4.10月30日(火) 大邱 全州 ソウル (快晴)
起床(0500)ホテル発(0745)朝食(0825~0905)WC休憩(1116~1126)金山寺(1234~1420)昼食(1430~1500)WC休憩(1640~1655)ロッテ免税店(1830~1935)漢江観光ホテル着(1950)就寝(2215)
4-1 朝
起床(0500)
朝はいつもの時間に自然に目が覚める。健康チェックをして出発までに作りなどをして過ごす。
疲れがたまってきているので、散歩にも出なかったが、後で考えれば南門まで行ってくればよかった。
今日も移動距離が長いので、バスの席をゲットするために、早めにロビーへ下りていったが、さすがに早すぎた。でも、10分前になってみんなが集まってもバスもガイドさんも来ない。電話しようか、などと言っているところへバスがようやく来た。続いてガイドさんも現れた。
そんなこともあったが、座席はめでたく希望の所をゲット。やはり1人で1シート取れるとゆったりする。(といっても、何時も揺れが大きい後部座席だから、希望する人も少ない。)
4-3 全州へ
WC休憩(1116~1126)
朝食の後は長い移動になる。
町を抜けると、農村地帯になり、やがては山間を通っていく。山はすっかり黄葉していて綺麗だった。
JINANのサービスエリアで休憩。そこから二つこぶの山が見えた。馬耳山(マイサン)といって、馬の耳のように見える事からこの名が付いたようで、石山だそうだ。公園になっていて、日本からもこの山に登った人が結構いるようだ。登山といっても1時間で登れる程度の山らしい。
そこからまたバス移動だ。
山の中腹にはお墓が目立った。土饅頭のようになっているのがそれ。
一族のものが集まっているものもあるが、二つ程度のものも多い。
先祖を大事にしている様子がうかがい知れるが、この調子だと山が全部お墓になってしまいそう・・・。
途中で、少しロスタイムがあったりして、金山寺に着くのが遅れそうなので、昼食はそれが終わってからということになった。・・・どうも遅れそうになった理由を添乗員は運転手が高速にのるのを間違えたためと、一部の乗客に説明していたらしいが、それは断然違う。我が家はGPSで運転経路をモニターしているから、確かに道を間違えたが、それは数㎞で、10分程度のものだ。問題は、朝食に時間がかかったことだ。明日いく場所を予め確認しておかない、おまぬな運転手とガイドの両者の責任だ。
4-4 金山寺(1234~1420)
ようやく目的の地に入った。ここではお寺というよりもそこで行われるパンソリと伝統音楽を聞きに行くのが第一の目的だ。そのために時間を合わせる必要があり、急いだのだ。
だが、この寺も湖南地方を代表する百済時代の古刹という、なかなか由緒のある寺なので、素通りするには惜しい。
この寺は、母岳山(モアッサン)の麓に、百済時代の599年に建立された。母岳山はかつて砂金が採れたために、「金」の出る「山」で金山寺となったとも言われている。
3階建ての弥勒殿をはじめ多くの文化財があるが、 慶長・文禄の役(1592~1598)で弥勒殿をはじめほとんどの建物、宝物が消失した。秀吉軍がこんな所まで攻め入っていたとは驚きだった。現在の弥勒殿は1635年に再建された。その後、復元が進み現在のような伽藍配置になった。
入場ゲートを入ったところでバスを降り、少し歩いて寺へ向かった。
ここも黄葉が綺麗だった。
一柱門の辺りは紅葉が見事だった。それから、橋を渡っていよいよ境内となる。
4-4-1 金山寺境内
ますは金剛門の金剛力士が迎えてくれる。
次の天王門では、四天王が睨みをきかせていた。
正面にある2階建ての楼閣式の大きな建物は普済楼。この建物は慶長・文禄の役の際に外敵の侵入に備え僧兵が集まるために建設されたが、現在では広い空間を生かし、集会所として利用されている。
