3.10月29日(月) 龍仁 安東 大邱 (晴れ)
起床(0520)ホテル発(0751)朝食(0835~0915)昼食(1214~1300)河回村(1305~1605)安東ナクトン江(1650~1728)夕食(~1835)ホテルインターブルゴ大邱着(2020)就寝(2235)
3-1 朝
起床(0520)買い物(0705~0720)
朝は深い霧に包まれて、外は真っ白だ。
荷物の整理が終わってから外へ出てみるとかなり冷え込んでいた。同じようなツアーのバスがあって、こうした格安ツアーで利用されるホテルであることが分かった。寒いので早々に部屋に引きあげた。が、オンドルが思ったよりも部屋を暖めてくれていたので、ハエも出現していた。昨日行った店にまた行ったが、特にめぼしいものも無かったので、何も買わずに部屋へ戻った。
湯を沸かしてコーヒーを飲んだりして出発までの時間をつぶした。今日は朝食から外なのだ。(部屋のコンロはIHかと思ったら、電気コンロだった。)
3-2 朝食(0835~0915)
ホテル発(0751)
朝食は外で摂る。我が家としてはもっと早い時間でも良かったのだが、8時近い出発となった。寒いので、ライトダウンを着込んだ。
バスに乗り込むと、夕べはかなり子供がうるさかったようだ。怒鳴り込もうかと思った、という人がいた程だったが、幸いなことに我が家は一番端の部屋だったので、騒音は全く聞こえなかった。丁度子供達の通学時間らしく、両手をポケットに入れて歩いて行く子供達を見かけた。
ガイドさんの話では20分くらいで行けるはずだったのだが、実際には30分以上もかかった。 カルビ湯の食べ方は、スープの中にご飯を入れて混ぜあわせ、小腕にとって食べる。好みでそこにキムチなどを入れる。
寒い日にはぴったりの食事だ。身体が暖まる。
3-3 高速道路
WC休憩(1055~1110)
バスは水原へ向かって高速道路を行く。
周りの山は紅葉が進んでいて綺麗だった。こちらは赤よりも黄色い色が多いようだ。
途中のサービスエリアでトイレ休憩となった。店があるにはあるが、日本とは違って、規模も小さく、パーキングエリアの感じだった。店ではお土産物と言うよりも、ニンニクやタマネギが目に付いた。中の方には蜂蜜などもあった。
地元のものを使ったジュースやこの地特産のお菓子などが欲しかったのだが、そういうものは無かったようだ。
そこからまたバスに乗って行くと、更に黄葉も続いている。
畑では作業をしている人が見られたが、家族なのだろうか、やけに人が多い。丁度稲の収穫の頃で、あちこちで刈り取り作業や刈り取った跡が見られた。
また、曲がりくねった川に囲まれるような集落も見えた。こうしたところは風水的にも好まれているようで、これから向かう安東市にある河回村も同様の所と聞いている。
青空が広がるにつれ、黄葉は益々鮮やかになってきた。
道路脇の表示などが、我々の目的地、河回村に近づいてきたことを示し始めた。その中には日本語の表記もあって、わかりやすかった。というか、驚いた。
3-4 昼食(1214~1300)
昼食の場所は、その河回村の入り口にある。
店の周りには、沢山の将軍標が置かれていた。これは、朝鮮・韓国の村落に見られる境界標(道祖神)のことで、天下大将軍・地下女将軍と男女の標が対になったものが多い。日本だと高麗村が有名だ。
ここには他にも民間信仰なのだろう物が数多く置かれていた。
食事は、チムタック。丸鳥を野菜や麺などと一緒に煮込んだ料理。蒸し煮にした鶏という意味で、タッチムとも呼ばれる。もともと安東の名物料理だ。
何人かで食べるものかと思っていたが、ちゃんと2人前ずつに分けられていた。
これも初めて食べるものだったが、美味しかった。
外へ出ると沢山の将軍標が並んでいた。また、エリザベス女王がここを訪れたときの写真もあった。このことがこの村を更に有名にした出来事だったそうだ。
3-5 河回村(1305~1605)
安東河回村は、洛東江でS字形に取り囲まれている。豊山柳氏が600年余り代々暮らしてきた韓国の代表的な氏族村で、瓦葺きの家や藁葺きの家がよく保存されている村ということで、新しく世界遺産に指定された。我が家にとっては、通算310個目の世界遺産になる。また、ここで行われる仮面劇も、韓国では重要文化財に指定されているものだ。
今回の旅行はここと宣稜に来たくて選んだコースだ。特に、この河回村では仮面劇も特別に拝見できると言うことで、楽しみにして来た。
