8月25日(水) 天正遣欧少年使節の引いたパイプオルガンに対面

○市場はバザールとは違った(9:15〜9:35)
 今日はほぼエボラの郊外に泊まっていたので、出発は9時で十分だった。最初にマニュエル1世公園へいく。ここにはバスコ・ダ・ガマの像がある。さらに宮殿のテラスにも彼の肖像が彫刻されており、その偉大さが知れる。庭園の前は広場と言うか駐車場になっている。その広場にくっつくようにして市場がある。向かって左側が魚の市場で、日本でもおなじみのものやそうでないものなど色々だったが、太刀魚は飛び抜けて大きく度肝を抜かれた。反対側は野菜や果物そして肉を売っていた。いずれも呼び込みや売り込みをする様子もなく静かなものだった。そこを突き抜けるとコルク売りのおじさんがいた。彼は器用にコルクに細工をする。こまかな細工のものが買いたかったが、箱があるわけでもないので、小さな風車と小さなコルクを巻いたグラス2個を買った。全部で880$だった。本当はもう一つ付け加えて1000$に値切ろうと思ったのだが、それを読まれたのかこのおじいさん、そんなことを言われないうちにとばかり大急ぎで品物を包んでしまったので、それだけにした。

○サンフランシスコ教会(9:35から10:00)
  公園の今一つのがわにはサンフランシスコ教会がある。ファサードの部分はともかくも外観は創建当時のものが残っている部分が少なく、しっくいで塗り固められている部分が多かった。中も質素な教会で、しかしながらその素晴らしさは伝わるものだった。
 そこを出て人骨堂へよった。ここは好みの問題があるということでオプション。一人100$と写真機代50$を払う。中は5000体の人骨を使った礼拝堂になっている。僧侶たちは、先人の遺徳の中で静かに瞑想をしたのだろう。子どもとその父親のミイラもどういうわけか、人骨堂にはあり、更に入り口には「あなたの骨をお待ちしています」とポルトガル語で書かれている。それにしても、人骨をこうして模様のように使うなんてどういうことなのだろう。ただ、不思議なもので気持ち悪いとかそういう感じはなかった。

○大聖堂(10:20から10:40)
 グラサ教会の横を通って行くと、ジャカランタの木に少し花が咲いていた。これがかのジャカランタです、と言う説明から、この木はポルトガル特有の花らしい。花の時期には木いっぱいに咲かせてきれいらしい。(注釈7)更に聖人に列せられていると始めて知った天正遣欧少年使節の一行の一人伊東マンショの名を冠した通り(RUA de SAO MANCOS)を通って大聖堂へ行く。大聖堂ではじめに見たのはパイプオルガン。少年たちが聞いたとも演奏したとも言われるそうだが、多くの場合の説明では現在でも弾き手の少ない難しいイベリアオルガンをうまく弾いて喝采を浴びたという、そのオルガンに対面した。これは今でも現役だそうだ。
 それから、妊娠しているマリアをみて中央祭壇へ。

○ディアナ神殿(10:40から)
 ディアナ神殿は大聖堂の直ぐ近くにある。写真などでそれを知っていたが、こうした場所に殺風景においてあるのはもったいない代物。ただし、これを埋めて砦にしていたから残ったという話で、このポルトガルにあって類い希なる古き建造物がこうして残っているわけで、何が災いで何が幸いか紙一重と言うところか。

○北川しょうほう作の彫刻のある展望所。胡椒の木。
 それから更に小高いところに登っていくと、急に展望が開ける。この町並みの郊外が一望できる。北川(しょうほう?)なにがしとか言う人物の彫刻がある場所。これがまた難解な代物で、ガイドもここへ来るといつも賛否両論だといっていた。
 その公園のようになったところに大きな木があって、葡萄のように連なった実をつけていた。これが胡椒だという。皆珍しがって実を採ったりしていたが、本当なの?臭いは違っていた。

