8月17日(日) 快晴

0430 起床
 遅い順さんが起きたのが4時30分。連泊なので、荷物を整理する必要もなくのんびりできるのに、やっぱりこんな時間に起きてしまう。

0615 朝食
 ここのホテルは移動がややこしい。まず一つ下へ下がって連絡ロビーを横切り、そこのエレベーターで更に一つ下がる。そこがレストラン。はじめに着いたとき入り口が閉まっていたので、なんて時間にルーズなのだろうとまた上に上がって連絡ロビーのベランダで写真を撮って時間をつぶした。しばらくしてまた行ってみたが、同じ様子なので、がっかりしたが、話し声がするので奥の入り口へ行ってみるとそちらが解放されていた。
 海側だけが使われていたのだ。食数はまあいつもの通り。適当に摂っていると、鳩がやってきて順さんの卵を突っつき始めた。追い払われると今度は盛りつけてあるスイカをついばみ始めた。ここでは鳥と戦いながらの食事になる。
 が、景色は十分に堪能した。昨日と違って明るいので旧市街が見渡せる。赤い屋根と高い塔、目の前の青い海がもう何ともいえないくらいにマッチしていて、まさに絵はがきの世界。ホテルの前はプライベートビーチになっていて泳いでいる人の全身が見えるほど水は澄んでいる。

0807 出発
 今日は目の前のドブロヴニクではなく、隣の国「モンテネグロ」の観光となる。海岸沿いの直線距離でいうと約60kmほど離れている。

0820 ビューポイント 町を見下ろす
 バスは、スルディ山の麓で停車。ここからはドヴロブニクの町が一望できる。東京とは違っていいお天気なので、向かい側にあるロクロム島もよく見えた。ここは一部の海岸がヌーディスト専用になっているのだそうだ。勿論、こちら側からは見えない。 

0900 国境通過 モンテネグロへ入る
 いよいよ国境通過となる。写真は差し控えるようにといわれたので、自粛。今までも陸の国境越えは簡単だったが、ここもたったの5分で過ぎてしまった。いつもなら乗り込んでパスポートのチェックなどもあるそうだが、何しろ暑くてたまらないので、早く行けと言うように手を振られておしまい。そう、今年日本は冷夏だが、ここヨーロッパは各地で猛暑が続き、死者も多数出ているという状態なのだ。スペインやポルトガルではそのせいで山火事が続いている。地球がおかしくなっていると言われる所以だ。
 ここから、モンテネグロのガイドも乗り込んできた。旧共産圏らしく、地元のガイドがいないと観光が許可されないと言うことだ(モンテネグロでは政府を旧共産党が掌握していると言うことだ)。しかし、このガイド、何をするわけでもない。添乗員さんの説明によると、監視役のような役目も兼ねているとのことだ。そう言う意味は、インツーリストの時代ではないからあまり無いとおもうが、どちらかと言えばもう一つの説明、失業者対策というのが妥当だろうか。
 バスは海岸に沿って進んでいく。途中沢山泳いでいる人を見かけた。これだけ暑くて、これだけ水がきれいだったら当然のことだろう。また、牡蠣の養殖をしているところも何カ所かあった。この辺りでは盛んに行われているらしい。でも、クロアチアの人に言わせれば、クロアチアの牡蠣が世界一なのだそうだ。

1000 旧港通過 フィヨルドになる
 この辺りはフィヨルドですよ、と説明を受けて、今年の夏のテーマは実はこれだったんだと二人で顔を見合わせた。7月のノルウェーは初めからフィヨルドが目的だったのだが、まさかここでもお目にかかれるとは思ってもいなかった。というより、この辺りにまで氷河が入り込んでいたとは意外だった。
 昔の港です、という所を通過すると間もなくヴェリケという所に到着。ここでは二つの小さな島が見えた。一つは人工の島らしいが、両方とも教会が建っている。その海上に鎖を巡らせて外敵の侵入を防いでいたという。
 しばらく走ってから、また反対側から写真を撮った。