バスを降りてからシャトルバスに乗り換えて村の入り口まで行った。これは自然を保護するという目的もあるだろうが、シャトルバスに乗せると言うことで、村の収入源を確保するという狙いもあると思われる。
バスを降りて、そこから少し川堤を歩く。どうやら韓国ドラマの舞台になったところらしく、同行の人たちの何人かは大騒ぎしていいたが、それがどの韓国ドラマのどんな場面か、こちらはさっぱり分からなかった。(中段右の写真がそのどうやら話題の舞台らしかった。)
3-5-1 伝統仮面作り体験 (1335~)
仮面劇会場へ着いても始まるまでまだ時間があるので、少し近くを散歩しようかと思っていたら、ここの村の仮面劇の仮面を各自で作って頂きます、ということで、まずはそれに取りかかった。noriは女面、junは男面があたった。
色の付いていない仮面に、粘土のような物で色つけをする。この粘土のような物が初体験の不思議な物だった。
手にとって仮面にこすりつけると、そこにそれが付着するのだが、殆ど手は汚れない。粘着性が強いので、バラバラになることもなく、周りに色が付いて困るということもなかった。
デザインは決まったものは無いので、自由にしてくださいといわれたので、それぞれが工夫して取り組んだ。
完成してから、当初座ったところからはよく見えそうもないので、場所を変えたりして、撮影するポイントを決めた。
3-5-2 伝統仮面劇貸切公演 (1430~1500)
この仮面劇は、村の安寧と豊作を祈願するために行われた。12世紀半ばから庶民によって披露されてきた物で、内容的には、支配階級に対して風刺したもので、支配階級の両班(ヤンバン)と学者(ゾンビ)の虚構性を暴露したり、僧の破戒を通して宗教の虚構性を批判するなど、一貫して批判したものになっており、当時の庶民の不満を解消するものでもあった。
全体は10の構成になっているが、今回はそのうちの二つの場面、「破戒僧の場」と「両班・学者の場」の二つのみの鑑賞となった。
が、すぐには始まらない。
まずは、人間国宝に指定されている方だというイ・サンホ先生から仮面の解説があった。しなやかな身体の動き、人間味溢れる表情など、まさにそのような大家であろう事が伺い知れた。ただ、かなり詳しく解説してくれたのだが、通訳がいともあっさりと終わらせてしまうので、うちのガイドさんに通訳させろ、と思ってしまった。
それから劇が始まった。言葉は分からないがどのような内容なのかはあらかじめ解説書をもらっていたので大まかなところは理解できた。が、それがなくても動きを見ていると十分に伝わってきた。
3-5-2-1 「破戒僧の場」
芸妓のブネが、急に尿意をもよおし、道ばたで小用を済ませる。それを通りすがりの僧が見て、欲情を押さえきれずにブネを誘って一緒に踊りこんでしまい、それを人に見られてしまうというもの。本来清貧であるべき僧の堕落ぶりを皮肉ったもの。
僧の面は寺で学ぶ修道僧ではなく、放浪する僧を表している。図々しい笑いを浮かべ、目が三日月のようになっているのが好色の相を表している。またブネの面は、面長の顔、高く形良い鼻、小さい口は韓国伝統社会の美人の条件を表し、目じり、口元に笑みが浮かんでいるのは浮気心がある女の相という意味がある。
なお、背後の音楽を奏でていた人の中には女性の姿を発見できたが、芸妓のブネを含めて、演じている人たちは全て男性であった。このあたりは、基本的に男性だけなのか、女性も入ることがあるのか、聞き漏らした。
3-5-2-2 「両班(ヤンバン)と学者(ゾンビ)の場」
両班と学者がブネを取り合うために学識と身分を競い合うが、二人は仲直りをしてブネと一緒に踊り始める。しかし、途中で現れた白丁(他の場面で牛を倒した男)から牛の睾丸を買おうとまたケンカを始めてしまうが、老女にたしなめられた後、ビョルチェ(下級税務官史)がやってきて、税金を納めよと叫ぶと一同恐れをなして去っていくという仮面劇。
学者の面は、通俗的な社会に適応できずに、常に不満に満ちた表情を表し、学者の威厳と学者らしからぬ傲慢さが合わさった表情。両班の面は、河回村の仮面劇の中の面でも一番代表的な面で、美の極致を現しているとされている。アゴの部分が二つに分けてある面で、頭をのけぞると大笑いする顔に、下げると怒った表情を表現できる。
白丁の面は意地悪な表情だけど、頭を下げた状態で見ると滑稽な表情が出てくる仮面になっている。
塔婆の面は、口の形は飢えた表情を表し、目の部分は老人の強弁さを意味し、目の上の部分がとがっているのが福を持って生まれなかったという相で幸が薄いという意味を表している。