梵鐘閣には、太鼓、鐘、木魚、雲ぱんの4つがある。1日2回、順番に鳴らすのだそうだ。
一番高いのが、弥勒殿。現在の3階建て規模に再建されたのは1635年のこと。弥勒三尊を祀っているそうだが、見る時間は無かった。が、屋根の下にも描かれている仏は見ることが出来た。このようなものは珍しい。後ろ側は修復中で覆いが掛けられていた。
大寂光殿は、毘盧遮那仏を本尊とする長さ7間、幅4間の本殿。1986年に火災で全焼し、1994年に復元されたもの。
この辺りまで来るとガイドさんが、会場になっている建物が分からないというので、少しウロウロした。そんな中でもとりあえず写真を撮った。
4-4-3 特別演奏会プログラム (1305~1410)
第一部は、伝統的な演奏と歌。始めに弦楽器の紹介がされたが、日本と似たようなものがあって、やはりつながっている文化なのだと思った。
「千年万歳」は、弦楽器の演奏の中で代表的な曲だそうだ。
「回心曲」は、お坊さんが仏教の布教のために作った歌。綺麗な歌声だった。
「僧舞」は、韓国伝統舞踊の神髄といわれるるもの。仏教精神を基調とした舞ではあるが、民衆の中で舞われた伝統舞踊。これはなかなか魅力的だった。
「パンソリ」。これが今日の一番の見物。長泉寺大の伝統的民俗芸能で、韓国的1人オペラのイメージ、と解説書では謳っている。1人の歌い手と太鼓の奏者で、物語を語る。日本でいえば浪曲のようなものか?これまた素晴らしかった。声量といい、語りかける口調といい、言葉が分からなくても引き込まれた。
第二部は、客受けする演奏が続く。
長渕剛の「乾杯」、「千と千尋の神隠し」と日本の曲に続き、韓国ドラマの主題歌へとつながる。背景にはその映像も流れて雰囲気を盛り上げた。
そして最後は「アリラン」。この曲は歌詞も含めて知っているのだが、学校で習ったのだろうか。
こうして約1時間の演奏会は終わった。
4-4-4 バスへ
全て終わって外へ出ると、天王門の所にバスが止まっていた。ここまでバスが来られるのなら、85才のおばあさんが疲れたといってバスの中でずっと待っていたのに、連れてきてあげることが出来たのではないかと思う。もう少し親切心があっても良かったと思う。というのも、このメニューが今回のこのコースの売り物の一つなのだから。
そんなことを思っていると、横に幢竿支柱(タンガンチジュ)があるのに気がついて、noriが大急ぎで写真を撮った。これは、重要な行事がある場合に旗を掲げて知らせた案内板のような役割を果たすもので、寺院の入口に設置されている。金山寺の幢竿支柱は8世紀後半に作られ、韓国国内の幢竿支柱の中でも原形がよく残されているとされているものだ。
これで事前に調べていったものは、多分殆ど見たことになると思う。だからどうということはないのだが、やはり知っていると知らないのとでは、満足度が違ってくる。
4-8 ホテル <漢江観光ホテル 409号室>
漢江観光ホテル着(1950)就寝(2215)
ホテルは最初に泊まったのと同じホテル。ただ、部屋が違って、今度は4階。といってもフロントが3階だから、junは歩いて上がった。
今夜は夕食がないので、半分以上の人は、ガイドさんの紹介で明洞へカルビを食べに出かけた。送り迎え付きで3000円だ。市場の散策時間もあるという。値段的に決して高くはなく、ガイドさんがぼっているという感はなかったのだし、むしろ良心的な値段だとは思ったが、明日は早いこともあって、我が家はパスして総菜を買い込んだのだ。これが隣国で無く、なかなか食べることも難しいような料理だったら、考えは違ったかも知れない。
部屋で、一応荷物のめどを付けてから、宴会。チャミスルは1日目に買い込んで置いたものだ。
デザートには、昼間買い込んだドーナッツを食べた。
満腹になって就寝。