8月27日(日)

○シュリムアップ空港にてカンボジア入りをする
 則は5時に目を覚まして支度をする。順さんを10分後に起こすも、まだ眠りの中。仕方のないことだが、起こさざるを得ない。5時45分から用意してくれるという朝食を食べに行くが、実際は6時近くになった。食事は則には美味しかったのだけれども、飛行機でも機内食が出るだろうし、少しお腹をあけ解くことにした。泊まったホテルの前は女性ものの洋服(ワンピースやTシャツなど)の青空市場のようなところ。ホテルの屋根の下までそれは張り出している。それを横目に見ながらの出発だ。今日は日曜日と言うことで、朝も早いせいもあるだろう、バンコク名物の渋滞も全くなく、快調にバスは走ってバンコクの空港に着く。
 バンコクの空港はターミナルが二つある。第一ターミナルは昨日到着した場所で、今日はそれと渡り廊下で繋がっている今一つの第二ターミナルの利用となる。こちらのほうが新しくできた分、機能的に作られているし綺麗だ。でも免税店などはあまりない。
 我々の乗る飛行機はバンコクエアウエイズ。機体はプロペラ機で、YS11以来の経験となった。この飛行機二人の客室乗務員が乗っていたが、なんとそのうちの一人は日本人であった。、日本発着便以外で初めて日本語のアナウンスを聞く事になった。見渡せば90%の乗客は日本人である。この路線の大半は日本人観光客を当て込んでの模乗なのだろうか?
 飛行機は定刻前に駐機場を離れたが、結局離陸したのは定刻の9時を少し回ったころであった。55分間のフライトと言うことで、国際線だから?その間に形ばかりの食事も出るし、アイスクリームまで出てくるので結構退屈する事無くシュリムアップ空港に到着。
 シュリムアップ空港は日本の離島の空港のような感じのところで、こじんまりとしている。それでも国際空港であり、パスポートコントロールの手前にはビザの申請カウンターまである。観光ビザの場合一人20$。この用紙は機内でも配られる3つの用紙、すんわち出入国カードと持ち込み品の税関申告書とともにビザ申請用紙が着いてくる。勿論我々は日本からすでにビザの申請を観光会社経由で受けているが、殆ど処理に時間がかからないようで、写真と20$とパスポートさえあれば現地でもビザ取得は全く大丈夫のようだった。現に我々の一行ののんびりとパスポートコントロールに並んだ人よりも、素早くビザ申請した人のほうが早く入国したほどだ。小さな建物だからそこを出ると、今度は直ぐに荷物の受け取りだ。そして出口付近に男の人が立っていて、そこで税関申告書を渡す。つまりそこが税関と言うわけだ。こうして空港の建物を出てくると、バンコクの空港同様にさまざまなプラカードをもった人たちがいる。我々の乗るバスも直ぐに見つかった。

