平成22年7月21日(水) セルギエフ・ポサート

5 7月21日(水)

起床(0330)サンクトペテルブルク・ホテル発(0603)(0625)サンクトペテルブルク空港(0804)FV 0815 (0921)モスクワ空港(1027)昼食(1322~1415)セルギエフ・ポサート(1425~1530)ウラジミール(1935~2025)スズタリ着・夕食(2109~2203)スズタリ・ホテル着(2212)就寝(2420頃)

5-1 朝

起床(0330) ホテル発(0603)

 今日はモスクワに移動する。その飛行機が朝早いので、起床は3時半。
 いつものように健康チェックをし、その後朝食。
 朝食はランチボックス。空港へ持ち込めないと言うので、部屋で食べるように言われたが、朝早くてそれほど食欲がないので、サンドイッチとリンゴジュースだけいただく。ヨーグルトとリンゴは部屋に残しておいた。
 それからスーツケースを持って降りていった。
 いつもならドアの外へ出しておいて運んでもらうのだが、このホテルは荷物の扱いが雑すぎるので、自分たちで持って行くことにした。
 それから最後のサンクトペテルブルクを目に焼き付けて空港へ向かった。



201008russia3151.jpg扱い方が極めてぞんざい リモアの一部にくぼみができている
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5-2 サンクトペテルブルク空港 (0625着)

 空港に入るときに荷物検査があるかもしれませんと言うことだったが、何もなくチェックインカウンターまで移動。簡単だ、と思っていたらそうではなかった。
 まず、カウンターでチェックイン手続きをし、搭乗券を受け取る。そこからスーツケースを持って横に移動してスーツケースのX線検査。OKだと係員が、一つ一つエレベーターで下へおろすという非常に手間のかかるやり方に驚いた。
 その後出発ゲートへ移動するときに、手荷物とボディチェック。ここではベルトや靴はそのままで0Kだ。代わりに人は一人一人個室に入って映像でチェックされる。ヌードスキャンかと思って、後の人のをのぞいてみたが、見た目と同じ映像が映し出されていただけだった。それでも金属類などには何かの反応を示すのだろう。
 そこからバスに乗って機内へ。



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5-3 モスクワへ FV 0815 20AB

 飛行機へはタラップを上がるのだが、カメラを取り出して写していても注意されることもなかった。3ー3の座席は22列目まであるが、満席。シート幅も狭くて窮屈だった。
 全員が席に着くと、動き出す前に飴が配られた。
 8時4分に離陸。するとお手拭きと飲み物(紅茶とリンゴジュースにした)とチョコレートバーが配られた。
 9時21分、無事にモスクワ空港に着陸。着陸しても拍手が起こらない。そういえば今回は一度も聞いていない。ロシアの人も慣れたということか。



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5-4 モスクワ空港

 腕に着いたのでラッキーと思ったら、荷物を受け取るところのトイレが2個しかなくて男女とも大行列。その間に荷物が出てきてしまった。そこへたどり着くまでに1カ所、外側へ1カ所ありそちらの方が空いていた。今日はこれからの移動もあるので、ここでの時間をできるだけ短くしたいのだが、完全な読み違いだ。
 荷物は出口のところでタグと荷札を一つ一つ点検されてから外へ出てもよいようになっている。確実ではあるが、係員が二人しかいないので、非常に時間がかかる。
 出たところで、エレナさんというガイドさんと合流。日本にもいたことあり、今でも時折行くというので日本語が流暢。それだけに早口になり時折聞きずらい。
 バスが出発したのは10時27分。着陸してからほぼ1時間後になる。



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5-5 セルギエフ・ポサートへ

 エレナさんによると、これからが本当のロシア、のこと。サンクトペテルブルクは、皇帝の町で、プライドの高い人が多い、と。対抗意識があるのかしらと思いながら話を聞いていた。
 「今の気温は、たぶん35度以上あるでしょう、ということだ。日本も例年にない気温の高さで、避暑に来たつもりがこれだ。湿度はないので、日本のように蒸し暑くはないが、モスクワの人は、こういう暑さに慣れていないので、クーラーというものをつけていない。暑さは厚い壁が遮ってくれる。しかし、それもせいぜい2、3日。こう暑い日が続くと壁自体暑くなるので耐え難い。」とのことだ。
 避暑に来たつもりが日本と同じ猛暑の中だ。それでも、バスにはクーラーが入っているので、大いに助かる。
 車は大渋滞で、なかなか思うように走れない。また、途中事故もあったりしてずうっとのろのろ運転だった。
 が、車窓から見える建物やまさか原発?などと思われるものがあり、結構楽しめた。勿論電車は、車両基地もあったりして見逃さない。



