8月22日(日) アズレージョと鱈とマニュエル様式の国

○リシュボア(リスボン)へ向けての第一歩 アヴェイロへの旅立ち
 今日は日曜日だが、昨日よりも1時間早い8時の出発。その分急がなければならない。その上、チェックアウトで電話代も払わなければならない。あまり高額でなければ良いがと思っている。(260$だった。)
 朝はやはり4時過ぎに目を覚ました。順などは2時ころ起きていったん日記を書いたくらいだ。そのあと例によってぐだらぐだらしてから、4時過ぎから則は日記を書き出し、順も5時40分には起こした。そのあと今日は先に順の壁塗りや歯磨きなどをして、荷物のパッケージに取り掛かった。とはいえ、整理に時間はかかったものの、手荷物を増やしたり要らなくなった下着類を捨てるなどしたので、メインの鞄はすき間だらけだ。6時30分過ぎのモーニングコールがあった。それからパッケージした鞄二個を廊下に出して、少し早めだが朝飯に向かった。昨日定刻に行ったら既に準備完了で、一人二人食べていたので、大丈夫だろうとたかをくくっていった。が、まだ準備ができていなくてその上場所も変わっていて、結局は定刻を過ぎた時間になってしまった。こんなとき、英語でさっさと事情を確認している人がいるので心強いがうらやましい。このツアーにはペラペラな人が何人もいる。はなしをそれとなく聞いていると先生も多そうだ。
 朝食は場所は変わっても内容は同じ。でも、果物が多くておいしいのでまあ良としよう。
 集合時間を間違えた人がいて、8時10分に出発 。しばらくは何の変哲もない風景だったが、やがて塩田が見られるようになると最初の目的地、アヴェイロだ。

○アズレージョの駅 アヴェイロ駅(9:05から9:25)
 アズレージョといえばこのアヴェイロ駅が必ず紹介さてるほど代表的なものだ。町にもあふれているのかと思ったがあまりみかけなかった。そのかわり色々な色彩できれいだった。
 駅は思ったより小さかった。もっともこの町の規模から言えばこのくらいが妥当だろう。正面の壁を覆うように青と白のアズレージョがある。一つ一つが塩田の絵であったり此の地方の女性の絵であったり、今日泊まるホテルの絵であったりと内容は様々だがこの地方を紹介しているには違いない。プラットホームにも出入り自由なので行ってみると、そこの壁にも同じようにアズレージョがあった。きれいだ。確かに一見の価値あり(写真左の青い部分が絵タイル=アズレージョ=で飾られた部分)。
 運良く列車も到着してくれた。どうも人が多いと思っていたが、それは電車を待っていたわけだが、まさに我々が撮影しているときに勢い良く入ってきてまた格好の被写体となってくれたのだ。
 ところでアズレージョとは何なのか? 簡単にいてしまえば「絵タイル」なのだと思う。これには3つに分類が出来ると思う。第一は絵タイルの技術が未熟で10センチくらいのタイルの中に様々な色を使えなかった時代のもの。この場合の表現方法としては、各色のタイルを細かく砕いてちりばめるという方法が採られていた(例:シントラの宮殿の礼拝堂の床)。それから技術が進歩して1枚のタイルの中に数色を描けるようになったもの。イスラムの影響を強く受けているから植物を図案化したようなものや幾何学模様がある。それからカラーバージョンもないことはないが青と白によって表現される絵画的な絵タイル。これは目的の大きさだけの絵タイルに絵の各部分部分を描き総合的に一枚の絵画に仕上げるもの。アヴェイロ駅のものは一番後者。リシュボアの旧市街では壁いっぱいに幾何学模様があったり、壁の一部がタイル絵になっているものが多数合った。

○アヴェイロ中心街を自由散策(9:30から10:20)
 それからバスで少し走って中心街へ行く。中央運河に舳先にはきれいに絵を描いてあるこの地方独特の運搬船、モリセイロが数艘浮かんでいた。それを脇に見ながら散歩を始めた。先ず添乗員さんの紹介してくれたここの、オボシュ・モレシュという甘いお菓子を見に行った。卵黄をペースト状にしたようなもので、九州の何とかと言うお菓子に似ているとか。色々な形をしたぎょうざの皮のようなものに包まれているのとモリセイロを描いた樽に入っているのと2パターンあったが、うちは樽の方を買った。中身より入れ物が目当てだ。でも、こうしてお菓子を買っても則は食べないので結局いつも捨ててしまうことになる。今回はそうならないことを祈る。
 自由散策で人とは違う道に行ってみると16世紀の教会に辿り着いた。それは正面をきれいにアズレージョで飾られていた。それだけでなく道路の石畳もきれいな模様になっていて、この町の人の感性には嬉しくなる。なのに、きれいな壁にスプレーでいたずらがきをするけしからん輩がおり、何処の国でもとは思うが残念なことだ。