○ジラルド広場(11:00)
 メイン通りを下って、聖サンアントン教会が鎮座ましますジラルド広場で一旦解散。

○解散になって、
 さて何処へ行こうかと迷いながら、今来た道を戻っていくと大聖堂に出た。門前で珍しい楽器を使って演奏している乙女2人がいたので、しばらくそれを聴いていた。お金をもらうとか言うのではなく、どうやらこの地では何やらのお祭りらしく、同じように楽隊らしき物があちこちで演奏していた。
 その後再び大聖堂の中へ。有料の宝物館に入るかどうかも迷ったが、もじもじしていると受付のおじさんが「トゥー?」と聞くので「イエス」と答えてその勢いで中に入った。ここには象牙のマリア、宝石の十字架などの見応えのあるものがある。ただ、残念ながら撮影禁止なので記録はない。途中で、同行の安藤さんからいろいろと情報を仕入れて回廊、58段の階段を上ってタワー頂上へと行く。(注釈8
 ここからは町全体が見渡せる。が、屋根の上に乗っているような不安定さがあって、端の方には行けなかった。それでも十分に眺望を楽しめる所だ。  ただ、ここへ来たのが遅かったので、最後は時間が足りなくなってしまって急いで集合場所へと言うことになり、ちょっと残念。ずらりと並んでいる土産物屋を覗くことが出来なかった。

○昼食 LA CAVE(12:20から14:00)
 食事はエボラ市内のレストラン。洞窟のようなところに入っていった。先に人骨堂によっていたので冗談を言おうかと思ったが、ちょっとブラックなのでやめにした。お決まりのスープの後アサリと豚肉の煮もの(この地方の郷土料理でボルコ・ア・アレンテジャーナという)。アサリのほうは開いていないものが多く、ほとんどの人が残していたが、開けば食べられなくはなかった。味つけは大蒜などの香辛料の強いものだった。
 ワインは1400$。

○わーい リッツホテル
 午後はひたすらリスボンを目指した。行くときとは違う道だったが、もう景色を見るというよりかは殆ど爆睡状態。目が覚めるとちょうど4月25橋が見えるあたりだった。ブラジルをまねて作ったというキリストの偉大な像を横にやり過ごすとテージョ河にかかるその橋を渡ることになる。2度目でも、その幅の大きさには驚愕した。  リスボンのリッツホテルには、リスボン市内の渋滞もあったが、15時40分頃に着いた。

○ショッピング(18:00〜19:00)
 ホテルで暫く荷物整理などをした後、ホテルから10分くらいのところにあるアモレイラス・ショッピングセンターへ行った。大きなスーパーマーケットと専門店が並ぶところだ。スーパーの入り口付近でワインの試飲をしてからめざすワイン売場へ。さすがに本場だけのことはあってずらりとワインの列。則はワインを買いたかったが、もう4本も購入しているので日本へ持ち込める数が残り2本になっていたので、あれこれと目移りして決められずにいたら、明日にしなさいと順に諭された。何しろ則は決断が遅い。買うまでに何度も何度も考えて時間をかけるので、順さんはイライラするのだ。

○夕食はおしゃれ着で(19:30〜21:00)
 ホテルへ帰って暫く休憩してから夕食となった。最初にかなりエスニックなスープがでてきた。それから鳥のスープ煮のようなものと野菜とパスタの付け合わせがでてきた。デザートは果物とアイスクリーム。ワインは2900$であった。添乗員に明日は違うのが飲みたいと頼むと、これくらいするけどいいの・・・と言う感じでワインリストを見せてくれた。1万$前後であった。  そのあとはインターネットで落としたメイルの整理をしなければならなかったので、一目散に部屋に帰る。11時頃に就寝。

注釈7・・・ツアー同行のKA様からのご指摘):シャカランダは,ポルトガル特有の木ではなく,原産地は「熱帯アメリカ」です。熱帯地方では,街路樹や庭木として広く栽培されているようです。

注釈8・・・ツアー同行のKA様からのご指摘):エヴォラの大聖堂のテラスヘ昇る会談は,58段ではなく,「56段」と思います。

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