4 7月20日(火)
起床(0400)朝食(1000)ホテル発(0958)エルミタージュ美術館(1020~1705)夕食(1830~2000)就寝(2100)
エルミタージュ美術館詳細 ゴールデンルーム(1115~1220)・建物見学その1(1245~1300)・芸術部門その1(1304~1327)・建物見学その2(1330~1400)・自由見学(1400~1500)・見学後半(1510~1650)
4-3-13 見学後半(1510~1650)
まず始めにイタリアの美術を見に行く。新旧エルミタージュの2階のほぼ半分を占めるくらいに作品が多い。
ダ・ビンチの絵画が2点、ラファエロ2点、ジョルジョーネ2点、ティツィアーノ9点、ミケランジェロの彫刻1点などそうそうたるものが並んでいる。
さっき来た部屋だなどと思いながら、周りの写真を撮っていた。
最初に説明されたのは、シモーネ・マルティーニ「受胎告知の聖母」なのだが、何故か写真がない。彼の受胎告知という名画は、ウフィッツ美術館にはある。ただ、「お告げのマリア」というような題の作品があったので、ガイドさんはこのことを言ったのかも知れない。
この絵は「予言者の絵」と対になっている作品の一方だとか。そちらは失われてしまったそうだ。
そこには先ほどのアンジェリコの作品もあった。自由時間に一番にここに来たとは、先見の明ありか。
4-3-13-1 レオナルド・ダ・ビンチ
次の部屋は皇太子の謁見室だったとかで、立派だった。
ここにダ・ビンチの作品がある。旧エルミタージュで一番立派な部屋で、ダ・ビンチの作品はこの2点しかない。
その1点目は、「ブノワの聖母」。生涯で20点ほどしか完成作品を残さなかったレオナルドが26才の時に描いた初期の代表作品。クラーキン公のコレクションからフランスの画家レオン・ブノワの手に渡り、その後、ロシア皇帝ニコライ2世が購入したことから『ブノワの聖母』と呼ばれることとなった。
2点目は、、「リッタの聖母」。授乳する聖母像は3世紀にまで遡る。聖母子像として、最も古いタイプである。ミラノ公爵リッタのコレクションから入手したものであるから『リッタの聖母』。
先ほどのと言い何とも単純なわかりやすい作品の呼び名だ。
4-3-13-2 ティツィアーノ
まずは「ダナエ」。雲は男性の顔のように見えるが、ギリシア神話から題材を取っている。男性はゼウス。ダナエの父アルゴス王アクリシオスは、予言者から娘の産んだ子に殺されると言われたので、娘を塔の上に閉じ込め、老婆を見張りとして付けた。が、ダナエに恋したゼウスは、雲の間から顔を覗かせ、熱愛するダナエのもとに金貨の雨となって降ってくる。それで身ごもったダナエは息子ペルセウスを産んだ。結果、やがて予言者の言葉通りになった、と言う話だ。
この話は好まれたらしく、何人もの画家の画題となっている。この美術館にももう一作品のダナエがある。かのクリムトも描いている。
次は、「懺悔するマグラダのマリア」。マグラダのマリアは、娼婦ではなかった、と言う話を聞いたばかりだったので、こうして題材に選ばれるのも分かる気がするが、この何とも官能的な表情は、何を見つめているのだろう。
もう一つ「聖セバスチャン」。セバスチャンを描いた作品は他にもあったが、これが一番いい気がする。
三作品とも表情が恍惚感あふれる感じが何ともいえず、心に響いてくる。これが、ティツィアーノの特徴か?