3-6 安東移動
バスに乗って次の所へ移動する。
バスから見える風景の中に仮面劇に関するようなものが多く見られる。この地方ではそれが売り物なのだろう。安東焼酎というのもここの名産のようなのだが、他の地域の店では売っているのに、ここではついぞお目にかからなかった。
次は、自転車体験というメニューが入っている。当初の予定には無かったもので、最終のしおりに突然現れたもの。
聞くと、今観光公社ではキャンペーンの最中で、これもそのうちの一つなのだそうだ。それはそれで有り難いが、今回はそれでなくても忙しいのに、その隙間に入ってくるのだから更に忙しくなる。
ダムを通り過ぎた辺りで下車。
3-7 安東洛東江(ナクトンガン) (1650~1728)
ここで自転車に乗る。
始めにもう一つの団体と合流して、説明を聞き、簡単な体操をしてから、完全武装。ヘルメットに、肘当て、膝当てと格好だけは一人前だ。数人のインストラクターが付いて走るのだそうだ。
川に沿って自転車用の道が続いていた。河岸の木々は黄葉していて綺麗だったが、乗り慣れない自転車で、しかも50人以上の列になっているので、写真を撮るのもままならない。
途中、noriは電車を見つけたと言って停車したので、最後になってしまった。
そうなるともう人を気にしなくても良いので、歩いて渡るという橋の上でも、自分たちのペースで写真を撮りながら進んでいった。
橋の中頃に古い建物があった。休憩所のようだ。かなり古いものかと思ったら、古い材木を他から運んできて作ったのだそうだ。落書きもそのままにして作ってあったので、すっかりだまされた。そこで記念撮影をしていると、また電車が通ったので、それを写してまた時間を使ってしまった。
このときに、リーダーらしき人が我が家にベッタリと付いて離れない事に気がついた。こちらのペースに合わせて歩いている。トイレに行っても待っている。?と思っていたが、ようやく我が家が最後尾だからと言うことがその理由だと分かった。
誠に申し訳ない。バスに乗るのも最後になってしまった。この頃には陽も落ち始めて空は茜色に染まりだした。
それからは一路、今夜の宿泊地、大邱へ向かう。
3-8 夕食(1740~1835)
今夜はサムギョプサル。韓国の肉料理のひとつで、三枚肉の焼肉料理のこと。大久保で食べたときには本当に美味しかったので、期待大。
店は非常に狭くて、我々ともう一つの団体客で満席になってしまった。レストランと言うよりは食堂と言った感じの店で、安いからしょうが無いねえ、というのがみんなの口癖のようになった。
肉は大久保に比べて薄い。ちょっと焼きすぎてしまった感がある。
手が足りなくて、肉を切るのは自分たちでやった。
途中でドライバーさん達が来たが、座る場所がなくて、我々の席を詰めて座れるようにした。彼らは、肉にはあまり固執しないようで残していったので、有り難く頂戴した。
3-9 ホテル <ホテルインターブルゴ大邱 5001号>
ホテルインターブルゴ大邱着(2020)就寝(2235)
このホテルは新館と別館がある。我々が泊まるのは別館。
部屋に入るとテレビに日本語の歓迎の言葉が書かれていた。ハングルで書いてあるのは我が家の名前かと思ったら、旅行会社のだそうだ。
初めてミネラルウォーターが1本サービスで置かれていた。人数に関係なく一部屋1本というのが韓国流?それでもこうしてあるだけ嬉しい。
ここもNHKが映る。今回は全てのホテルで映っていた。時差がないので、リアルタイムで楽しめる。
ここで自作絵葉書を出そうと思って、noriが完成させたので、それを持って別館のフロントへ行くと、切手はないというすげない返事だった。諦めきれずに、本館へ行ってみようと思ってそちらへ行くと、そちらのフロントではOKということで、1枚1000wで預かってくれた。切手を売ってくれたわけではなく、出しておくということで切手代を預けた。さて、無事に到着するのかどうか、韓国人のサービス精神のテストのようなもので、現在結果待ちだ。
夜も更けてから外を見ると、遠くにライトアップされた朝鮮王朝時代(1601年)に築造された大邱邑城(デグウッソン)の南門が見えた。
絵葉書は、noriが出した分が、11月6日に届いた。きんがくは500Wだったので、500Wのコミッションだ。高っ!こんなの、サービスだろうに!だいたい500W(40円)くすねたって、どうなるものでも無いだろうに。