第四日目 ソウハラ(チトワン)からダンプスへ移動

4.2012(平成24)年2月16日(木)ソウラハ、ダンプス  曇り一時小雨

起床(0530)朝食(0700)バードウォッチング(0736~0919)ホテル発(0930)昼食(1209~1240)ポカラ・風の旅行社(1400~1405)つきのいえ着(1525)散歩(1617~1650)食事(1815~1945)就寝(2030)


4-1 朝

 起床(0530)朝食(0700)

 今日も起床は早い。あまり寒さも感じない。今日は朝一で最後のアクティビティーであるバードウォチングが組まれている。それが終われば足かけ三日間滞在のソウハラを離れる。短い滞在だったが、充実した日程であったと思う。
 朝ご飯を簡単に済ます。

nepal1003 16 10-08.jpg毎食事お世話になったレストラン
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4-2 バードウォッチング(0736~0919)

 今日は昨日一昨日とは違うガイドさんが点いた。あるいはバードウォチング専門なのかも知れない。彼は慣れているしその上目がいいのですぐに色々な鳥を見つけることが出来るが、こちらはなかなかそれを確認できない。目をこらしてようやく見つけることができる。それにしても皆小さくて、色や形は双眼鏡でようやく見える程度。カメラに納めるのは至難の業だ。
 それでも少しすると、徐々に鳥を見つけることが面白くなってきた。
 そのうちに象の飼育所へ出た。昨日はメスと子供だけだったが、ここには雄が飼育されていた。牙がものすごく立派だった。動物園でも、人を乗せるのも皆おとなしい象なので、こうした牙象はなかなか見る機会が無かったので、間近に見て興奮した。
 しかし更に興奮したのが、サイ発見だ。ガイドが、以前この辺りに来たときにふとお客さんが後ろを振り向いたときにサイがいたと話しながら歩いていたときだった。象の飼育センターをを後ろにして進んで、平原に出る為に坂を下りきった瞬間だった。noriがふと来た方向に振り返ると動く陰が!目の前の平原にサイがいたのだ。しかも本当にすぐ前。20メートルくらいだろうか。現地のネイチャーガイドが危険なので象舎の方へ戻るように言い、草陰に隠れた。その前をサイは悠然と草を食べたりおしっこをしたりして歩いて行った。それらの様子をじっとしたまま見つめ、盛んにカメラのシャッターを切った。こちらも立派な角を持った一角サイだった。
 昨日のはこんなにはっきりと角を見ることができなかった。ガイドさんは昨日のは子供でしょう、といっていたが、果たしてそうなのか、メスにも角があればそうなのだろうと思うが、メスに角が無いとすればメスだったのかも知れないし・・・。まあ、今回のガイドさん結構いい加減なので、調べてみないと何とも言えない。(noriが聞いたところによれば、昨日のネイチャーガイドは,noriがこれはメスかと聞いたらその通りと答えていたそうだ。)
 サイとの遭遇で鳥のガイドさんが予定していたコースが行けなくなってしまったので、そこから別の道を通って戻ることにした。鳥のガイドさんはサイが現れたことをどこかへ電話してから、急いで自分だけ戻ってしまったので、その後はふらふらと我々だけで戻った。後で聞いたら、どうも彼の持ち分の次のアクティビティーをサイが出たので変更したかったらしい。帰る道すがら今度は途中で大きなイノシシがいたと言って村人が集まっていたが、それは見逃した。

nepal1177 16 11-50.jpg今回の旅行の前期ハイライト サイとの遭遇
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4-3 ポカラへ

ホテル発(0930)昼食(1209~1240)ポカラ・NKT支店(1400~1405)

