8月23日(月) 勝利に導いたマリアの奇跡はファティマでもなお

○古城を後ろ髪をひかれる思いで出発
 旅行4日目。実質は7日間の旅であるから、いよいよ旅も中ほどに入ってきた。朝6時になったので、順さんを起こしにかかるが、ふにゃふにゃいっていて、中々起きはしない。しかたなく則はお湯を作りはじめる。もっともまだ外は星が見えるくらいに真っ暗だ。7時ころ少しだけホテルの前のフランス式の公園状の庭園を散歩したが、既に同行の人々も何人か訪れていた。
 今日は出発の時間が8時45分で朝食が8時からなので、食事前にすべて用意しておかなければならない。この館のホテルをそのような早い時間にでるのは少々もったいない気がするが、予定が詰まっているので仕方がない。
 朝食はビュッフェスタイルなのは同じ。焼きリンゴがあったので食べたが、甘さが押さえられていたのと日本だとシナモンが入っているのに入っていないところが特徴的だった。
 少し準備に手間取って、8時50分に出発。いつの間にか館はうっすらと白い中にいた。その朝霧の中の幻想的な雰囲気の中、時々バスはクラクションをならしながら下界へと降りていった。そういえばこの国では車がクラクションをならすのは最低限に押さえられている気がする。

○ルソの湧水 ポルトガルの名水(8:55から9:00)
 車が山から降りたところがルソの泉と言う、ポルトガル版名水100選といった場所。実際この名のついた水はミネラルオーターとして売られていて何度か目にした。バスを停めた場所から横断歩道をわたった所だったが、移動交番とおぼしきものをあり、土産物屋もあり、早朝から既に開いていて、観光地であることが知れた。
 取水するところは良くできていて、いくつもの水の取り入れ口があり、我々ももちろんそうだがポルトガル(と言うか日本人以外の人)もペットボトルや大きめのそれやらを持って取水していた。水はぬるくてそう感激をするものではなかった。ホテルの水は結構冷たく、冷蔵庫の無いホテルでペットボトルを冷やすのに使えたくらいだったのにどうしたわけなのだろうか。取水口のとなりで沸き出しているところも見ることができたのに、???である。

○トマール マヌエル様式の傑作 イエス修道院
 レコンキスタに貢献したテンプル騎士団に国王が土地を寄進し、そこに壮大な修道院を造った。山のほぼ頂上にそれがあり、最初は城壁部分というか砦の役割をしていたのだろう部分が造られ、安定した時代になってからだろうか本体である修道院が建造されたのは。
 修道院部分の正面はプレテレスコ様式。スペインのサラマンカと同じ、細かな石膏細工が特徴。でもここのはそう細かいと言う感じはしなかった。中に入ると礼拝堂がある。円形のもので、その中を馬に乗ったまま入ったそうだが、いまは工事中であった。柱なども金箔の装飾があり残念だった。
 更に進んでいくと墓の回廊(バスコダガマの兄弟の墓がある)、沐浴の回廊を見た後、礼拝堂へ行く。アズレージョがきれいだった。それから階段をあがって聖歌隊の部屋へ。ここも典型的なマニュエル様式の部屋だが、何より椅子の工夫がおもしろい。聖歌隊の場所は手すりがあり跳ね上げ式のちょっとした椅子がついている。長時間に渡る合唱で疲れたさいになにげに座れる工夫がされているもの。
 ジョアン三世の回廊(フェリペ家の回廊)を見てからここの最大の見物である大窓を見る(写真右)。それから10分程度しかない自由時間となり、大窓の良く撮れる階下にいき、シャッターを何度も切った。更にあわててその階下の付属のショップへ急ぎ、ぺらぺらのパンフレット状の解説書とおぼひきものを買ったが、後で良く見るとこの地方全体の解説書だった。

○昼食 ORECINTO(12:40から13:50)
 野菜スープ、魚(干したらのフリッターのようなもの)デザート、コーヒー。ワインは600$で、ファティマの図柄入りのハウスワイン。野菜のスープは例の人参のスープと言うもの。どうやら我々がポルトガル入りする前に人参が大方策だったらしい?!この連続攻撃はまだまだ続く。
 鱈は干し鱈を戻したものと思われたが、完全に戻したものとそうでないものとがあり、うっかり戻したものを先に食べて次ぎも同じだと食べるとあまりの塩辛さに瞳を全開することになる。
 デザートは朝食べた焼きリンゴに二度目のであい。