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5-6 昼食(1322~1415)

メニュー:キエフカツレツ、キャベツのスープ、デザート

 セルギエフ・ポサートに着いてからまずは昼食となった。
 門の中に入ると広い敷地の中にきれいに建物が並んでいた。一つの町に来たようだ。
聖職者や巡礼者用のホテルだそうだ。その中の巡礼者用のホテルで食事となったが、使うことができたのは幸運だという。普段はなかなかできないらしい。
 周りの壁にはフレスコ画が描かれていた。生活場面を表しているそうだ。
 我々が食事を始めた頃、神父さんに連れられて一つの団体が入ってきた。全員がそろうと神父さんの音頭によってお祈りを始めた。ギリシャ正教の人々だという。ガイドさんも初めてみたそうだ。



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5-7 トロイツェ・セルギエフ大修道院(1425~1530)

 修道院へ歩いて行く途中に、レーニンの像があった。昔は広場の中央にあったそうだが、今はその場所をセルギエフに取って代わられた。が、モスクワでは100以上もあったレーニン像がかなり壊されてしまったのに、横にずらされたとはいえ、まだこうして残っているのは、この地に共産主義者が多いせいだろうとガイドさんは言う。通りにもその名前がそのまま残っている。
 城壁1.7kmで囲まれた強い城だった。1610年に16ヶ月間ポーランド軍に包囲されたが、落ちなかった。侵入すらさせなかった。そのくらい強固なので、今まで建物も壊されたことがなく、どんどん新しいものを追加していったので、15~18世紀の建築スタイルがみられる、そうだ。



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5-7-1 門

 門の前に来た。入る前にカメラ券を購入する必要がある。一人100ルーブルだ。それを買うと、CDがついてくる。うちは2枚もいらないのだけれど・・・。
 門には、キリストや創立者の様子、教会設立の場面などが描かれている。
 そもそもセルギー・ラドネシスキー(1321年~1391年)とは、15歳になった頃、厭世感にとらわれて、ラドネーシの森(現セルギエフ)に小屋を建て、5年間は社会との関わりを持たず、修行生活に入った。その後、ロシア正教の代表的神学者となり、モンゴルタタ-ル人との戦いに当たっては、分裂していた国を一つにまとめて勝利に導いたという人。いわば国民的英雄だ。それなりの地位を約束されたが、辞退し、再び修道生活に入った。



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5-7-2 トロイツェ聖堂

 この大修道院はロシア正教の修道院の中で最大のもので、ロシア正教の大本山のひとつ。
 300人ほどの修道士が住んでいる。
 門を入ったところの道がメーンストリート。メーンストリートの奥には、必ず一番大事な教会が建っている。ここではこれがそれに当たる。
 セルギーはここに木造の教会を作り、三位一体に捧げた。死後は、地下に葬られた。40年後、火災にあい教会は燃え落ちたが、彼の柩は残り、その中でミイラ化した姿で見つかった。それが聖人である証とのことで、1422年に列聖され、枢を納めた場所に石造りの新しい三位一体の聖堂が造られた。ここに彼の聖遺骨が保管されている。
 ここは、後で自由時間に入った。というのも、ここではガイドさんは説明できないし、写真を撮ることも駄目ということで、各自で見ることになったのだ。
 外観はとても地味な建物だが、重要性で言うと一番の聖堂だ。



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5-7-3 食堂の教会(聖セルギエフ教会)

 17世紀の建物。先ほどレストランでみたように、食事の前には必ず祈らなければならないので、食堂の中にも教会がある。
 ピョートル大帝が姉のソフィア王女から逃げてここへ来ていたこともあり、多額の寄付を行ってこの教会と王の宮殿を造ったのだという。そこは今は神学校となっているそうだ。
その神学校について説明があった。
 今の学生は1,100人。そのうちの20%が女性だそうだ。ただし、女性は、神父にはなれないので、イコンを描くこととコーラスの指揮者になることの2コースで学んでいるとか。それでも学ぶ女性の多いこと。



