8月21日(木)〜22日(金) 快晴

0545 起床
 いつも通り。ただ、暑いので、飛行機に乗る前に着替えるようにということと、スーツケースの中には絶対に電池類を入れないようにということに気をつけて、最終的に荷物の確認をした。
 この電池を入れないというのは結構面倒だった。パソコン、目覚まし時計、血圧計、体温計、携帯電話、ひげそり等々、今の時代の物はかなり電池で動く物があるからだ。

0610 朝食
 早く行きすぎたのか、食べているうちにいくつか追加された物があったが、まあ、数的には少ない。

0830 バス発
 歩いてもいけない距離ではなかったが、あまりにも暑いのでバスで入口まで連れて行ってくれることになった。ほんの5分ほど。右の写真はほぼ一週間我々が乗ってきたバス。車体にはドヴロヴニクの絵が描かれている。

0840 旧市街観光(フランチェスコ教会、サウナスパ、魚市場、市庁舎広場、西門・鉄の門、泉、古い館・現ピザ屋、修道院、東西南北の通路中心点、北門・ゴールデンゲート、司教の立像、ルネッサンス様式の家・井戸、大聖堂、ゼウス神殿、宮殿、南門・シーゲート、自由時間・塔に登る)〜1200

 <始めに> 最初はみんなで歩くことになった。くれぐれもはぐれないようにと念を押された。かようにわかりずらい街らしい。添乗員さんによるとモロッコのフェス以上だという。
 最初に築地の場外のような所(魚市場)を通り、町の中に入っていく。

 <4つの門> ここはやはり大聖堂と4つの門が楽しみな所だ。
 4つの門はこの市街地にはいるための出入り口で、それぞれ東西南北の名前のほかに銀の門(東)とか鉄の門(西)、正門(南)、金の門(北)と言うように呼ばれている。
 我々はまず魚市場を見学して、西門から中に入った。そこから市庁舎の広場へ。修道院を通って東西南北の門の十字路から北門へ向かった。と、そこはさっきの修道院の裏側に当たっていた。ここは別名金の門。と言っても豪華なのではなく、ここから貢ぎ物を運び入れたことからついた名だという。偽物の貢ぎ物を持ってきた物はここで殺してしまったと言うが、そこに修道院と教会があるのはおもしろい。
 この門を出ると大きな立像がある。これは司教の像で、足の親指をなでながら願い事をするとかなうというので、もうピカピカに光っていた。

 <大聖堂> それから大聖堂の中を見学した。ここは元々は異教徒(イスラム教)の建物だった所を後に征服したキリスト教徒が教会に手直しした所なので、当時の八角形がそのまま使われている。入り口には黒いスフィンクスが座っている。当時の権力者がエジプトから持ってきた物だそうだ。
 向かいにはゼウスの神殿と呼ばれる洗礼室がある。ここにも黒いスフィンクスがあった。
 この洗礼プールは今は使われてはいない。また、ここにあるキリストの像も後で造られておかれたものだ。

 <ディオクレディアス宮殿> その後地下に下りて宮殿に入った。
 まず、スライドで概要を聞き、見学に入る。広い地下は今も発掘の途中ということで、特にめぼしい物はないが、とにかく広い。そこで、今現代絵画展のような物が開催されていた。そういえば通路も現代の芸術家に開放されていて、自分の作品を並べて売ったりしていた。ここはそういうことに力を入れているのか。

 <塔に上る> それからしばし自由時間となった。
 始めに青空市場へ行って、それからまた大聖堂へ行った。順さんはあまり乗り気ではなかったのだが、則は大聖堂の塔へ上るのだという。すったもんだのあげくに結局は上ることになった。入り口のお兄さんに何段あるか聞いたら183段ということだったので、そのくらいならと、順さんが妥協したのだ。
 上り口は人一人がやっと通れるくらいの狭さ。結構急な感じだが、手すりがあるのでそれも順さんが妥協した理由の一つになる。そこを上り始めるとすぐに上から人が下りてきて、すれ違うのに体をくねらせて苦労した。それからも急な階段、狭い通路で、悪戦苦闘。ひどい所は手すりもないし、階段の段差も高いので、順さんは四つんばいになりながら上った。この時すれ違う人がいなかったのが幸いだった。それを過ぎると後は新しく造られた鉄板の階段なので上りやすかった。幅もありすれ違うのも楽にできた。
 後何段、という順さんの数え声がゼロに近づいたとき上に到着した。さすがに見晴らしはよかった。360度街を一望できる。しかもよいお天気だから、視界を遮る物は何もなく水平線まで見通せる。海も街もきれいだった。
 この塔は登ってよかったと思った、

1200 昼食 〜1330
 魚がひとり一匹出てきた。
 食事のあとは、もう帰国の途につかなければならない。スプリットの空港に行き道すがら、サッカー場を見た。小国ながら、前回のW−CUPではクロアチアは三位に入った強い国なのだ。

1410 スプリット空港着(大急ぎで着替える)
 空港で着替える時間をくれるのかと思っていたら、そんな時間はありませんと言われて少し焦ったが、近くに障害者用のトイレがあったので、考えるより行動ということで、すぐに順さんが飛び込んで着替えてきた。躊躇する則を追いやるように同じことをさせて、スーツケースにしまい込んでいる頃、搭乗手続きができた。
 後はいつもの通りのエックス線検査を通って出国手続き。これでクロアチアとはお別れだ。全員のスーツケースもこれと言ったトラブルもなく無地に通過。写真は順さんの赤いスーツケースが機内に運ばれる様子。

1617 離陸 AZー7545
 16時20分の予定なのに、早めに離陸。
 クロアチアの大地ともこれでお別れだ。

1634 軽食
 前回と々サンドイッチだったので、二人ともハムの方にした。

1725 ローマ空港着陸
 早めに出たのに着陸は5分遅れた。

2150 離陸 AZー7788
 長い旅が始まる。今回は3人席の通路側。出やすくていい席だ。しかも今度は個人のテレビがあるので、ゲームや映画を楽しめる。順さんは相変わらず映画を楽しみ、則はゲームに没頭して時を過ごした。

2250 飲み物

2340 夕食
 夕食後、それぞれにペットボトル1本ずつが配られた。なるほど。
 その後、消灯となり睡眠。

以降日本時間 +7時間(22日)

1330 電気がつく
 が、実際にはこの少し前から目が覚めていた。軽食のサービスだ。

1610 成田第二空港着陸
 日航の運行のため、行きとは違って第二に到着。手続きを終えてから、スーツケースにおみやげなどを詰め込んで宅配業者に委託

1716 スカイライナー乗車
 今回も調子のよい電車に乗れた。

1850 自宅最寄り駅着

飛んできた直前ページに戻る