第二日目 7月21日(土) はれ・くもり
 アジア三大仏跡のひとつで世界遺産のボロブドゥール遺跡、インドネシア最大のヒンドゥー教寺院で世界遺産のプランバナン遺跡観光。
                 H:中華料理:インドネシア料理  ジョグジャカルタ泊
 
【朝】
 朝、(多分)コーランの声で4時30分頃起こされる。しかし、この国はイスラムといってもそう厳格な物ではないようだ。コーランの声もどことなく遠慮がちだし、空港に祈りの場所も見あたらなかった(後から聞いたら狭いところだがあるそうだ)。
 朝食は6時から。日本時間で言うと8時だからお腹が空いた。中国風のレストランで、バイキングなので則でも食べられた。食事の後、ホテルの前に出てみたが、通学ラッシュのようで道路はにぎやかだった。自室に戻って眼下を見ると、学校のようで、その校庭で運動する子、バイクで乗り付ける子、小さい子を送ってくる親子などが見られた。皆同じ門を通って入ってくる。
 ジョグジャカルタには大学が50以上、専門学校も30以上もあり、学園都市であると同時に、日本の京都といわれる古都とのことだ。確かに若い人達ばかり見かける。これだけ教育に熱心であればこの国の将来は明るいのではないだろうか。
 朝食の後は、しばらく休憩タイムとなる。出発予定は8時10分なので少しゆっくり。
 バスは8時12分に出発。最初に我々より高いハイアットホテルに向かう。門構えからして違う。そこを8時30分に出発してボロブドール遺跡へ向かう。
 
【ボロブドール】
 バスは小1時間走って、今日の、そして今回の旅の最大の目的であるボロブドールへ到着。物売りがすごいですよと聞いていた割には、時間が早いせいかたいしたことはなかった。
 ここは既にインターネット上でも沢山の解説が読めるし、今更我々が改めて説明することはないと思うが、概略だけ述べておきたいと思う。
 ボロブドールは小山になっている。小山と書いたのは、外側は石だが、中身には土が入っているからだ。さて、その小山は3つの部分に分かれている。第1は基壇の部分でこれは一段。そしてその上に方形の釈迦の生前からの一生をレリーフにしている段が5段。その上に、3段の円形の壇がある。
 勿論釈迦の生前からの運命論的一生の世界は、その死語に作られた物であり、それが確立していた頃のものであり、ボロブドール自体はそう古い物ではない。
 さて、そのボロブドールを途中省略しながら螺旋状に上へ上へと上がっていく。円形の部分までは土中に長くあった(火山灰に覆われていた?)ために、比較的保存状態はよい。発見以来の修復の過程で、特に下層部分では仏頭部分が盗まれているなど痛々しいところがあるのだが、全体の美を損ねるほどではない。。
 円形の部分には沢山の小ストーパがあり、中に如来が安置されている。この3段ともそのストーパの外に開いている小窓というか穴の形は下が菱形、中間は四角とそれぞれであり、最後のメインストーパだけは穴はない。
 下の方の1つのストーパは王が造ったものということで、女性はその中の如来の足の裏を触ると幸せになるということで、順さんもしっかりと触っていた。
 中央のメインストーパのところまで上れるので、勿論我々も上ったが、アンコールワットのように急峻な物でなく比較的簡単に上ることができた。また、その周りを奇数回回って正面で祈るといいというのでそれもやった。
 ボロブドール遺跡もやはり謎部分が多いと言うことだけれども、そして土中に沈んでいたと言うことだけれども、階段の急峻でないことなどを考えると、この巨大遺跡はやはり信仰心厚い人が上ることを考えて造られているように思う。周りの釈迦の生前の世界、そして涅槃に至るまでの世界は、そのまま教典になるのだろうし、中央の何もないストーパだけの部分は更にその完成を目指す部分なのだろう。だがこの周りには僧院らしきものはない。これだけのものがあるのだから、周りには相当の数の僧侶が居住し祈りの生活をしていたであろうものと想像されるが、そうした遺跡について、メインストーパからの360度の視界の中には何も見渡せなかった。森の中に埋もれてあるのだろうか?余韻を残しながらボロブドールを後にした。
 
