第七日目 はなのいえ、ポカラ、カトマンズ

7.2012(平成24)年2月19日(日)  はなのいえ、ポカラ、カトマンズ  快晴

起床(0600)日の出(0630~0710)朝食(0730~0800)まったり時間(0900~1040)ホテル発(1053)ポカラ着(1159)昼食(1210~1315)ポカラ空港離陸(1446)カトマンズ空港着陸(1510)空港発(1525)ホテル着(1551)散策(1630~1740)夕食(1900~2035)就寝(2100)


7-1 朝

起床(0600)

 目が覚めてカーテンを開けると雲一つ無いお天気で、目の前に山並みがくっきりと映し出された。最高のロケーションだ。気持ちいいーとすぐに起き出して身支度をし、外へ出た。もうすぐ日の出になるので、庭を散歩しながらそのときを待った。

nepal2185 19 09-41.jpg今日も澄み切った空に恵まれた
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7-2 日の出(0630~0710)

 朝の空気をいっぱい吸いながら歩いていると、鳥の鳴き声が聞こえた。チトワンでのバードウォッチング以来、鳥の鳴き声や姿に敏感になっていたからだ。
 そのうちにようやく山が赤みを帯びてきた。よく見ると山頂から白い雪が風に巻き上げられている様子が見えた。私たちの立ち位置に太陽の恵みが差し込む前に、山々は既にその恩恵を受けている。その瞬間が極めて美しい。やがて、太陽が顔を出した。例によってjunは柏手を打って何事かをお願いしていた。
 今日もいい天気に恵まれてこんなに毎日ヒマラヤを楽しめるなんて、最高だ。
 その後しばらくはロッジの周りを散歩して、また鳥を探したり、畑の様子を見て回ったりした。この畑は有機栽培をしているのだそうで、若くして無くなった創設者の思いがいっぱい詰まっている。

nepal2251 19 10-05.jpg日の出の時
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7-3 朝食(0730~0800)

 朝食は焼きおにぎりが二つ。これも日本人向けのサービスなのだろう。それなりに美味しかったが、正直あまり嬉しい食べ物では無かった。普通の海苔でも巻いたおにぎりの方がよかったなあ。でも、ご飯がそれに対応していないのかも知れない。中には梅とおかかが入っていた。
 他にはだし巻き卵、野菜炒め、味噌汁。味噌汁はこちらでは食べないものだと思うのだが、丁度よい濃さになっている。
 感想を書くように進められたので、junが書いた。他の人のを読んでも美辞麗句が続く。しかしこれは経営資料にはならないなぁ。

nepal2283 19 10-26.jpg食堂の窓は自然を切り取る額縁
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7-4 まったり時間(0900~1040)

 出発までかなり時間がある。ここで時間を過ごすか、ポカラで過ごすかと聞かれたので、当然ここで、と答えたからだ。
 せっかくこんなに大自然の中にいるのに、ゴミゴミした町などで時間をつぶしたくない。
 荷物の整理が終わってから、庭に出ると、もうすっかり青空になっていて、気分は絶好調。
 そこで、ヨガマットという物を借りて、まず体操をした。ラジオ体操や、junがいつもやっているトリム体操を真似たものなどで、身体をほぐした。このヨガマットは、二度ほどここを訪れたヨガの団体が使ったものの名残のようだ。二度目に訪れたときに天候があまりよくなかったらしく、再々訪は叶わなかったらしい。宿にしてみればかなりの投資だったことだろうに。今では使う人も殆ど無いらしく、出してもらったときにはかなりしめった状態だった。
 さて我々がまったりしている頃、ロッジの人はもう仕事を始めていた。ある女性は畑に、ある男性は五右衛門風呂の後始末を・・・というようによく働いている。電気が不安定なこともあるが、とにかくこの国の人たちは、明るくなったら働き暗くなったら寝る、そんな生活のようだ。
 その後、noriは鳥を探しに、junはそこで横になって時間を過ごした。

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7-5 ポカラへ

ホテル発(1053)下の村着(1128)ポカラ着(1159)

 ジープが裏庭まで迎えに来ていた。これは大いに助かる。というのも来たときには、下の道路から急な道を上ってきたからだ。
 前に乗ったのよりもいい車だった。分かれるときに、またリップクリームをプレゼントとして頂いた。二つ目のプレゼントだ。有り難く頂く。これは実際に日本でも売っているものなのだそうだ。
 ロッジを後にして出発。車はよかったが、いかんせん道が悪すぎる。ガタガタなんてものではないくらいに、ひどい揺れかたをする。お陰で「はなのいえ」の最後の写真もブレブレだ。
 パンフレットには、「つきのいえ」までは未舗装のガタガタ道を行きます、と書かれていたが、こちらにはそういう記載は無かったので、あれよりはいい道かと思っていたのだが、とんでもない。こちらの方がガタガタな感じだ。
 車一台がやっと通れるような道なのだが、すれ違うのもお互いに譲り合ってうまいものだ。道路を広げればいいのにと思うが、この道を造っただけでも至難の業だったに違いない。
 それでも段々畑が綺麗と言ってはパチリ、芥子菜が咲いていると言ってはパチリ、執念で写真を撮ったりしていた。
 30分ほどそんな道を走ってようやく山道を抜けて下の村に入った。道路も一応舗装されている。ホッとした。

nepal2352 19 14-08.jpgはなのいえ全景(ぶれていてゴメン)
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7-6 ポカラにて