○ファティマ バジリア(14:00から14:45)
 この第一次世界対戦末期にもたらされた奇跡については長くなるから旅行解説書に譲りたい。それが奇跡として生き続けていることは、出現の礼拝堂(ミサ中)を膝で訪れる人が何人もいたことでもわかる。五体倒置のうようなものがキリスト教にもあるのだと想った。献火場所が礼拝堂の横にあって、ローソクの火が絶えない。我々も110$で40と70のローソクを買い、ひとときクリスチャンに変身した。さらに幼子二人の棺の安置している聖堂に入り、見学をした。ここではボランティアの人とおぼしき人々が警護にあたっていた。お土産にキーホルダーを買う。450$で高め。

○勝利のシンボル  バターリャ修道院(15:20から16:25)
 ここは数的には劣性だったポルトガル軍が、祈りと戦略の巧妙さからスペイン軍を破りその独立を勝ち取ったポルトガル王が、願いを込めて祈ったマリアの恩に報いるために建立したもの。だから勝利のマリア教会・・・だったと思う・・・という名もある。門はゴシック様式で、門の上にある網目の模様は珍しい。キリストの両わきにいるのは12使徒。
 入ってすぐある創設者の礼拝堂には、ジョアン一世と妃の棺がある。その周りにはエンリケ航海王子の墓もある。そう我々はポルトガルの富の権化の彼にとうとう対面することができたのだ。
 王の回廊へいくと兵士が番をしている。奥の参事会室には柱がない。無名兵士の墓がそのなかにあり立ち番がいる。造ったものの人々にこの不思議な構造をとがめられ壊れると言われたので3日間中心で過ごしその安全性を実証したということで、今日もなお美しい姿を保っている。キリストを描いたステンドグラスがきれいだった(後世のもの)。
 最後は未完の礼拝堂へいく。天井ができてない。しかしながらここの装飾は見事だ。マニュエル様式の到達点の一つと言えるだろう。

○ナザレ 奇跡の丘へ(16:55から17:15)
 北の高台にある断崖絶壁の景勝地。下には海岸が広がる。事情を知らぬ、断崖絶壁のこの地にさしかかった貴族がその崖から落ちる直前に、やはりマリアを見て九死に一生を得たとされる地。断崖のそばにメモリアル教会と言う、こじんまりしたほこらがある。その中のアズレージョがきれい。階段を降りるとマリア像がある。
 広場の周りはお土産物やでいっぱい。奥には大きなノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会がある。

○海岸通りの散歩(18:20から19:10)
 ホテルは海岸通りの近くにあったが、大混雑の影響でホテル前にバスを横付けすることさえできない。その上ポーターがいるようなホテルではないので(というかそうしたホテルは多分無いのだろうと思う)、自分たちで運ばなければならず、チェックインに時間がかかった。
 荷をほどいてからすぐに海岸へ出向いた。海岸は、いままでポルトガルは人が少ないと思っていたが、そのすべてがこの地に集まっているのではないかと思われるくらいに、沼南海岸も真っ青な状態。しかしながら、喧騒感はないのはこの地の素晴らしさか。民宿の案内のプラカードを持って客待ち顔の伯母あさんんも呼び込みをする風も全く無い。お土産に帽子を買う。一応ポルトガル・トラディショナルとあったので、帽子マニアの則は買わざるを得ない。
 時間が無くなったので、急いでホテルに戻りシャワーを浴びる。

○夕食は名物料(19:30から21:00)
 焼いたいわしとカルディラーダ(魚と野菜を煮込んだポルトガル風ブイヤベース)がメインディッシュ。勿論お決まりのスープもあったが、ここのは具が多かった。鰯の焼いたのはすこぶるおいしかった、日本人語のみと言うか、ふるさとへ戻った感じかな。
 ブイヤベースはふだん接しているものよりもスープが少ないもの。魚は赤魚のような感じのもので、大味でまぁまぁといったところ。
 そのあと自己紹介の時間があり、部屋に戻りスーツケースの一つをパッケージして寝た。



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