【銀細工の店】
 次に銀細工の店へ行く。少し大きめのブローチでも4000円くらいであり、我々も少し値切ってみたが、この程度のことで、随分とあこぎすぎる気がして途中で止めてしまった。でも、今思えば、それなら買ってあげればよかったのに。
 その後昼食。中華料理ということで、ビールを2本飲んだ。食後にジャワティーを飲んだが、特別どうということもない茶であった。
【プランバナン】
 それからジョグジャカルタの近郊のもう一つの名所であるプランバナン遺跡へ行く。実は、ジャワは大きな地震に遭っており、中心にある堂宇の18ほどが修復されている。修復が必要なものが200余りあり、これらヒンズー寺院群の多くがまだ瓦礫と化したままになっているらしい。実際に帰路そのような場所を通ったが、この瓦礫をどうして組み立てられるのかと思うほどの惨状だった。
 ヒンズー教の中心神に3つあるが、そのうち最も信仰を集めているのが破壊の神といわれるシバ神である。我々は中心にあるシバ神の塔に入る。ここは3つの部屋に分かれており、シバ神とその子どもとあと一つ(忘れた・・・奥さんだったような気がする)だ。シバ神の部屋は一番大きく、シバ神の像が台座に載っている。台座は女性を象徴し(名前を忘れた)、シバ神本体部分がリンガといって男性を象徴している。これは、アンコールワット寺院群のそれと同一だ。つまりは、文化的な或いは時代的な接近を見て取れる。
 
 ボロブドールを中心に考えていたので、プランバナンがこれほど素晴らしいものだということは思わなかったので、むしろこっちの方に感激した。
 特に遠景から見るプランバナン遺跡は素晴らしく、日没か日の出の時に見たいと思った。実は、ここに昼食後行ったのは、スコールがあるかも知れないとの情報があったからだ。実際に車を進めると程なく道路が濡れており、スコールがあったのがわかった。この時期、乾期であるが、今年は雨期の期間が7月まで続いているとのことで、まだスコールがあるらしい。東京で見たインターネットの天気予報でも「シャワー」の表現が見られたから、そうなのだろうと思う。
 日本では年がら年中異常気象という言葉を見聞きしているけれど、自然が沢山残されているジャワでもその波が押し寄せているのだろう。ブッシュにも聞かせてやりたいものだ。
 
【影絵の店】
 それから今度は影絵の店へ行く。影絵を見せてそれから民芸品を売るという趣向の店だ。影絵は水牛の皮、これをなめすと茶色の少し残った透明で丈夫なプラスチックのような板ができる。それを水牛の骨を使って影絵の像を作っていく。影絵のショーはライブの音楽付きの物であったが、影絵に付いている色は別にセロハンに付いているわけでもないので、あまりよくわからなかった。また、インドネシアの納豆という物をご馳走になった。油で揚げてあるので、日本のとはだいぶ趣が違うが、名前は納豆だ。ここでも、我々は買い物はしなかった。
 
【更紗の店】
 次にもう1件、今度は更紗の店に行く。ここでまた、最初に染色行程を見る。それから売り場へ。さすがにここがジャワ島の最後ということで、バンダナとネクタイを買う。だが、たいした値段の物ではない。ネクタイが5万Rp,バンダナが4万2千Rp、計9万2千Rpの2割引で、結局7万3千Rp.日本円にすると約900円だ。それでも現地の物価からするとだいぶ高いように思ったが。
 
【就寝】
 最後に夕食の場所へ。ジャワ料理のバイキングだ。ここでもビール2本を飲む。料理の中では日本の焼き鳥のような形状の物が食べやすくて味もまあまあであった。
 そこからホテルまでそう時間がかかることなく到着。明朝早いので、スーツケースの整理をして入浴しすぐに就寝。まあ、満足のいく一日であった。