 ポカラは大きな町だ。ネパール第二の都市とのこと。かなり賑わっている。

7-6-1 昼食(1210~1315)

 ポカラで昼食。旅行会社と同じ敷地にある日本料理店。ここでも野菜を栽培していた。今回車にはガスボンベや人は乗っていなかったが、サトウキビが積み込まれていた。この食堂でここで不足しているものを、ついでに我々が泊まったロッジから持ってきていたということのようだ。
 ここでのメニューは全く日本の物と変わりなかった。丼物や定食などがある中で、junはカツ丼を、noriは鍋焼きうどんを頼んだ。カツ丼のカツは薄く、うどんのスープはだしがきいていなかった。やはり日本そのままというわけにはいかないようだ。

nepal2389 19 15-34.jpg料理店はゲストハウスも兼ねている
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7-6-2 散歩(1315~1350)

ポカラ発(1355)

 そのあと少し時間があるというので近くを散歩することにした。ここは湖畔の町なので、その湖に行ってみることにした。
 ボートなどもあったが、この季節、あまり乗る人はいないようだ。若者が騒いでいたり、散歩する人がいたりここは人々の憩いの場になっているようだ。
 そんなことを思いながら歩いていると「こんにちは」と声をかけられた。日本人だった。息子さんがこちらにいるので、今は逗留している感じで、もう少ししたらここに住むのだそうだ。日本人がいて、生活している・・・ちょっと驚いた。彼女はポカラはいい街だと言っていた。ここは西洋人も多くいるので、カトマンズ同様それなりの生活は出来そうだ。

nepal2394 19 16-51.jpg湖自体は静かだった リゾート地帯は反対側らしい
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7-7 ポカラ空港にて

ポカラ空港着(1401)

 旅行会社から空港まで車で送ってもらった。ものの5分ほどで空港に着いた。
 まずイエティ航空のカウンターへ行ってチェックイン。といっても自由席なので、切符を買っただけ。驚いたことに、ガイドは現金で買っていた。飛行機会社でもカード決済では無いらしい。もっともマイレージカードをガイドはしっかり出していたから、そこはネット処理されているのだろう。(この頃になるとガイドの行動が一つ一つやけに気になるようになってきた。)
 カウンタ横で荷物を預けて、ボディーチェックへ。男女別の列になる。junの前の人は何かいけないものを持っていたらしく通してもらえず、憮然とした顔でUターンしてきた。電池かも知れない。あらかじめ電池は機内に持ち込まないように言われていたので、我が家はしっかりと預け荷物の中に入れた。その甲斐あってか、junは簡単に通過。noriは一つ一つこれは何か?と聞かれて、他の人の何倍も時間を取っていた。途中で調べる方も面倒になって通してくれた格好だった。
 飛行機は左の席がいいというので、待合室では、出口の一番近い席に座って待っていた。
 しばらくして飛行機が着陸した。折り返していくあの飛行機に乗るらしい、と思ってみていると、阪急の団体が下りてきた。皆スーツケースを持っての移動だった。

nepal2398 19 17-18.jpgカウンター一つの航空会社
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7-8 機内<NTY 682便 自由席>

搭乗(1440)離陸(1446)カトマンズ空港着陸(1510)

 それから手際よく機内清掃などがされて搭乗案内があった。
 一番に乗ろうとしたら、幼い子供連れがいたので、係員がそちらを先に乗せた。これはこれでよかったのだが、それに乗じて日本人の一人旅の男がさっとすり抜けて行ってしまった。これにはjunはそうとう頭にきた。その男は左の最前列に陣取った。これだから一人旅の人は嫌いだ。我々は逆に一番後ろから席を占めた。
 座席は1-2の並び。左側だと一人で座れる。事前に調べておいて、ポカラからカトマンズ便は左側の席を占めることと学習していた。
 すぐに離陸。30分足らずの飛行なのに、飴やピーナッツ、コーラなどが配られた。
 確かに左の席はよかった。ヒマラヤの山々が途切れること無く続いていたからだ。素晴らしい景色だった。ただ知識がないので、山々の名前が判然としない。
 空港に着くと、バスが待っていた。それに乗って行くと出口の所になる。荷物の無い人はそのまま出て行く。荷物のある我々は、飛行機から降ろされて荷車のようなもので運ばれてきた荷物を直接取る。係員にその赤いの、と叫んで取ってもらうのだ。何と原始的、と思うがこれで間違いは無いのだろう。預け荷物もそれほど多くは無かった。

nepal2403 19 17-54.jpg順番が後ろになって悔しがるjunさん
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7-9 ホテル<マーシャンディ 402号室>