○コインブラ 新サンタ・クララ修道院へ(11:15から11:50)
 バスは山の上を目指して走る。下にはコインブラの町が一望できる。この国はオレンジの瓦屋根に白い壁とほとんどの個人住宅はなっているので全体が一つの絵のようだ。
 バスを降りたところは教会。門を入るとその町を見渡すようにイザベラ王妃の像が建っている。大変慈悲深い人で、後に聖女扱となったとのこと。中にも棺などこの人関係のものがあるらしいが、ミサの最中でそっと見学。どういうわけか聞きそびれたのだが、棺は新旧2つ教会の後方に安置されており、古い棺は質素で、新しい棺はそれなりの装飾があったが、分骨でもしているのだろうか。ともかくも、ミサの最中の厳かな感じを味わった。

○昼食は町のレストランで(11:55から13:00)
 Don Pedroにて。本日のメーン干したら料理(バカリャウ・コン・ナタシュ)をいただく。干した鱈とジャガイモのグラタン風煮物といった感じか。それにしても本当に量が多い。とくにわが家はお定まりのフルボトルワインを飲んでいるので結構きついものがある。
 きついといえばこの国のコーヒーは大きなホテルの場合を除いて、エスプレッソ。則は濃いコーヒーはだめなので、この日限りで遠慮することとなる。というのは、このひのこれからの見学で胃が相当シクシク痛んだためだ。

○コインブラ市内自由散策(13:00から13:45)
 坂道の多い町。ポルトガルは海沿いでなくとも、どうしてこう坂かがおおいのだろうか。坂をゆっくりと上っていくと日曜日なのでほとんどの店は閉まっていたが、お土産やさんや観光客相手の簡易なレストランだけはやっていた。土産物屋をいくつか覗きながら更に昇っていくと、教会にでた。中を見学してから戻る。途中の小さな店で、コインブラのファドのCDを買う。(写真左は土産物屋で物色する則)

○コインブラ大学の見学(13:55から15:15)
 旧図書館は、蔵書数50万を数える。この図書館は人数制限をして見学させる。木製の扉を開け20人程度入れるとまた閉まる。たぶん各国語に分かれて入場させているものと思われる。図書館は地下に蔵書庫があるが、本体は調度二階がすべて吹き抜けになったような作りで、体育館のギャラリーのような部分がある。そこへは部屋の中央のアーチ状の門の柱部分に扉があり、柱をくりぬいたようになっているらしく、ギャラリー状の部分にその出口があって、上に行けるようになっている(観光客が本を直接触れたり二階部分に上がれると言うわけではない)。
 図書館を後にして、サッカーができるくらいの中庭のちょうど反対側に位置する塔のほうにあるラテン回廊に行く。ラテン回廊と言うのはかつてその場所ではラテン語しか話してはならなかった場所という込とらしいが、今はあまり興味を引くものはなかった。(写真正面左の2階部分の回廊がラテン回廊)
 そうそう忘れていたが、図書館から塔のほうへ向かって行くと、ラテン回廊の付け根にはチャペルがある。かつてここは王族の館であったので、プライベートチャペルの様相を持つもので、その王族たちの入り口部分はマニュエル様式の見事なものになっている(写真右)。
 ここでマニュエル様式と言う様式について説明をしておきたい。マニュエル(T世)というのは王様の名前。この国が航海立国で華々しかった時代のその基礎を作った時代の王様。そしてこの時代のそうした海外進出の総元締めだったのが、エンリケと言う王子。そうした時代の中で成立した建築様式、というか建物の装飾様式をマニュエル様式と呼んでいるようだ。このポルトガル独特の様式の特徴は、基本的には海に関係するものが装飾の中の中心部分に座っていること。航海に使うロープなどや海草と言ったモチーフがそれ。それから海外進出を象徴するもの、つまり海外で新しく入手したパイナップルだとかトウモロコシだとかと言ったものがモチーフになっている。それから特にファサード(教会などの入り口部分)部分の彫刻には多くの場合ポルトガルの象徴の紋章とマニュエル1世を象徴する地球儀が描かれていること。
 さてラテン回廊の途中から建物内部に入ると博士号授与式の間。博士号授与式の間と言うのは、ちょうど大学の講堂と言った趣のところで、壁面にはかつてのポルトガル王国の王の肖像画が描かれていた。我々はそこをちょうど二階にあがって、バルコニーから眺めた。そこを通ると、ここで博士号をとった人々の肖像画がある部屋があったが、我々の知っている人はいないらしく説明はそれだけでとおりすぎた。(注釈3)そこを通ると、屋根の横と言った感じの部分にでることができ、眺望絶佳だった。新旧大聖堂や、水豊かな川の流れを眺望できた。