4-3-13-4 ラファエロの間
ガイドさんによると、ラファエロの絵画は5点あったそうだが、そのうちの3点はスターリンによって売られてしまったそうで、ここには2点のみ残っている。
「コネスタービレの聖母」。生涯で50枚ほどの聖母子画を描いた「聖母の画家」ラファエロの最初の円形型母子画。19世紀に板からキャンバスに移される際に、聖母マリアが右手に聖書ではなく、復活を象徴するザクロを持っていた事が判明。「コネスタービレ」とはやはりかつての所有者の名で、1870年にロシア皇帝に手に渡った。
「聖家族(聖母子と髭なしヨセフ)」。顎髭を剃ったヨセフというのは、かなりめずらしい。天上を見つめるイエスと反対に、ヨセフは地に目を落としている。近年の赤外線調査で、絵の具の下の素描が確認された。聖ヨセフの顔には、レオナルドの影響が強く見られるとのこと。
4-3-13-7 再び天窓の間
今度はゆっくりと鑑賞することが出来た。やはりガイドが付くというのはいいことだ。
大作があった。
ティントレットの「洗礼者ヨハネの誕生」。洗礼者ヨハネが、産まれた時の情景を描いたもの。奥のベッドに横たわっている女性は、洗礼者ヨハネの母エリサベツ。右手前にいる唯一の男性は、父のザカリヤ。産まれたばかりの洗礼者ヨハネを抱いている女性は、光輪がついているので、聖母マリヤではないかと思われる。この時、マリヤのお腹にはイエスが宿っていた。
カラヴァッジオの「リュートを弾く若者」。
明かり取りのための ここは大きな天窓がある。だから天窓の間。分かりやすい。どうやらこの部屋は「大イタリア天窓の間」のようだ。
次に行った部屋が、「小イタリア天窓の間」。
「アドニスと猪」の彫刻や孔雀石を使った壺や床置き燭台、テーブルが置かれていた。この一部が壊されたとかで、悲しいと話していた。
4-3-13-9 オランダ絵画
テントホールと呼ばれるオランダ絵画の部屋。
レンブラントはオランダ国以外では一番充実している。これは当時の外交官が、感動して大量に購入したためだとか。ただ、その後、これもやはり売られてしまったそうだ。
17世紀のオランダは、ほかの西洋の国々にはない特異な名画を数多く残している。この頃のヨーロッパでは、一般に王族や貴族、僧侶、キリスト、マリア、新・旧聖書、ギリシャ神話などがほとんどだったが、17世紀のオランダは、風景や庶民的な絵画を残している。風俗画には17世紀のあらゆる階層の大衆の日常が描かれている。宗教色をほとんど感じさせないものを、自由に表現できた国柄だったのだそうだ。
モレナールの「酒場」などがそれに当たる。
4-3-13-9-1 レンブラント
17世紀のオランダ絵画黄金期に活躍した最大の巨匠。エルミタージュには、20以上もレンブラントの作品がある。
その中でまずは何と言ってもこれ、「ダナエ」。 有名な主題の作品。1985年に硫酸がかけられるという事件が起こり、その際、裸婦の頭部や両手、両脚に修復不可能なほどの損傷を受け、12年にも及ぶ修復作業の結果、再び人の目に触れることができるようになった。この事件以降、液体の持ち込みが禁止された。
「十字架降下」は、レンブラントのアムステルダムにおける名声を確立した物語画の傑作。
「放蕩息子の帰還」。これも代表作と言っていいだろう。晩年の代表的な宗教画作品のひとつ。新約聖書ルカ福音書のみに記される≪放蕩息子≫の逸話から、家を出て放蕩し財産を消費した後、最後には実家へと戻った息子を、父は喜び祝福を与えるという場面である。この頃のレンブラントは、家族すべてを失い失意の中にいた。父の姿はレンブラント自身と重なる。
「フローラに扮したサスキア」。奥さんのサスキアが花と美の女神フローラに扮した肖像であると考えられている。
「老ユダヤ人の肖像」。40代半ばに描いたこの作品のモデルは、ユダヤのある老人としか分かっていない。
4-3-13-10 フランス美術品
15世紀からのフランスの美術品が置かれている。これまでと違ったのは、貴族の食器や家具が展示されていたことだ。なかでも、ベルバール・バリッシュ工房の「飾り皿」は蛇のレリーフの模様が何ともいえぬ。ガイドさんによるとこれで客をもてなすのだが、客の食欲を無くさせるためにこんな模様にした,と言ってはいたが。
ニコラ・プッサンと言う人の作品があった。初耳の人だが、17世紀のフランスを代表する画家でだそうだが、画家としての生涯の大半はローマで過ごした。「十字架降下」という作品が確認できた。
他にもドラクロワの作品が2点あったらしいが、分からなかった。