1月3日(木) ローマ観光

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 昨日の予定もけっこうきつかったけれども、今日の予定は時間的にもそうだが昨日以上に厳しいものがある。なぜなら移動時間があまりなく、観光時間が多いからバスに乗って体を休めるという時間が少ない。我々は今回は二組の夫婦しか乗っていないから、大型バスを好き勝手に使っていたのでバスの中は存外快適な旅が保証されていた。しかし今日は例外的に殆ど徒歩観光となる。この事情は、ミレニアム(それがキリスト教徒にとってどんなものだったかは想像の域を出ないけれども)に押し寄せる観光客に対応する為、ローマ市がとったのが、観光バスを排除するという方式だった。今では少しそれも改善されているらしいが、一番厳しい時代はツアーにあっても公共機関、主に地下鉄そしてバスを利用しての観光だったらしい。その分スリも活躍の場があった?らしい。

 最初の見学はバチカン。世界一小さな国、カトリックの総本山のあるところ。サンピエトロ大聖堂を中心とした、巨大な建物群。最初に我々はバチカン博物館から見学した。もちろん昨年のあの事件のせいもあろうが、ここでの入場時の検査は厳重だ。丁度飛行場の搭乗ゲートに行くときと同じだと思えばよい。バチカンの性格上、おびただしい宗教関係の芸術品が収蔵されており、本来ならとても短時間に見学がかなう場所ではない。しかし我々はまたもや駆け足見学だ。初めに中庭に出て見学。かつて公衆浴場の目印にされていたという巨大な松ぼっくりの像を中心に据えており、松ぼっくりの庭園と呼ばれているところで、囲んでいる回りの建物の美しさしさもすばらしいものがある。中央には球と名付けられて球体の現代オブジェがあるが、それも違和感なく入ってくる。そこでしばらく時間をとってもらい、中にはいる。

 最初にコンスタンチヌス帝の妻と娘の棺を見る。入り口付近にはかなり古い時代の、ギリシア彫刻のような像が集められている。これは法王制度が成立してからの時代に、この地にあったものを蒐集したものと言うことで、ただしこの地の古代彫刻については、ギリシアなどの影響を受けたものが殆どで独自性を発揮したようなものはまりなかったと言うことだ。それでも走る少女の像?などは足の筋肉までも写しており、また胸から腰にかけては子供から大人への過渡期の少女の体を美しいフォルムにして現しているなど、見るべきものも多い。(左側がコンスタンチヌス帝の妻のもの。右側が少女の像。)
 次にタペストリーの部屋。ここには例えばキリストの誕生を知った王が、その地の2歳未満の子供をすべて殺すという残虐な行為に出たわけだが、それをモチーフにした作品などを見た。ここだけはかなり照明が落とされていて、織物の保存は大変だと思った。ただこれらはあまり古い時代のものではなく、ラファエロの弟子たちの手によるとも言われている。次は地図のギャラリー。ローマ帝国が当時その勢力を世界中にのばしていた往事がこれを作らしめたと認識させられるもので、細かな点まで描かれている。芸術的な価値もそうだが、歴史的な展でも興味深いものだ。

 次に時間があり、かつこの日比較的にすいているという事情もあり、現地の日本人(ライセンス)ガイドさんの好意もあって、ラファエロの間のいくつかも訪れることが出来た。特にここでは「アテネの学堂」という絵は、彼自身やレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロが絵の中に登場して興味深いもので、この絵の制作にあたってはラファエロ自身の逸話もある。彼は当時最後の審判を制作していたミケランジェロが、争って一時期制作を離れた好きに彼の絵を盗み見て、その偉大さに彼をこの絵に登場させることにしたと言う話だ。ちなみに、中央左はモデルをレオナルド・ダ・ヴィンチにとったプラトンであり、中央右は、ミケランジェロをモデルにしたプラトンの弟子アリストテレス。

 しかしながら、ラファエロのアテネの学堂の感激は序章に過ぎなかった。そう、ミケランジェロが心血を注いだ作品「天地創造」と彼の絵画でもっとも有名な「最後の審判」だ。残念ながら現在ではシスティーナ礼拝堂は写真やビデオ撮影が禁止されている。しかしながらこれまで見てきた写真集や或いはインターネットでの、あるいはこの堂宇のフレスコ画の修復を近年手助けした日本のテレビ局の画像によっても、この絵画の「凄さ」は実物に接しない限りは強くは伝わってこないだろうことを、礼拝堂に一歩は行ってわれわれは悟わざるをえなかった。例えばここからすばらしい映像を手にすることが出来るが、それは例えばアダムとイブの楽園追放の場面を見るとよく分る。そこに立体感を見ることは可能だが、それは現実の立体感とは次元の違うものでしかない。ミケランジェロは彫刻のように絵を描いたのだ。天地創造の部分の柱も、見る角度を変えてもそこから動かないことでそれがリアルな柱ではなく絵画のそれであることが分る。最後の晩餐は丁度レオナルド・ダ・ヴィンチが視覚的なトリックを使って最後の晩餐の食卓と13人を浮きだたせたのとは対象に、ここでは絵筆による陰影で祖rを壁から切り取って浮かび上がらせ審判の場をシスティーナ礼拝堂の空間に再現させることに成功している。このミケランジェロが作り上げた空間をわれわれは30分ほど共有することが出来、至福の時をおくった。

