は360度の大パノラマ

アウトバックパイオニアホテル (5:45頃発)→エアーズロックサンライズ鑑賞→エアーズロック登山(高さ348m、往復3.2km、約130分の登山に挑戦。頭上から大地を眺める爽快感は格別)→エアーズロック麓巡り(エアーズロックの麓にある先住民族アボリジニの壁画やマギースプリングスと呼ばれる伝説の泉を見学)→(10:35)アウトバックパイオニアホテル(11:55)→エアーズロック空港(13:15発 QF-455 3時間フライト)→(16:45)シドニー空港→(17:30)フラマセントラルホテル 泊

(朝の荷造り) 今日はいよいよこの旅の目的というか、すべてはこの日のために設定されているという感じのメーンイベント、エアーズロック、アボリジニの人たちの言葉でウルルという、世界最大級の岩場への登頂の日だ。
 朝の起床は4時15分。ロビー集合は5時45分だが、チェックアウトとして指定されている時間が5時15分だからこの時間をモーニングコールの時間に選んだ。もっとも則は4時前には例によって目を覚ましていたから、その時間になったらもう動き出していた。今日の午後にはシドニーへの出発が予定されているから荷造りは真剣に行う。

(ウルルの夜明け) バスは予定通り5時45分に来た。このバス、時間が結構オーストラリア時間だ。もっともこれは、観光客のほうに責めがあるのかもしれない。我々の利用したホテルはエアーズロックリソートを回るバスの順番の最後にあたる施設なので、いつもいくつかのホテルの客を拾いながら来る。したがってそれぞれで時間をいい加減にすると、その分どんどん遅れてくる寸法。 バスは、最初のサンライズビューポイントへ6時過ぎには到着。全体の位置がどうなっているかあまり定かではないが、昨日とは丁度反対側に来ているものと思われる。我々観光客は夕日のときと同様に太陽を背にして光り輝くウルル(アボリジニの言葉。エアーズロックのこと)を待つことになる。その間に、リュックサック付きでもらった朝食をとった。このリュックサック、結構街でも使えそうだ。
 さて、今日の日の出は6時51分ということで、我々は例によって格好の場所を素早く見つけてそこに陣取る。サンセットのときのフィルムを逆回しにしたような光景が現出される。少し目を放しているとたちまち色が変化している。その変化のスピードは夕日のときより早いように感じられた。その変化の神秘さを見れば、アボリジニだけでなくとも、そこに神聖な何かを感じざるを得ないだろう。こうした姿を見るにつけても、原始の人々にとって神聖な場所あであったことは十分に理解ができる。