○トンレサップ湖の観光
 バスは田舎道を走り始めた。おそらくは10年以上も前に舗装をしたままの、穴ぼこだらけ、土埃だらけの道だ。現地ガイドによればそのうちにこの道幅の3倍くらいの新しい道ができるそうだ。予定では一旦ホテルにはいることになっているが、まだ12時前でチェックインできないと言うことで、そこでバスが目指したのはトンレサップ湖。この湖は東南アジア最大の湖で、カンボジアのほぼ中央に位置する。雨期と乾期では湖の面積が著しく違うのも特徴で、チベットに源流が求められると言う川を供給源としている。バスはやがてメコン川に合流する湖から出ているトンレサップ川沿いに進む。雨期の今は川が逆流し、トンレサップ湖は面積を1万平方メートルにまで拡大している。喚起にはその4分の一にまで縮小するという。したがって川沿いに建てられている家々の多くは高床式で、裕福ないえばコンクリート製であり、そのほかの多くは木製の床柱になっている。すでに雨期であるから水はバスが走る道の端近くまできており、人々の殆どはゴム製サンダルの生活だ。
 バスはおよそ30分強で船着き場に着いた。タイでも乗ったうしろにトラックのエンジンをつけている船だ。船は10人ほどしか乗れないから我々一行は二つの船に分乗と言うことになった。船は湖の岸に沿って進む。もっともどこからが湖でどこまでが川なのか、定かではなかった。浮き島のようにして生活しているし、最初水性植物のように見えていた緑のものはやがて熱帯植物の水没した頭の部分と判明するしで、全体的に洪水の中を船は進むというような感じで、さまざまなことがよく判らなかった。
 しばらく進むと甲殻類の強い匂いがあたり一面い漂い始めた。見ると屋根など一面がオレンジ色に染まっている。おそらく海老のようなものを干しているのだろう。更に進み、トイレ休憩ということで、浮き島(船?)に上陸。観光客目当てに水などを売っているが、そうしつこい商売をしているわけではない。これはカンボジア全体に感じられたことだけれども、確かに貧しいがそれなりに足る生活をしているように感じられた。そこを出てしばらくいくと湖面が開ける場所に出た。湖の向こうに地球のはてが見えるのだから、これも水平線なのだろう。そのあたりからが丁度折り返しのようで、船はエンジンの回転をあげて進み始めた。やがてまた人々が湖面で生活するエリアに戻ってきて、船のガソリンスタンドなどを見ながら船着き場に帰着。船着き場には一段と貧しそうな子どもたち(彼らは一様に年齢が低かったからここの子どもたちは全てそうなのかもしれない)が「ハロー」と声をかけてやってくる。その意図は読み取れるような気もするが、それ以上のサインはジェスチャーでも示すわけではない。足にサンダルがあるものもいるが、ガラスのかけらなどが落ちている場所を裸足で歩いているものもいる。一行の一人が日航の飛行機の中で出たアラレの入った袋を渡すと、一瞬奪い合いがあり一人の手に落ちた。分けて食べると言うわけではなく、このとき初めて他の子どもたちから手が出た。しかしバスのそばまでは来るもののそれ以上のことはない。自然発生的に観光客に群がった感じである。船などでもその中でものを売ると言うこともなく、それだけ貨幣経済が発達していないのか、彼らなりに裕福な満足する生活をおくれているのか、ともかく模精神的には穏やかな人々の暮らしがあった。ここに生活する人々はクメール人は比較的少なく、その分ベトナムからの難民が多いとも聞いているのだが。
 さてカンボジアに入国しての最初の観光はこうして終わった。そこから空港からの道を引き返す。我々のホテルはシュリムアップにあってもっとも空港に近い場所日するので、殆どまたもとの道中だ。帰ってから直ちに食事となった。食事はバイキング方式で、ホテルのランクのこともあろうが、その食材についていえば豊かなものがあった。味は少し辛いものも一つ二つあったが、おおむねマイルドなものが多かった。食事の後は午睡の時間だ。(左の写真はコンクリート製の高床式の家)