 その感動の余韻とともに、カトリックの日本流に言えば総本山であるサンピエトロ寺院に移動した。サンピエトロつまり聖ペテロの墓の上に立てられたこの教会は、25年に一度その正面の大扉が開かれる。従って交通規制までもかけたわけだけれども、先の2000年がいかにカトリック信者達に重要だったのかはよく分る。また、25年に一度というのは、日本でも秘仏が例えば10年に一度開帳されるのとよく似ていると思った。左はその扉絵の、ペテロが十字架の刑にあったところ。彼はキリストと同じ処刑方法ではおそれおおいと言うことで、逆十字にかけられたと言うことだ。彼がカトリックの初代法王となるわけだが、彼はキリストから天国の鍵を預かった人物とされているからだ。その意味でもこのサンピエトロ辞意の重要さが分るというものだろう。
 内部はまるで巨大な体育館のようだ。しかしながらあまりにも巨大すぎて、その大きさの凄さというかが分らないくらいだ。ここでの最大の見学場所は、やはりミケランジェロのピエタ像だろう。サンピエトロのピエタは、そのすばらしさ故になかなか認められずミケランジェロが署名を彫刻した作品として有名だ。この聖母マリアはかなり若いが、これは幼子キリストを産み落とした時のマリアを表現し、我が子への慈しみ悲しみを倍加させるように仕組まれていると言うことだ。広い大聖堂の中にもポイントがあり、いくつか人だかりが出来ているのだが、さすがにここの人だかりは、信者だけの関心ではなく観光客の関心も高いためだろう、一番だったように思う。それにしてもマリアのいやになまめかしい姿は、やはりルネッサンスなのだろうか。

 それから、われわれはまたしばらくこの大きな寺院の中を見て回った。ともかくその大きさを聞いたけれども忘れてしまったが、中央部にある天蓋だけでも夕にビルが収まるくらいの大きさがある。とても限られた時間内には全部見てまわる訳にはいかなかった。それにしてもたいそうな財力のなせる技だと感じた。宗教の恐ろしさと言っても良いだろう。

 サンピエトロ寺院の外にでると、そこはまた巨大な空間になっている。ここは二つの円を一部重ねた形になっていて、例のテロ以前はここに椅子が並べられてミサが行われていたという。写真を見ていただければ分るように、この日も晴天だった。まぶしいばかりの空だった。この感動の中でわれわれの旅ももう少しで終わろうとしているのだなぁと、ちょっぴり寂しい思いもよぎった。それから昼食の場所へ向かった。午後からはまた動かなければならないので、ここはしっかり腹ごしらえをしておく必要があったわけだ。

 さて午後からは、フェロ・ロマーノ、何と言えばよいのだろう古代ローマとでも言うのだろうか、その見学が待っていた。何と言ってもローマの最大の観光名所はバチカンではなく、コロッセオと呼ばれる巨大な円形競技場後だろう。人も多くでていたが、その巨大さ故にそれを感じさせないほどの規模だった。残念ながらあまり時間がなかったので、神殿などが林立する地域は遠望するだけでその入り口までしかいけなかったけれども、ローマは一日にしてならずである(ちょっと意味が違うかな?)。

 それから観光名所のトレビの泉に行った。ここでコインを投げると願いが叶うとか、またローマに来れるとか言われるとkろだが、あまり和泉の中にコインはなかった。浮浪者対策なのだろうか、毎日拾い集めているのだろうか。ともかくカップルの数がおびただしかったし、ここでは日本人観光客の姿も数多く見ることが出来た。もちろんわれわれも残り少なくなったイタリアリラを後ろ向きに投げた。

 もう一方の有名な場所はスペイン広場である。広場というから相当大きいのかと想像したが、存外小さなものだった。ここはローマの休日の撮影が行われた場所としてあまりにも有名だ。心なしかカップルの数が多いように思った。われわれもしっかり階段に腰を下ろして写真に収まった。こうしてローマの観光を終えた。最終日と言うことで、今日の夕食はカンツォーネディナーだった。ローマの夜はカンツォーネのある部でる地ローマで終わった。

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