戻る
☆1999年12月31日(金) 第六日目

08:30 朝食後、ブージェルード門に立ち寄る。
09:00 サハラ砂漠の入りロエルフードヘ向かう。(モエン・アトラス越え) 
09:50 イフランにてトイレ休憩。
10:30 ヒマラヤ杉の林で休憩。
11:15 ザード峠(2175m)
11:20 アイチヤ山(3737m)を遠目に眺める写真タイム。 
12:15 ミデルトのアスマホテルにて昼食。(〜13:30)
14:50 コレジョール(トンネル)で写真タイム。
15:30 エラシディアにてトイレ休憩。(〜16:00)
16:15 ズィズ谷(オアシスの町)を見下ろし写真タイム。   
17:10 エルフード、ホテル着  ★スペシャルディナー(つまりはそうめん)


☆歳をとると・・・

 今朝も3時半には目覚める。年をとると、と言うよりも早寝のせいだ。寝るしかない生活をしているのだから健康的と言えば健康的だ。が、たいして動いてないからこれはきっと太っているな。
 5時になったので荷物の整理をした。捨てたものがあるので、ようやくその効果が出てきて、かなり余裕が生まれてきた。本来ならそこにはお土産が沢山つまっているはずなのだが、今回はまだそう言ったものはない。かわりに水を詰め込んだ。今回はもらった水が多くて、日本から持って来たのにはてをつけていないしお湯を沸かすなんてこともしていない。それでもまだ水は沢山ある。これで今夜も水をもらったらどうしよう。
 あらかた荷造りができたころに丁度朝食の時間になったので出かけた。昨日と同様全く中身のない朝食だった。沢山あるのはパンのみ。則は例のトマトベースのどろっとしたスープを2杯飲んだ程度で終わり。出発は8時半とゆっくりなので部屋で寝て過ごす。
 今日はアトラス越えだが、その前に昨日少し立ち寄ったブージェルード門を最初に見る。昨日全員でこれを見ると行うようなニュアンスの話が確かにあり、同行の一人の強い要望があって立ち寄ることになった模様。まぁきれいな門であることには違いないが、朝の早い時間帯なので、この門の周りの喧騒感はなく、味わいも半分であった。