1045 世界遺産コトル着 市内観光
 さて、コトルの観光と思ったら、モンテネグロの役人のような人がやってきて、同行のガイドには資格がないので説明はまかりならんと言う。と言ってせっかくここまで来て観光ができないなんてことは許されるはずがない。ということで団体行動を取らないように、大きな声で説明はしないように見せかけの注意をしながら回ることとなった。こういうとき、イヤホンガイドがあって助かった。
 まず「海の門」をくぐると小さな広場に出た。正面には時計塔、左側には昔の貴族の館(ヴェネチア君主)というのが並んでいた。時計塔の前にぢじんまりしたピラミッド型の柱があったが、これは中世の処刑台なのだそうだ。
 それから細い路地を通って大聖堂へと出る。二つの塔を持つ聖トリフォン大聖堂だ。アルメニアの聖人トリフォンを祀っているとのこと。なかなか見応えのある外観だ。元々は12世紀のロマネスクスタイルの建物だったのが、17世紀の大地震によって崩れ、ルネッサンススタイルのものに立て替えられたのだという。ここは観光客であふれていた。その左側の建物に、古いツイン窓があった。
 それからまた狭い路地を歩いて小さな教会に出た。15世紀のゴシックスタイルの教会だ。元々はカトリック教会だったのだが、後にセルビア正教会になった。その横に大きなセルビア正教会がある。これは20世紀建設という新しい建物だ。
 その後、自由時間になったのでまた大聖堂へ行って写真を撮った。集合してバスへ向かう途中またいくつかの説明があった。海の門の外で市場を開いているところだが、昔は閉門された後戻ってきた漁師たちの宿泊所だったという。ライオン&聖書のレリーフがあった。これはベネティアのシンボルで、この地がベネチアの庇護(属国)におかれていたことが分かる。
 コトルの背後の山には、万里の長城のように城壁や、所々には砦のようなものが続いており、急峻と思える背後からの守りも固めていたことが分かる。

1140 ビューポイント
 しばらく山道を登るように走っていくと、突然バスが止まった。ここからコトルの町が見られるというのだ。なるほど素晴らしい眺めだ。コトルの町が一望できる、まさにビューポイントだ。

1155 検問
 快調に走っていたバスが突然止められた。何事かと思ったら、大学生のアンケートに協力して警官がバスを止めたのだ。信じられない。

1220 昼食(野菜スープ、子牛のマッシュルームソースかけ、ケーキ)〜1330
 レストランは海沿いにある。その一番海側の席に陣取って食事をした。目の前では泳いでいる人よりも日光浴をしている人が多くて、目の保養(?)になった。こちらの人はみんな大胆な水着で、当然のように肌を大胆に露出している。ここでなら順さんも堂々と肌を見せられそうな気がする。

1340 世界遺産ブドバ着  市内観光(大聖堂・セルビア正教会・ドミニコ派教会)〜1415
 食事の後少し海岸沿いに歩いて市街地へ向かう。こんなにきれいな海なのにやっぱり魚は住んでいた。ただ、水上タクシーが沢山待ちかまえているところなので、岸壁沿いはゴミが多くて汚かった。
 入り口に大きな鐘があった。由緒あるものかと思ったら、かつて映画の撮影に使ったものだそうだ。がっかりして門の中に入り、少し階段を上ると小さな広場に出る。それを囲むように大聖堂、セルビア正教会、ドミニコ派教会が並んでいる。
 まず大聖堂を見る。大きな塔を持つ大きな教会だ。外観は今まで見た大聖堂とほぼ同じ。
 次に隣にあるセルビア正教会を見る。といっても一般の人は入れないので外からのみ。セルビア正教会に入れないのは、宗教上の異教徒を入れないと言うよりは悲しい歴史からのためらしい。相互にそうだったらしいが、セルビア人の集まる教会はしばしば虐殺の舞台になったためらしい。穏やかなアドリア海のふうけいのなかにあってもなお、こうhした旧ユーゴ地域の血塗られた近代史、現代史の強烈な姿が時々以降も顔を出した旅であった。
 向かい側にあるのはドミニコ派教会。17世紀に初めてモンテネグロに学校(義務教育?)を設立し、ここがその跡なのだそうだ。今は閉鎖されている。
 それから城塞に上って散策
。見張り塔や壁の様子がよくわかる。すぐ下は海というこんな所によく築いたものだと感心する。15〜18世紀にヴェネチアによって築かれたのだそうだ。それにしても海のきれいなこと。海を入れて写す観光写真がまたできあがった。

