8月21日(土) ポルト市内とブラガ見学

○ポルトガル最初の夜が明けて
 時差の関係かあまり寝つかれないままに、4時近くに目を覚ましてぐだらぐだらとしていた。そしてこの間を利用して則は今日の予習をした。それから順さんも起きたので6時30分に起床。支度をして朝食まで少し時間があったので、外へ出てみる。もう既に明けていて明るいので、安心して外出ができる。といってもホテルの前をうろうろしただけ。気温はけっこう低いようで、長袖でも寒い感じだ。
 7時から朝食。いつもなら既に結構な人なのだが、今回は皆出足が遅く我々が2番目だった。勿論バイキング。ハムと果物が種類が多かった。7時30分に部屋に帰ってくるとちょうどモーニングコール。その後、すぐにポットのお湯を沸かし始めた。

○人々は太陽を楽しんでいた
 ロビーへの集合時間は9時で、説明用の無線の機械の説明を受けた上で、直ぐに出発、最初の見学地へ。まずチーズ城(9:05から9:20)。チーズ城といってもチーズに関係があるわけではなくて遠くから見たときの形がそれらしく見えるということでそう呼ばれたらしい。海岸に面してあるのだが、そちらにも大砲があり、道路に面しては堀が掘られていてずやはり大砲がある。昔は大きかったのだろうが、今残っているのはそんな一部だけ。と言うよりは、砲台跡と言うべきところなのかも知れない。
 目を海岸に向けてみると、我々は長袖のシャツでちょうどいい気候だと思っているのに海水浴や日光浴をしている人たちがいる。裸で歩いている人たちがいる。このくらいの気温は現地の人にとってはそういう気温なのだろう。

○ドウロ河に沿って
 バスはドウロ河に沿ってしばらく町の中を走る。ここも坂が多いと言うことだが、本当に平らな道など全く無いようだ。それも半端な傾斜でない道が多い。しかも道路は狭い上に小さな石畳。そこへ路面電車の線が走っている。これが自転車を見かけない理由かも知れない。いや、オートバイも見かけないなあ。この地区は、歴史地区ということで昔の面影を強く残している。家も高いビルなど無くきれいな感じ。

○バロック装飾の極致というサンフランシスコ教会へ(9:45から10:25)
外見はあまりさえない感じの教会についた。何処だろうと思って案内板を見たら、どうやらここがサンフランシスコ教会らしい(写真左がサンフランシスコ協会委の入り口部分で、正面は現在はボルサ宮の中にある銀行の食堂とか?)。が、中に入って圧倒された。室内の彫刻はバロック様式と言うことだが、はではで。ポルトの道のように平らなところが全く無いほど、天井・壁・柱あらゆるところに彫刻がなされている。しかも金箔で覆われている。祭壇の両はじの礼拝堂へ続くドアは一方が火事のため消失したためコンクリートで造り直されているが、不似合いでもったいない。祭壇前の地下は、以前は墓地として使われていたが、現在では6、7個残っているのみとのこと。ここで有名なのは「ジェッセの樹」。その腹の部分から樹が生えているキリストと12人の使徒をはさんで上下に聖母マリアがいる。この国はキリスト以上にマリアを敬っているということだ。
 外へ出ると電車(市電)の終着駅がある。そこを通り過ぎるとエンリケ航海王子の広場とそれに面したボルサ宮を外側見る。航海王子の像の周りは掘られていて何か調査をしている感じ。Tメートルくらい下から石畳か壁のそれか、位置の面なりが掘られて板。ボルサ宮は外からの説明だけで終わりだったので残念。そのあと少しの時間を使って、市電の前で記念撮影。

○大聖堂へ(10:30から10:55)
 さて、のっけから質問。聖堂と教会の違いは? その違いは司教(司教座)がいるかどうかと言うこと。(注釈2)ここは要塞としての性格を合わせもつって造られているので強固。ただ何度か作り直されている名残が祭壇両わきの礼拝堂に見られる。ドアがつぶされてしまっている。さっきの教会もそうであったが、前の通りになどとは考えないらしい。無造作に修復している。
 

○ドンルイス1世橋を渡って展望地へ
 橋を渡った我々のバスは急峻な丘へ上っていった。そこはドンルイス1世橋を2階建てになっているそれの更に上から俯瞰する形の展望地。2段の橋をアーチで結んでいる姿が良く見てとれる。またドーロ河の河口付近の雄大な展望も見逃せない。景色を堪能したが、坂の多い町ではの景観であった。