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5-7-3-1 玄関

 教会の中に入ると、まず入り口の部屋がある。
 カラフルな柱が目を引くが、壁には、聖書の場面が描かれている。
さらに、寄付のカウンターがあった。教会の費用はすべて寄付で賄わねばならないために、ロウソクを販売しているのだという。
 また、紙の入った皿が2枚おいてあった。これは、1枚は自分の健康のために、もう1枚は亡くなった人の供養のために、自分のクリスチャンネームとともに書いて神父さんに渡すと、ミサの時に声に出して祈ってくれるのだという。
日本の社寺と同じようだ。
 この頃から説明と写真撮りが合わなくなってきてしまっている。ガイドさん早口でまくし立ててさっさと先へ行ってしまうからだ。


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5-7-3-2 広間

 次広間へ行く。確かに広い。
 17世紀頃は壁で屋根を支えていたので、柱はない。後に、より強度を増すために柱を付け加えたそうだが、広さを分割するものでないだけに、邪魔にはなっていない。
 ここが食堂だった。下が台所になっていて、そこでの熱が、壁から部屋に入るように工夫されていて、冬の暖房になるとか。人の知恵は素晴らしいものだ。
 革命以降の4人の総司教は、ここで選ばれたそうだ。ロシア正教版コンクラーベと言ったところか。


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5-7-3-3 教会

 仕切りのところに黄金の祭壇がある。一般の人はここまでだそうだが、なぜか、我々は、観光客で特別に入れますと言うことで、先へ進んだ。
 中に入るとイコンがたくさん見られる。ガイドさんから、イコンを背景にした写真を撮ってはいけないと注意があった。イコンを撮るのはよいが、その前に人物を入れてはならないと言うことらしい。
 これがイコノスタスというものだろう。イコンからなっている壁のことだ。ものすごい迫力で迫ってくる感じで、写真を撮るのも憚られるような威圧感を感じた。
ここから先は聖職者でないと入ることができない。
 ここには、コーラス隊の席もある。ロシア正教ではオルガンなど人の作った楽器は使わないそうだ。
 祈りも立ったままで行うので、椅子もない。同じキリスト教でもずいぶんと違うものだ。


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5-7-4 ウスペンスキー大聖堂

 ウスペンスキーというのはマリア様の被昇天のこと。青い星空のような模様はマリア様に捧げられたものなので、一目でそれと分かるそうだ。
 これは、イヴァン雷帝の命により1585年に完成した。モスクワにある同名の聖堂を模して建てられたもの。これは、モスクワのワシリー聖堂とともに、モンゴルタタール人との戦いに勝利したことを祝って建てられたもの。
 タマネギ型をした4つのドームの中に、一際目立つ金色のドームがある。
 被写体としては最高だ。



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5-7-4-1 内部

 中に入るとここもイコンがすごかった。このイコノスタスも16世紀のもの。5段からなっている。その一区切り一区切りに聖人が描かれているのだからすごい。
 中央は王の門。実際、いくつかの墓があるそうだ。
 信者の人がキスしている柩は、ここで一番重要な人のものだそうだ。決して手で触るようなことはしないという。そういう人がたくさんいる中で、なかなか写真は撮りにくかった。
また、壁に、モザイクでできたイコンがある。このようにモザイクのものは珍しいのだそうだが、ビザンチンのもの。聖ステファンだそうだ。
 ロシア正教では、偶像崇拝になるので、彫像は造らない。このようにイコンのみだ。


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5-7-5 その他の建物

 鐘楼は高さが88mもある。青い色がきれいだった。
 聖霊降誕教会は、赤い線が入っている。この二つが並んでいるので、統一性がないように見えるが、これも造られた時代の違いによるのだろうか。
 聖水は、ウスペンスキー大聖堂を建てたときに湧き出した泉。そこで目の見えない修道士が目を洗うと見えるようになったという話から、聖水とされた。今では多くの人に分けるために、パイプで広場まで引いて使いやすいようにしてある。飲むこともできるが、清めに使うこともあるとか。
 ドゥホフスカヤ教会は、下が鐘楼、上が物見台になっているという珍しい建て方をしている。というのも、普通は鐘楼は独立しているからだ。上に上がるのに階段はなくはしごを使ったそうだ。鐘は、ロープで下から引いて鳴らしたとか。
 アート博物館というのもあって、中に入ってみたが、イコンとかがあるだけで、あまり惹かれなかった。
 自由時間でふらふらしていると面白いものを見付けた。あれは日時計?
 そんなことをしているうちに、とうとう集合時刻になってしまった。



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