☆アトラス越え
 やがてバスはアトラス越えの道をたどる。CDGでの長い待ち時間内に買い求めたモロッコの地図が役に立つ。今どの辺りを走っているかが地形の変化と対応して面白い。こちらのコースはマラケシュからのそれに比べるとあまり山越えーという感じはないとのことだが、寒いというのでそれなりの厚着をした。
 道の両側は徐々にごつごつしてくる。気分が盛り上がってくる
 1時間あまり走って9時50分イフランにてトイレストップ。この辺りは不思議なことに三角屋根の家が並んでいる。雪が多いせいもあるとの説明があったが、どこに住んでいても人の考えることは同じなのだなと人の知恵の普遍性に感心したりこれが限界なのかと思ったり。山の中とは思えない落ち着いた感じの町だった。
 それからバスは本格的な山道にさしかかる。高度をあげるにしたがって針葉樹林帯に入ってきた。アトラス山脈の名をとってアトラス杉と名付けられている杉が深い森を形成している。10時半ごろその杉を見学するために道端にいったんバスを止める。この辺りでは時たま動物も顔を出すと行う話だが、リスや猿などの動くものを見るには至らなかった。
 更にバスは高度をあげていき11時15分に最高地点であるザード峠2178メートルに立つ。こんなに高いところにも羊飼いはいた。遠くに最高峰のアイヤチ山(3737メートル)を見る。既に冠雪している。
 12時15分ミデルトのアマス・ホテルにて今年最後の昼食。こんな所でもホテルはホテル、立派なものだ。食事の内容もそれなりのもので、ちゃんとワインもあったしで満足のいくものだった。
 食事を終えて外へ出てみると、どこからか子どもが湧いてきたように、そうウジャウジャという言葉がぴったりのように大勢集まってきた。ボンボンをねだるのだ。ほかにも何か盛んに話しかけるが、あいにくと会話は成り立たない。中には書くまねをするものもいるからペンも欲しいらしい。この子たちの身なりはというと、みすぼらしい。テントが幾張りか張ってあるからその子達なのかも知れない。遠目にサッカーをしている子どもたちがいるが、その子達はこざっぱりした身なりなのとは対照的だ。
 14時15分コレジョネールという小さなトンネルを過ぎた辺りで、写真ストップ。荒涼とした眺めを見る。下には水量の豊富な川が流れている。なのにその周辺に草はない。これがさしずめ日本なら雑草で覆い尽くされているだろうに、植物にとって水だけではダメな自然がここにはあるようだ。
 ところが、オーこんな所にも羊がいる。一体どこから来てどこへ帰るのだろう。と不思議がっていたら、何と物売りまで現れた。バスからは家など見かけなかったのに全くもって不思議。彼らは化石とかバラとかのお定まりのものではなくて、植物で編み上げたラクダを持っていた。まずはそれを「プレゼント」といって渡してくれる。それで済ませてもいいのだけれど(実際それで済ませた人もいた)、順は何を思ったのかバスに戻って予め用意して置いたボールペンをあげた。こんな狭い世界で生きているということに、ちょっと哀れみを覚えた?というわけでもないが、少しくらい恩恵をあげてもいいのではないかと思ったのは確か。
 T時間走ってエラシディアという町でトイレ休憩。初めてアラブ式トイレを体験する。ここもチップは無し。そのトイレの入り口には、日本語で女性用と書いてある。先の誰かがいたずらしたのか、それともそれだけに本人が多いということか。
 14時15分ジイズ谷というところを眺められる場所で一旦停車。眼下の広大なオアシスを眺める。荒涼として、とても人の住める世界ではないと思われる所のすぐ隣に、水も緑も豊かな町が存在する摩訶不思議。そして更に1時間バスは山を走り降りて、今まさに1999年最後の夕日が暮れなんとする時刻(17時10分)に砂漠への入り口の町エルフードに到着した。

☆やっと着いた エルフードは大賑わい
 到着したホテルは大混雑だ。ニューイヤーダンスパーティーへ出かける多分フランス人と思われる熟年の男女の一群が揃いのコートで闊歩していた。
 チェックインの後部屋の電気が2つほど点かないのに気がついたが、メイドに言っても、外で太鼓や打楽器の力強いリズムが刻まれアフリカンダンスが始まっては、彼女たちの心ももう仕事どころではなくなっている。添乗員を捜すとスーツケースを運ぶポーターになっている。ここのホテルで指揮をする連中はイスラム教徒でラマダン中で日が沈んだので、一斉に仕事を放棄して食事をし始めているためらしい。スーツケースを階上にあげるのを1つ2つ手伝ってから、電気の点かないことを依頼した。ホテルのボーイとおぼしき人がやってきたがらちがあかず、技術やさんがやってきてようやくと解決。その頃には、階下の騒ぎは更に盛り上がり、吹き抜け部分より階下をよくよく眺めれば、同行の若い男性二人も何と踊りの輪に加わっているではないか。
 一応の集合とされている20時近くに階下に行くが、まだまだ混雑は収まっていない。それでもしばらくするとパンチのサービスが始まり、しばし歓談。その後騒ぎに疲れたので一旦自室に戻り、21時からようやく夕食。
 しかしこの夕食がまた大変だ。どうやらカウントダウンに流れ込むスケジュールで夕食を出してきているらしく、やたらに悠長なのだ。我々の今回の目的は日の出なので何とか早くきりあげて就寝したいのとは全く反対の展開となってきた。そのうちに添乗員さんがこの会社恒例の年越蕎麦ならぬ年越し素麺を作って供してくれたのでありがたく頂戴した。素晴らしくうまかった。
 それを機に我々夫婦はそっとレストランを抜け出して、明日の身支度を整えた上で23時30分就寝。きけばそのあとケーキカットなどカウントダウン行事がやはりあったそうだ。そのころ白河夜船の我々は体力温存に勤めたはずだったのだが・・・

★ホテル
EL ATI(エル・アティ), ROUTE RISSANI B.P.188 ERFOUD , Tel 5−577372
戻る