○ワインの試飲(サンデマン)(11:15から12:25)
 そのあと我々はサンデマンと言うポートワインとシェリー酒の酒蔵を見学した。お決まりの工場(正確には貯蔵庫)見学の後2種類のワイン、甘くて白いものと一番新しいビンテージものの2種を飲んだ。そのあとそれを1本ずつ購入。ポートワインはいろいろあるが、要点は発酵途中でまだ完全に糖分が酒精に変わらぬうちにブランデーを添加し酵母を殺して発酵を途中で止めること。そのためにアルコール分が高く(20度くらいのものもある)かつ甘味が残されているワインができあがる。これらをブレンドしたりねかしたりでいくつかに分類されるワインができあがる。

○昼食(12:40から14:15)
 それからいよいよ昼食になった。ワインの試飲の後で、1本はきついかなぁと思いつつ店に入ったら、なんとワイン赤白とミネラルがサービス。ここは飲むしかないでしょう。
 店の名前は、「TRIPEIRO」と言う。始めに塩のきつい腸詰めが出てきた。かなり固い。それから鰯の丸揚げのようなものがでてきた。腹が割れていて、粗雑な感じの料理だったが、存外これがいけた。おかげでワインが進んだ。結局2本を同じテーブルの酒豪の女性と彼女の友人(?)のあまりたしまわれない女性との合計4人で空けた。
 此の店は繁盛している店で、次から次へ引っ切りなしに客をのみ込んでいく。我々は一番道に面したテーブルだったが、奥もけっこうあるらしい。観光客よりは休みの土曜日を家族連れで食べようと言うような客が多かったように見受けられた。
 食事のあと約40キロ離れたブラガへいく。良く整備された日本流に言えば高速道路をバスは飛ばしたが、途中で寝てしまって良く覚えていない。

○ホンジェズス教会(15:20から15:55)

 土曜日とあって結婚式が3組。そのせいもあって、かなりににぎわいだった。座席も生花で飾られていてとてもきれいだった。ビデオの撮影隊や写真屋がいて、この国の結婚式の一端をかいま見た感じだった。
 教会の塔は2つあるが、それの合体したあたりに4聖人の像がある。左からルカ(牛を携えている)、ヨハネ(タカ)、マタイ(天使)、マルコ(ライオン)だそうだ。
 上から三徳の泉(博愛、希望、信仰)、五感の泉(触覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚)と続く。下から上を眺めると素晴らしい。信仰心の篤い人たちは下からこうして昇って来ることで、神に与えられた五感を研ぎ澄ませ得を積むのかと思っていたら、何とエレベーターがあると言う。興味を持ったがそれらしいものを見つけることができなかったが、実に18世紀から動いているもののようで、ケーブルカーのようなものかと想像してた。
 そのあと山頂に建つこの教会を辞して市内の繁華街に戻り、しばし散策をしてからホテルへ戻った。このような市内散策が、今度利用した旅行会社の特徴の一つでもある。市内は人々が土曜日で休みと言うこともあってかカフェテラスなどで時を過ごす姿を見ることができた。

○夕食(19時30分から20時40分くらいまで)
 17時半を少し回ったところで、ホテルに帰着。何はともあれベットに倒れ込み、1時間ばかりしてから風呂に入り夕食の場所へ向かった。食事は朝と同じホテルのレストラン。皆一様に着替えてきており、いい加減ではあったが我々も一応着替えて、その場を取り繕うことだけはできたと思う。
 夕食はスープと肉料理(豚肉の固まりをボイルしたものをスライスしてドミグラスソースをかけたものだと思う)の温野菜(揚げたものか)添えとデザートだった。昼食に比べて質素。スペインと同じようにこの国も昼食中心主義のお国柄なのだろうか。テーブルワイン(赤)を呑んだが、どうも瓶のラベルと中身は違うような気がした。夕食前は胃薬などを飲んでいたのだが、存外食が進んだ。
 その後は既に風呂にも入っていたし則はすぐに寝たかったが、順がこの日記をつけ始めたので、しかたなく明日の予習をする。21時30分ころ就寝。
 ところで持参したデジカメ用のニッケル水素電池の充電器の銚子が悪く、寝ている間に充電していたがとうとう壊れてしまった。明日いっぱいは電池が持つと思うが、そのあとは順さんが持参した新しいハンディーカメラを借りるしかない。残念。(結局デジカメの電池は最終日の自由散策日を除いて持続した。)


注釈2・・・ツアー同行のKA様からのご指摘):聖堂と教会ではなく,「大聖堂」と教会の違いです。司教座の置かれている教会を「大聖堂」とか「カテドラル」といって区別しています。(詳細下記参照)また,ポルトガルでは大聖堂のことを「セー(ご免なさいポルトガル語表記できず)」といいます。

司教と司教座聖堂

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