(エアーズロックの登山?登岩?) 7時にそこを辞して、いよいよ登山口へ。7時15分にそこから入り口へ向かう。与えられた時間は2時間丁度。ガイドの説明では上りに1時間、下りに40分が平均値とか。我々の体力ではどうなのだろう。少し不安を抱きながらロックへ近づいていった。最初に登り最後に降りる覚悟だ。
 いよいよ岩の端に来た。7時20分登はんのスタート。目の前に立ちはだかる岩は、斜度45度、いやそれ以上はあろうか、我々の近づくのを拒んでいるような厳しさだ。ただ、足場は思っていたよりもしっかりとしていて、スニーカーで十分の踏み心地だった。この後、鎖のところを登ることになるが、あまり鎖を頼らなくてもずべることなく行くことができるくらいだった。
 その鎖だが、日本で調べたときには最初から鎖場が始まると思っていたが、途中までは鎖がついていない。バスの中でのガイドの説明では、この鎖にたどりつけない人は鎖場も無理と判断させ、登はんをあきらめさせるための方法とか。昨日も心臓麻痺で亡くなった人がいるとか、これまでにも何人もの人が転落して亡くなっているとかで、いずれ登攀禁止になるかも知れないとのことも説明された。
 ともかくも、我々はこの第一関門を突破することが何とかできた。しかしこの行程は全体の高々1%程度にしか過ぎない。そこからは更に急峻な坂が待っている。(写真は登山口から登山路を見たところ。上の方に線のようになっているのが鎖。まずはあそこまでの挑戦となる)
 鎖場を少し登っては休み、少し登っては休みが続く。順さんは苦しくなって、動機が激しくなりめまいがしてきた。則は頭が痛くなってきた。高度は大したことは無いのだが、高山病にかかったような感じになる。斜面の少し脇によって休んでも、そこからずり落ちそうな感じだ。おまけにも富士山のようにきれいな傾斜ではなくいくつものこぶのある岩なので、坂は一定でなくおまけにカーブもしているから、鎖場の切れ目が見えない。もうあそこで最後かと思い、体をだましながら登ると、その先にまた鎖場が続く。およそ235メートルほど登ってようやく鎖場から抜ける。これで高さとしては三分の二、距離にして三分の一がようやく終わった。
 頂上地点はまだはるかに遠く、影すら見えない。ここまで来たのだからとKさんご夫妻と励ましながら進むが、鎖場の先もそうなだらかというわけではない。いくつものこぶが続いている。鎖場から少し登っていくとやがてウルルの向こう側に出ることができる。ここへ出ると激しい風に見舞われる。汗をかいた体が急激にこの風で冷やされる。則はキャップをかなりきっちりかぶっていたので問題はなかったものの、順さんは何度か帽子を飛ばされ、その度にゴムで首を絞められる羽目となった(飛んでは行かなかった)。したがってここでは帽子は全く役に立たない。新宿のビル風を更に強くしたのがのべつまかなく吹いている感じ。ゆえに、あまりにも風の強い日には登攀は禁止されるとのこと。納得。更にここからもまだまだ小さなアップダウンが繰り返される。しかし、それもやがて報われるときが近づいていることを知ることになる。(写真上はややなだらかな部分出でてゆったり登る順さん。カタ・ジュタ(英名:マウント・オルガ)が遠望できる。)
 前方に初めてはっきりとした目標をつかむことができるようになった。なだらかな所に人がたむろしているのが見てとれるようになったからだ。そこが目標地点だということは、その人影が揺らぐだけで大きく動かないことから容易に想像ができた。次第に近づくと、円柱状の腰の高さくらいのものの周りに人だかりが集まっているのが見てとれるようになる。あそこだなぁという想像はやがて現実となる。登ってから、則はさっそくその頂上のプレートの写真をとり、遅れてくる順さんを待った。途中までは我々のほうが元気そうに見えたが、頂上に着いたのはKさん達のほうが早かった。これは、Kさんのご主人が奥さんの手を引いて一緒に歩いていたせいで、わが家のように旦那が勝手にさっさと行ってしまうのとは違ったからだ。
 とにもかくにもようやく順さんも8時23分登頂。休むこと無く遠望されるマウントオルガの写真などをとる。晴天なので、見うる限りのものが目に飛び込んでくる。しかしながら感激に浸っている時間をそう長くとっているわけにはいかない。出発の時間を気にしながら、8時半には下山、いや正確には下岩開始。(写真は頂上とされる地点で。この日は最高気温が24度までにしかならないというので登山日和。おまけにハエも少なくて幸い。後方はカタ・ジュタ。帽子を押さえている反対側の帽子の曲がり具合で、いかに風が強いかがわかるだろう。)
 先にも書いたように上の部分はアップダウンを繰り返している道なので、疲れた体にはこれもまたこたえる。何度か則が順さんを引っ張り上げるなどしながら、8時55分に鎖場までようやく戻った。鎖場から下を見ると、目が回るようだ。Kさんご夫妻は鎖をたどって後ろ向きに下っていった。 下に降り立ったときにはバスの出発時間の9時15分になっていた。鎖場をおりて、上を見上げると改めてこんな所をよくもまぁ登ってきたものと思う。急峻なこと、そしてその距離のあること。既に膝が笑って、じっと立っているのもつらいものがある。
 時間は登り始めのところで使い果たしてしまったので、少し遅れてバスへ戻る。我々の後ろには3人しかおらず、うち1人は10分待った後、見切って発車。しかしここには同じ会社のバスが、様々な国の人を連れてきているから、まもなくその遅れた彼も次の見学地で追いついてきた。
 それにしても、せっかくのこの登攀体験をしたのは、同じバスの中では我々4人とあと4、5人くらいだったのではないだろうか。他の人は周辺の散策をしていたようで、涼しい顔で我々を待っていた。これは若いアベックが多いということにその理由があるのかもしれない。いずれにしろ、熟年パワー見たことか。このあと何度も、良く登ったねえという感激の言葉を交わし合った。写真の証明書はこの登攀のおきまりでもらえるやつで、順さんは完全に登ったので一番上の「ウルルの頂上へ登った」という所にチェックがある。以下鎖場のトップの所、鎖場にかかるところ、後は登攀を選ばなかったと、チェックするところは続いている。

