Egypt 旅行記(2004年12月25日)

<目次>



<エジプトという国:出国前帰国後>

  エジプトは期待にそぐわず面白かった。やはり歴史のある国というのは奥が深い。その中でもラムセス2世が一番印象に残った。権力者というのはすごいというのを改めて思い知った。と同時に長生きも大事な要素だ。
 建築王と言われたその建物もすごい。権力の誇示のためとはいえ、自分の像をあれほど造って、しかもケチっぽく小さいのなんか造っていない。メンフィスのに代表されるようにとにかく大きい。
 また、全体には、装飾のレリーフに心を奪われた。ただ造るだけでなく飾りを施すという考えがすごい。それも半端じゃない。余す所なく装飾で埋め尽くすのだ。おかげで当時の考え方や生活の様子がわかる。落書きでも時代を経れば貴重なものになるのだから、意識して書かれたものはなおのことだ。
 健康面については、生水を飲まない、生野菜を食べないことに留意したせいか、至って健康で過ごせた。何よりだ。シナイ山も心配したが、行けて良かった。この足で登ったのは、ペールーの古道ハイクよりもシナイ山の方が大変と聞いて、ペルーの古道ハイクに挑戦したくなった。
 人々について、バクシーシが心配されたが、そんなことは全くといっていいほどなかった。物売りも決してしつこくはなかった。トイレチップも空港などはきちんと「ノーチップ」 と表示されていたし、他の所でもはっきり拒否すればそれ以上のことはなかった。まぁそんなにヘビーな所へ行かなかったからかもしれないが、雑踏の中にあっても、いやな思いはしなかった。ただ、(日本人?)観光客ということで、値段を相当ふっかけるのには、正直購買意欲を無くした。彼らはまた日本人は英語がうまくないと承知しているので、時に理解できないことにしてごまかしたりもした。
 また郵便事情はかなり悪いと聞かされていたが、現地から出した葉書も1週間から10日で無事に着いた。ただ同時に出しても、同じ区内や自宅でも別々の日に届いたのには驚いた。(写真は、ルクソールから日本の人たちに送った絵はがき。・・・現地作成。はめ込み画ではない。)


<今回の旅行社は・・・>

 ところで、今回は日程の関係もあって、我が家にとって新しい旅行社を利用した。旅行社はアンケートを配る。それがどのように反映され新しい商品になるのかわからないが、不思議な旅行社だった。おもしろい方面に出かけるので、日程が合えばひょっとしたら利用することもあるかと思うが、積極的にはなれなかった。そうアンケートに書いた。
 このたびの中で、と言ってもたかだか11人だけれども、初めて利用者は我々だけ?だったかもしれない。中には15回以上利用している人も二人いた。それはこの旅行社がほとんどリピータによって成り立っていることを示している。この理由がわかるような気がしたのが利用したくない同時にも理由なのだ。
 それは、個人参加の割合が大きく(夫婦で参加したのはもう一組だけで、その方達もほぼ同様の感想を持っていた)、その人達の添乗員への要求が高いのだ。多くは個人的なものと思われるが、我々が一度だけ部屋の空調が効かなかったことがあるのだが、その対応はすばらしかった。だが、1月7日の日に書いたように、通路側にせよという客の要求を受けて、我々まで通路側になってしまった。エジプト航空の利用機は2−4−2配列なので、夫婦者にとっては別に窓際でよいのだ。あえて変更する必要もないのだが、そうした要求が出ると、そうした要求に直ちに応じてしまうのだ。わがままな人達には好都合なのかもしれないが、そうした対応に追われてしまう状況は得てしてバランスを欠く結果になる。
 我々の行く所とこの旅行社の得意分野がかなり一致するので、よくこの旅行社と機内で一緒になる。ある時日本へ帰る経由便で、寒いという客のリクエストに応じて、経由地までの短い飛行時間の中で勝手に飛行機内のブラケットを持ち出し使い果たし、肝心の日本への飛行時間に、掃除でそれらは回収されてしまいその人達も含めて寒い思いをしたことがある。その時何と乱暴な・・・と思っていたが、あぁこういうことなんだなぁと思った。そうとわかれば、今度日程的な問題で利用するときには、そう覚悟をすればよい。ここのよい所は、土曜日出発など、勤労者を考えた日程が多いことだから。
 ついでにほとほと客の要求で疲れ切った添乗員氏には悪いが、後日相当時間がたって送られてきた「旅日記」なるものも、我々がメモをしている域を出ないもので、これまた失望させられた。


<スマトラ沖地震&インド洋津波・・・日本でお騒がせ>

 今回の旅を初めて3日目あたりに、メンバーの一人が、CNNを見ていたが、インドネシアで大きな自信があった。また更に津波が各地に押し寄せ、「Tunami」って英語なのね、そのニュースばっかりやっている・・・てな話しが飛び交った。我が家も、ペルーの人質事件直後は海外旅行中もニュースに敏感にならなければと、短波放送を受信出来るラジオなども買い込んでいたが、これが存外重たくて、最近は持って歩いていない。
 しかしながら、今こんなのんきなことを言っているが、関東地方はとうに地震の危険期間に入っている。未だ起きないのが、確率的には不思議なくらいなのだ。
 現地ガイドが早速新聞などを読んで解説をしてくれた。でもそこは旅行を趣味としているような人たちの集団だから、プーケットはどうなったとか、ボロブドゥール(今回ほとんど被害を受けなかったはずだ)に行っていないが当分いけないだろうとか、そういう何処か遠隔地にいるということもあり、はじめはのんびりしていたものだ。しかしながらソマリア(アフリカの角と言われている)などでも被害が出ているという風に聞くようになって、次第に災害の実態がわかるようになってきた。ついでに言うと、こんなに日本人が来ていて、日本人がお金を落としているのに、シュラトンでも日本語放送のテレビチャンネルはなかった。アルジャジーラとか、アラビアの放送はいっぱいあったが。
 我が職場でも、インドネシア(バリ島・・・今回被害にはあまり遭っていない)に休みになると出かける人がいるのだが、当然休み中13日間出かけていることを知っていたので、私もどうしたのだろうかとの思いもあった。
 しかしながら、今回の災害で、「自分たちが他人に心配をかけている!」などとはみじんにも思わなかった。成田から帰る途中では、電車のつり革広告を必死に追って、15日間の空白を埋める努力を試みはしたが、この空白こそが問題であったとは認識していなかった。勿論休暇や旅行の届けは職場には出してある。世間的に後ろ指を指されることはないはず・・・だった。
 はたして、帰国した日、兄から電話が。「いるのか?!」・・・実は兄は鮮魚業に従事しているが、隣のうちが店に赴き、「弟の家が暮れからずっと留守だが、今回の津波に巻き込まれたのではないか?」と心配をされたのだそうだ。なんとも、隣近所の間が希薄になっているこの時代に、ありがたい話しではあるし、また日頃あまり近所づきあいをしていない我が家の報いでもあった。反省することしきりなり。ごめんなさい。