空港発(1525)ホテル着(1551)

 前のドライバーさんとここで再会。ホテルまで送ってもらった。
 シヴァラートリーの準備だとかで人が沢山集まってきていた。今走っているメーンの道路も明日は通行止めになるという。それだけでもどれほど賑わうのか想像がついた。町は雑然の度合いを更に高めていた。
 ホテルはまた4階だ。とにかく停電になるとエレベーターが動かないので、なるべく下にして欲しかったのだが、仕方が無い。ガイドは正月はこのホテルはNKTの客で貸し切りになると自慢していたが、それなら何とかならないものか。自慢話は良いから、我々の為に働いてくれ。
 ホテルは当然ながら、停電なので全体的に暗い。(灯りが点いたときには、この前と違って、すべての電球に灯がともった。)

nepal2505 19 18-43.jpg物売りなどでごった返す沿道
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7-10 散策(1630~1740)

 今夜は夕食が無いので、目星を付けておいたレストランまで、ガイドに道案内してもらった。そこには日本語の分かる人がいて「大丈夫」ということだったので、そこに決めた。でもガイドが言うには、結婚式に行かなければならないとか・・・。また後で来るということにして、しばらく町を散策してみることにした。そこでガイドさんとは別れた。
 実はこのレストランは、住まいの近くのインド料理レストランの人に教えてもらったのだった。この人は実はネパール人で、宿泊予定のホテルの名前を言うと、ここを紹介してくれたのだった。「友達の店」を紹介されるのも困るが、レストランを紹介できないガイドも困ったものだが、我々はそういうときの為にも満全を期して調べてきている。
 空港からホテルまでの途中、ホテルに比較的近い場所にスーパーマーケットがあったので、そこへ行ってみようということにしたのだ。途中、車が縦横無尽に勝手に走っているので、道路を横断するのも大変な思いをした。でも、ベトナム(ホーチミンなど)ほどの怖さは無かった。
 二人とも結構記憶がよくて、迷わずにスパーマーケットにたどり着くことができた。そこでお土産になるようなものを少しだけ買い込んだ。ここは値段が決まっているので、面倒な値切り交渉はしないで済む。本当にコンビニのように、色々トイレットペ-パーのような生活用品から土産物まで品数豊富な店だった。
 それからまた少しふらふらしてホテルへ戻った。明日はまた別の所に1泊するので、そこへ持っていく荷物だけを別に用意した。

nepal2521 19 19-54.jpgレストランのドア
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7-11 夕食(1900~2035)

 約束した時間になったのでレストランへ行った。レストランと書いたが実は居酒屋のような店だ。結構地元の人が飲みに来ていた。
 頼りにしていた日本語の分かる人はいなくて、全く言葉の通じない人ばかりだった。店の若い子たちも皆集まってきたが、意思疎通が出来なかった。混乱した原因は、店員があらかじめ頼むリストを持っていた為だ。これを食べろという感じだったので、それを断り、仕方ないので、日本で調べてあらかじめ印刷していた紙を見せて、それを頼んだ。ビールはローカルビールと言ってエベレストビールを頼んだ。
 しかしこれは勘違いであった。そのうちに、日本語の分かる人から電話があって、結婚式から抜けられないとのことだ。まあ仕方が無い。で、あらかじめ頼んであるのでそれをと言うので、事の次第を理解した。好意でやってくれたのだ。大丈夫、ありがとうと電話を切った。訳の分からぬ日本人に、二度とこないだろう日本人に、ここまで親切にしてくれたのには驚いた。
 それからも何とか脳みそやタンなどを頼んでお腹いっぱいになった。ビールはエベレストビールだったが、外のネパール人はみなツポルグビールを飲んでいた。どうも地元でライセンス生産しているらしい。そういえばあちこちで宣伝を見た。エベレストビールよりかっこいいと言うことか。お店の人は、当たり前だがエベレストビールはよいと言っていたが・・・ なお、ビールはギンギンに冷えていて、最後に頼んだものなどは触ると凍りそうなくらい冷たかった。締めて1120ルピー。安いものだ。料理も悪くなかったし、満足だった。
 厨房内の写真も断って撮らしてもらった。
 この旅行一番の食事内容だった。この後もそうだが、ガイドの食べさせる食事はホテル以外では、外れが多かった。

nepal2546 19 23-19.jpg水牛の脳みそ
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7-12 就寝(2100)

 いい気持ちで帰ってきたので、すぐに寝た。
 明日はマウンテンフライトが待っている。晴れることを祈る。