(アボリジニ・ペインティング) 9時25分バス出発。5分くらい走ってアボリジニの遺跡へ。最初に説明を受けて、壁画を見に行く。壁画というが、ガイドも言っていたように悪戯書きに近いもののように思われる。狩りの洞窟と呼ばれる、池に近いところにある洞窟の中に描かれた壁画は降雨が続いていたために危険ということで入ることは叶わなかった。この壁画は駱駝も描かれているということで、西洋人が入ってきてからのものもあり、最近のものでは50年前くらいのものから1000年くらい前のものまであると言うことだ。
 最後にマギーの泉(マギースプリングス)へ行く。ここは泉と言うが、実際はウルルに降った雨の水たまりだ。構造上、ウルルへ降雨した3分の1がここに集まるということだ。泉の水はきれいだった。

(さようならエアーズロック・マウントオルガ) 10時35分にバスでホテルへ戻る。ホテルで荷物の整理をして、11時40分に来るというバスを待つが、どっと疲れがでて、ふらふらもせずソファーにボーっと座り込んでいた。いや、しっかり売店でお土産は買った。今回は決してこの行動は忘れなかったのだ。それと少し荷物の整理をした。
 さて、バスは遅れて55分にやって来た。そこから空港へ向かい、12時20分くらいに空港到着。チェックインの手続きをAATキングスの人にしてもらって、搭乗券を受け取り40分位から出発まで自由行動。飛行機は遅れて、13時15分のところ、飛行機が動き出したのは38分で、離陸が42分くらい。
 ところで今回の席は昨日と反対側、つまり帰りもエアーズロックが見える側。ラッキーだ。46分から50分くらいまでエアーズロックが見えた。さようなら、エアーズロック。さようならウルル。遠望してマウントオルガも見えた。さようなら。もし次回来ることがあったならば、ヘリコプターからのお目見えとなろう。

(最終目的地シドニーへ) 14時6分機内サービス開始。ランチ。ここで30分時計の針を進めてシドニー時間にする。16時52分、定刻より7分遅れまで回復して到着。我々は30分近い遅れを覚悟していたが、よかった。
 オーストラリアでは国内線はセキュリティーを通って搭乗ゲートまでガイドが入ってくることができるようで、機内から出たところに迎えのYさんが待っていた。同行の4人のうち則を除いた3人が所用を果たしている間に、わが家のバゲージは殆ど一番に出てきた。Kさんのもまもなく出てきたので、直ぐにバゲージを受け取って、ホテルへ向かう。今日は運転手もSさんで日本人だ。
 17時30分頃ホテル着。滞在中の諸注意を聞いて部屋に入る。日本人と同じ顔つきの人が多いが、そのうちの多くは中国系の人で、流暢に英語を話す。中華街が近いせいもあろう。
 18時40分に再びホテルを出て、日本食レストランに向かう。レストランはシドニーの北にあるので、途中、高橋尚子が走った道や、柔ちゃんが活躍した会場横などを走る。空港も大きく広いし、オリンピックの興奮はまだ覚めやらぬ感じだ。レストランに7時頃着き、食事。今日は勇という日本食レストランだ。日本のホテルの昼食のよく松花堂弁当とされているような感じのものだったが、我々としては感激してご飯をお代わりした。聞けばコシヒカリということだ。日本の米はうまい。
 8時にはそこを出て、20分ほどでホテルへ戻る。風呂につかり、マッサージ薬を入念に塗って9時就寝。疲れたが十分に満足感の持てた一日であった。

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