○旧カテドラル見学、先ほど来たところ(15:20から15:55)
 大学を後に坂を下っていくと、旧大聖堂へ出た。最前に町を散策して坂を上っていったときに偶然出たところで、図らずもこの日二度目の訪問となった。ここは撮影禁止のところで、旧来の建造物を守ろうとする姿勢は感じられなくはなかったが、外観だけでは草が生えていたりで、必ずしもそうしたものが徹底していると言うわけでもなく、保存もこれからだなぁという印象を持った。おおむねロマネスク様式の建物だが、祭壇はゴシック様式で重厚なものだった。12世紀に建立されたものということだが、内部の一部は既に剥離していて美しいアズレージョも一部欠損している。

ブサコのホテル着(16:30)
 コインブラから4・50分でブサコに着く。ここは山の中腹に造られたかつて国王の狩り場のための館跡ということで、スペインのパラドールをまねた制度(ポウザーダ)(注釈4)によって運営されているところ。したがって部屋は計画的に造られているわけではないということで、部屋割りは抽選になった。順さんが引き当てた部屋は1階の中ほどの部屋で、彼女は不満で、部屋の様子を撮ることさえ気力をなくしていたが、狭いことを除けば良くできた部屋だと則は思った。
 さて5時からチャペルがあくということで、それにあわせて20分ほど散歩に行く。あいにくどうしたわけか、既に閉まっており、山の頂上の眺望のよい部分には行くのをためらい、部屋に引き返し風呂に入るなどして疲れをとった。

夕食(20:00から21:30)
 夕食はホテルのダイニング。8時から。この遅いスタイルはスペインと同じ。コースメニューは日付の入った本格的なもの。はじめに人参のスープ。これは昨日と同様のもの。それから卵の料理。パイ生地の上にメレンゲ状のものの上にほうれん草が乗り、更にその上に半熟のポーチドエッグの上に、さらにクリームのようなグラタンのソースのようなものがかかっている。半熟卵の処理で皆一様に苦戦していたが、たぶんパイの中に落とし込んで、すべてパイ生地に吸収させてから食べるのではないのだろうか。則は半熟卵をスプーンです喰ってそのままのみ込んだ。味的にはどうと言うことのないものだったが、たぶんこの地方の名物なのだろう。
 そのあとはお決まりの肉料理で、鳥肉だったが、その量が多く多くの人は残していた。最後はデザート3種。カスタードクリーム状のものと、アイスクリーム、それに焼き菓子だった。最後のそれはこの地方の名物ではないかと、同席のご婦人が解説をしていたが、酔いも手伝って定かな感想はない。
 この日のワインはこの城のハウスワインということで、門外不出らしく、あとで上記のご婦人が買い求めようとしたが、フロントで売り物ではないと断られていた。あわよくば私もと思ったので、彼女は相当残念だったろうが、則もややがっかりした。このワインは軽めのほんのりフルーティーな1994年のビンテージワインで、日本酒でいえば北陸地方の酒の趣。ところでいつものようにワインラベルをはがしていると、白はあつめませんかと同行の別席のご婦人が親切なお申し出。ありがたくからのボトルを受け取ったが、それを見ていたウエイトレスさんが貼る前のラベルを持ってきてくれて、周りの失笑を買ってしまった(写真右)。
 部屋に10時ころもどり、日記をつけたり予習をしたりで、11時前には睡魔が襲った。そしてこの日記はまたもや深夜3時過ぎの作業となった。

注釈3・・・ツアー同行のKA様からのご指摘):肖像画は,博士号をとった人ではなく,「コインブラ大学の歴代の学長(1701年までの)」と思います。添乗員の○○さんは,確かに博士号をとった人といいましたが,現地で貰った大学の案内リーフレットには,Rectorとなっていますし(同封のコピー参照),ガイドは,英語でMasterと説明していました。「学長」が正しいと思います。
(左図はKA様に送付いただいたリーフレットの部分)

注釈4・・・ツアー同行のKA様からのご指摘):ポウザーダは,古い城や修道院,宮殿などを宿泊施設に改装した国営ホテルです。ブサコのパレス・ホテルは20世紀初めから民営ですので,厳密に言えば,ポウザーダではないと思います。

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