 サイとの遭遇で、思わぬ時間を費やしてしまった我々は、ホテルに戻ると急いで纏めてあった荷物を運んでもらい、それぞれの手持ちの荷物を持ってチェックアウトをして、あわただしくポカラへ向かった。
 またまた10時前の時間帯だったので、子供達の登校とぶつかる。そしてソウハラを離れる橋の所ではまたもや通行料を払う。地元の人はどうなのか聞くと、それは無料なのだそうだ。観光立国ネパールである。
 やがて棚田の広がる風景になる。面白いものを売っていた。カラフルなそれらは、自動車の飾りなのだそうだ。深い谷を越え、時に賑やかな町を通り、車は進む。国土の多くは高山であったり自然公園だったりで、この国の実質的な人口密度は結構高いかも知れない。
 12時を回った頃、昼食場所に到着する。今回の旅で、一番よかったのではないのか。このレストランは、ポカラへ行く途中にあって、都市間バスのお客の食事タイムの場所になっているらしい。我々の入ったところはその中でも高級な部類であるらしく、運転手は階下で食事をしていた。この国では、ガイドと運転手の間には厳格な「カースト」が存在するらしい。我々が運転手さんにもとお菓子を渡しても、どうも運転手に渡っている節は感じられなかった。まぁこれはお国柄だから仕方が無いだろうが、日本風に見れば(多くの国ではそうだ)違和感がある。
 さて食事はビュッフェスタイルになっている。
 13時45分頃、車はポカラの町のゲートをくぐる。ゲートにも、そして町の中でいくつかサッカーボールが描かれていたりオブジェがあったりする。ポカラでは年一回大きなサッカーの大会が開かれるのだそうだ。ネパールのサッカー?聞かないなぁと思いながらその説明を聞く。14時少し前にNKTのポカラ支店へ到着。
 ここで車をジープに乗り換える為にしばし休憩。しかし支店に入っても、「いらっしゃい」でも「ナマステ」でもなかった。日本の系列会社では、いつも行く度に全員が挨拶してくれるし、お茶だって出してくれる。勿論そんな接待は無い。この違和感は何だろう。カトマンスの本店?に行っても、同様だった。何度も書くが、このNKTはその多くの客は日本人なのだ。お世辞にも挨拶くらいあってもよいがと、日本側との落差を強く感じた。
 ここで乗ってきた車と運転手さんとはまたまたしばしお別れ。今度はカトマンズ空港で会うことになる。

nepal1244 16 12-23.jpgチェックアウト
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4-4 つきのいえへ

ポカラ・NKT支社出発(1416) 砂利道(1444~1524) (1524)つきのいえ到着

 ポカラから車が変わる。道が悪いのでジープで無ければ行けないと言うことだ。東京でこの点を聞くと、「大丈夫です、そのままの車で行けますよ。」なんてお気軽な答えが返ってきたのだが、やはり乗り換えるではないか!・・・といって実害があるわけでは無いが、車が変わらなければ荷物の運び方も変わると思ったのだ。本当に日本側とNKTは日本側が言うように「常時ネットで結ばれている」のか?意思の疎通が十分なのか?
 ところで、町中を少し走るとこの車には、我々だけでは無く、後ろの荷台にガスボンベを持った二人の人も乗り込んできた。どういう人なのかは分からないが、宿関係の人と思ったが、そうでは無さそうだった。これがネパール流なのか?我々には事前の承認も無いし、声かけも無かった。
 まぁともかくも、ポカラからしばらくは、それなりに舗装された道を通った。走り始めてまもなく、車窓に大きな寺が見えた。
 いよいよここから砂利道になります、といわれた道は、すごい道だ。道には轍があり、石がゴロゴロしているので、確かに普通の車ではきつい。上に到着してみると確かに乗用車もあるにはあったが、サスペンションをいじったり特別なタイヤでもはかせないと車が駄目になってしまうだろう。日本側の担当者は実際にここに来たことがあるのだろうか? アンドロイドでグーグル地図に現在位置をプロットすると、確かに道を外れて車が進んでいるのが分かる。
 右に左に揺られながら走り、雪山が見える頃ようやくダンプス村に着いた。ダンプス村に着くと、最初に目に付くのは学校だ。限られている平坦な土地のよい場所に建てられ、しかも近代的で新しい。日本の昔がそうであったように、古い学校を、お金や労働力を出し合って立て替えたのだそうだ。NKTも相当なお金を出したと、我がガイドは胸を張る。ちょと?な気分がした。
 さて我々を運んでくれたジープだが、最初はてっきり宿舎のものだと思っていた。ホームページにも「車でも行けます」風の絵が乗っているので、そう勝手に思っていた。だが、これはチャーターした物だということが後から分かった。そうなるとしらぬ人々が乗ってくるのは、日本人的にはますます怪奇?そう分かったのは、これが村の人のもので、我々が散歩に出かけたときに車を洗っている運転手を発見したからだ。おそらくは、「つきのいえ」はお得意さんの一つなのだろう。
(この間写真どころでは無かったので、写真は殆ど無い。)

nepal1351 16 17-44.jpg説明を受けたが忘れた ラマ教寺院か?
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4-5 ホテル<つきのいえ>

つきのいえ着(1525)