1435 スベテイ・ステファン島(ホテル)〜1545
 しばらく走ると眼下に島が見えてきた。これが島ごとホテルというステファン島だ。写真で見たとおりだ。が、実はホテルというのはこの島だけではなかった。海岸線に並ぶ家々も実はホテルなのだそうだ。国で経営しているからこんなことができるのだろう。道には自家用車がいっぱい止まっているので、バスは苦労しながらやっとの事で駐車場へ着いた。ところが、そこには自家用ヘリが駐機していて、バスは入れないという。交渉の結果、何とかは入れるようになったが、はてさてどんなお偉いさんが来ているのだろう。
 島へ渡るには桟橋を渡る。が、驚いたことに右側は島のホテルのプライベートビーチ、左側が一般ビーチと区別されていた。と言っても何か監視員がいる風でもないが、おそらくは厳しい掟のようなものが暗黙のうちに存在しているのだろう。(写真の左側の赤い転々が庶民のパラソル、左側に少し見えにくいが青い転々がぱらぱらあるそれはホテルへ泊まれるだけのステータスのある人たちのパラソル。)
 さてホテルすなわち島の入り口で手続きをして見学となったが、すぐに階段だ。平らな所は一カ所もないくらいに階段続き。お客さんも大変ですけど、ポーターさんはもっと大変ですと言っていたが、まさにその通り。これで雨でも降った日には、目も当てられない。
 上り着いた所には小さな教会があった。15世紀のものらしいが、ここは少しだけ中に入ることができる。則がバンダナのまま入ろうとしたら、男性は帽子を取ってください、と注意された。バンダナって帽子?内部にはイコノスタシス、と説明されたが、今ひとつわからない。
 帰り、海岸へ寄り道。塩化ナトリウムと石灰の作用でできたピンク色の珍しい石を拾う。石灰岩地形のこのあたりにはいわゆる砂浜というものはほとんど存在しない。左の写真(赤いパラソルつまりはコカコーラの宣伝の入った庶民側の海岸)でも、小さな石で海岸は出来ており、その地面が何とはなしに赤みがかっているのが分かるだろう。
 またパラソルに下の日陰には人間ではなく手荷物があり、ヒトはいっぱい太陽の恵みによくしている姿も日本とは違っておもしろい。
 バスに戻るときに、入り口にいたヘリが丁度飛び立とうとしている所で、誰が乗っていたか定かではないが我々もしばし足止めを食う。

1620 船着き場(左コトルまで12km、右ブドバまで22km)
 ここからはフェリーで少し近道をする。小さいフェリーなのに車が結構行列して並んでいる。こりゃあ次の船だなあと思っていたら、強引に乗り込んでしまった。

1633 フェリー乗船〜1640
 さてその乗り込み方がすごい。後ろのシャッターをあげないまま、つまり我々のバスはそこにおしりの部分を乗せたままのスタートとなる。こんなことってあり?と思いながらバスから降りる。左側のバスが我々のもの。かろうじてフェリーの中。
 フェリーはすぐに対岸に着いた。
 フェリーを下りて走り出すとバスは直ぐに止まった。おそうしきの行列に巻き込まれたためだ。でもクラクションを鳴らすと言うことはない。列の後ろについて、ゆっくりとバスは進んだ。こうした際にもいらいらするのはドイツ人だけだそうだ。時をきちんと刻むと言うことと、悲しみを共有するということでは、どちらが人間的なのだろうか。

1750 モンテネグロ出国 クロアチア再入国
 帰りは何の検査もなくさっと通過。ここで名ばかりのガイドさんを降ろす。

1820 ツァブタットの港町着 (聖ニコライ教会)〜1835
 夕日が沈む所で美しかった。
 セントニコラス教会も夕日に映えて美しかったが、気温はかなり高かった。みなは裸に近い身なりなのに、日本人一校だけがえらく着込んでいて異様でかえって恥ずかしかった。

1840 夕食(シーフードサラダ、カジキマグロのステーキ、フルーツサラダ)〜2000
 未だ両替をしていなかったので、急遽クロアチアクーナをシティバンクのカードでおろしてワインを飲んだ。シーフードは美味しかった。

2040 ホテル着
 右の写真はホテルのフロントの先のテラスから見た夜のドヴロヴニク。

2200 就寝

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