○プノン・バケンとアンコール遠景
 16時45分にロビーに集合して、夕日に照らされるアンコールワットを見に行く。アンコールワット自体に夕日が沈むのではなく、その夕日に照らされる場所で、小山の上に建てられたヒンズー教の寺院跡まで登る。最初に小山。登る時間は10分もないのだが、けっこうただの観光客には骨が折れる急峻な岩だらけの、道というよりは崖を登る。そこで一段平らになったところ(丘のような感じ)があり、Tシャツなどを売る露店がある。汗だくになった顔に「おにいさんお水」と物売りの声がかかる。「かえりにね」と誰かが応じたら、「わたしわすれないから」と返すあたりはなかなかである。
 平らな部分に構築されているヒンズー教の寺であるが、急峻な五層に分かれる階段を登る。特に最初と2番目の階段がきつい。壁面に手をやって登らないと恐怖心が先になる。順酸は初め最初の階段を登ったところであっさりと下りてしまった。三団目からは階段の高さも急峻な度合いも緩和され、やがて最上階の須弥山の基壇の下の部分に至ることができる。ここからの眺めは絶佳である。遠くに巨大なため池(西バライ)や、その横の湖には浮かんだ寺院も見てとれる。さすがにここは人人人と言った感じだ。各種案内書に載っている絶好のビューポイントだからゲニである。そうこうしているうちに順さんも意を決したようで、何とか最上段まで登ってきた。
 最上段の塔の基段部分には男女それぞれの生殖器をモチーフにした神器が置かれているが、それに目を止める人は殆どいない。クメール人は多くは石でできた柱状の男性器を模したリンガ(linga)をシバ神の象徴として崇拝したと言うことだ。そしてリンガは多くの場合その土台に女性器を模したヨニ(yoni)を土台に持っている。つまりリンガはクメール人のヒンズー教においては重要な意味をもつものだ。ヒンズーにおけるシバ神の位置についてはまた別の機会に譲ろう。
 基段の下の部分では物売りが活躍している。スカーフやTシャツ或は笛やデンデン太鼓のような振り回すと音のする竹製の玩具など。ここからはアンコールワットが見えないではないかと思っていたら、東南角のほうに森の中から尖塔が見えていた。あたりはすでに暗くなり駆けていたから、あまりはっきりとは見ることはできなかった。夕日が湖に沈みその夕日の輝きがアンコールを照らすと言う趣向なのだろうが、太陽はどうも今日はお休みのようだ。
 ここでヒンズー教の寺院についてここで触れておきたい。なお以下の説明の原点は現地ガイドさんと地球の歩き方のほか、「Asia Books社」の「ANCIENT ANGKOR」によっている。。この寺院はプノン・バケン(PHNOM BAKHENG)というアンコール遺跡群の一つをなす、朽ち果てている感が強いものの重要な遺跡である。眺望のために皆が訪れることから分かるように、アンコール地方の最も高い位置に建てられた建物でもあり、またその建立時期についても重要な位置にある。ここはヤショベルマン1世(Yasovarman I)によってロリュオス(アンコール文化の発祥の地・・・後日訪れる)から首都をこの地(Yasodharapura ヤーシュダラプラ・・・アンコールトムより大きい4キロ四方のものだったらしい)に移した際に建てられた最初の寺院である。小山から護送の階段を昇った更にその上に四角形の基壇があり、四方に従う4つのやや低い尖塔の中心により高い尖塔を持つ形式のもので、907年に建立され928年に放棄されたということだ。
 さてしばらく夕闇迫るアンコールワットを眺めていると、少し黒い雲が出てきた。青空商店の人たちが片づけ始める。彼らはスコールが近いことを直感的に覚ったものと思う。もりの中からザワザワと言う音が聞こえてきた。雨が近いと我々は判断して基段部分を下りた。更に丘の部分まで急峻な5層の階段を下りるわけだが、未だ登ってくる人もいるので身勝手に急ぐわけにはいかない。しかしながら、思ったより降りることに対して恐怖心は湧かなかった。
 降りたころにスコールの前触れのような雨が落ちてきた。我々は雨の可能性を考え危険な登ってきた急峻な岩場を避けて、観光用の象たちが登ってくる緩やかな道を下り始めた。しかし我々の雨の予感は思ったよりも早く訪れた。下り初めて直ぐに強い雨が降ってきた。道の大木の影で休みをとり、傘を出して下り始めた。途中で象とすれ違う。傘を差した二人の女性がのっていた。ただこの時のスコールは幸いにも軽いもので、我々が下山したころには、小降りのものに変わっていた。残念ながらこうして夕日ツアーは幕を綴じた。

○アンコールワットビールは3本飲まないといけない
 6時10分ころにバスはホテルへ向かって出発した。雨は続いている。おかげで車のクーラーはややきいてきた。6時40分ころホテルに戻り、7時から夕食。またバイキングスタイルだ。ビールを三本飲む。9US$。部屋に戻るが、一斉に風呂を使い始めたようでお湯が出ない。順さんは仕方なく水を浴びて就寝した。


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