 この「つきのいえ」というのは、結構伝説の宿舎で、それなりの期待を込めて訪れた。我々は、それはダンプスにぽつんと存在すると思っていた。しかし、それは多くのロッジやホテルに埋没してポツンとあった。いや正確には、かつてはそこにただ一つ建っていたのかも知れない。はじめ我々が「つきのいえ」と勘違いしたのは、もとつきのいえにいた人が始めたホテルだった。韓国人の観光客が泊まりに来ていた。その脇を入っていったところにあった。
 ここには5部屋しか無いが、そのうちの2部屋を我々が使う(あと一つはガイド)。つまり今夜の宿泊は、我々だけと言うことだ。
 到着するとすぐにお茶のサービス。庭にある椅子に腰掛けて、目の前のヒマラヤの山並みを見ながらのお茶はことさらに美味しく感じる。同じ経営でも、さすがに宿のサービスはよい。通称魚の尾っぽと呼ばれるマチャピチュレが頂上まで見える。まるで我々を歓迎してくれているかのようだ。この山はガイドに聞いたところ、未踏峰の山なのだそうだ。つまりは信仰のより強い山と言うことになる。
 しばらく目の前に広がる雄大な眺めを見ながらのんびりしてから部屋に行った。到着したときは停電中というので、充電もできず、簡単な荷ほどきだけした。

nepal1389 16 18-43.jpg魚の尾の形がよく見えた
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4-6 散歩(1617~1650)

ホテル着(1720)

 夕食までは時間があったので、村を散歩しに出かけた。
 すぐに日本語で話しかけられた。自称「日本学校の学生です」、という彼は、そこで行われていた織物について話してくれた。最終的には商売につながったが、押しつけ感は無く、いらないというとすぐに引き下がった。結構上手な日本語だった。それを活かせるいい仕事に就ければいいなと思った。
 小さな女の子が両手を合わせて「ナマステ」と言ってくれた。可愛らしい。でもその多くは、続けてキャンディーやチョコレートをねだってきた。みな英語を話す。丁度日本人が戦後進駐してきた米兵に向かってギブミイチョコレートとねだったのと同じか。
 学校帰りの男子生徒やトレッキング途中の外国人らとすれ違った。
 あまり遅くなると街頭も無いような所なので、暗くなる前にと、そこそこにして戻ることにした。そこへ、ホテルの主人のトゥルさんがやってきた。自宅に戻るのかですかと聞くと、あなたたちと同じように散歩だと答えた。今もってこの会話はなぞ。散歩の途中に店など無かったし・・・

nepal1400 16 19-49.jpgシャクナゲは国の花
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4-7 入浴(1710~1745)

 ここの風呂は五右衛門風呂というのが売り物になっている。それも最近、露天風呂形式にして山が眺められるようにした。確かに山が眺められるが、少し背伸びをしないと見えない。
 いつ入るか?と聞かれたが、暗くなっても電気が点くという保証が無いので、明るい今のうちに入ることにした。
 ゆっくり二人では入れるという大きさの風呂は、ちょっと熱すぎたが、水を出しながら湯船につかった。junさんが入っている姿は、まるで水戸黄門の本川家版由美かおるである。
 ちゃんとシャワーや洗い場もあった。

nepal1414 16 20-42.jpg我が家の由美かおる
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4-8 食事

宴会(1815~)夕食(~1945)

 食堂には暖房があるというので、身体を冷やさないためにそちらへ行った。そう、ここの部屋には冷暖房という設備は無い。
 暖房と言っても薪ストーブだ。火の調整がうまくて暖かかった。ブータンで我々がすぐに消してしまったのとは違う。やはり燃やし方がうまい。
 そこへ歓迎の地元の酒とえびせんなどのスナックを運んできてくれた。酒は粟で作ったという蒸留酒で焼酎の白波のような感じ。食事の前に、と言いながらスナックもバリバリ食べた。
 夕食はネパールの家庭料理だそうだ。野菜炒めが美味しかった。
 停電はずっと続いていたので、ろうそくの火と、我が家が持って行ったヘッドライトを活用した。後から分かったが、この日の停電はイレギュラーで、途中の送電設備が壊れたかららしい。それにしてもランタンくらい用意しておくべきでは無いだろうか。

nepal1435 16 22-07.jpg僅かな材料で心を込めた料理という感じがした
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4-9 部屋にて

就寝(2030)

 noriは暖まりに暖炉の部屋に行っていたが、そこではガイドと宿の主人の二人が話していた。彼らの話はネパール語?で想像も付かない。しかし笑い声はしないので、あまり面白い話では無いらしい。noriは結局暖まるだけで、声もかけられなかったので、眠たくなってきて退散した。
 寝るときに湯たんぽを用意してくれた。色々なblogなどで評判のものだが、評判通りこれが暖かかった。
 一晩中停電は続き、結局電池の充電ができなかった。明日もこの状態だとかなりやばい状態になると思う。
 トイレは別棟にあるので、夜中に行くときは外を通って行かなければならないのが面倒だ。この暗闇の中、おそるおそる出かけた。ろうそくは火事にもつながるので避けた方がよいと思うが、月に何度もこない客の為にそうそう設備を付加するわけには行かない点、何とも歯がゆい。(この次の客は19日だという。我々も久しぶりだったらしい。)
 結局真っ暗闇の中で一晩過ごした。これもまた一興か。