平成22年7月22日(木) ススダリ

6 7月22日(木)

起床(0540)朝食(0700)スズタリ・ホテル発(0913)スズタリ(0922~1149)昼食(1135~1315)スーパーマーケット(1348~1500)夕食(1730~2030)モスクワ・ホテル着(2045)就寝(2316)

6-1 朝

起床(0540)朝食(0700)ホテル発(0913)

 いつものように起きてから健康チェック。その後、まずは散乱した荷物の整理。広げるだけ広げた状態だから、ひどいものだ。
 モーニングコールはノックという手段による。
 これでもこの町では一番大きなホテルだそうだ。
 そのうち朝食になったので、レストランへ行く。品数はよくそろっていた。
 朝食後、部屋に戻って荷作りをしたが、暑くて部屋にいられないので、早めにロビーへ行った。この時点で24度しかないので、外の方が涼しかった。
 出発時には26度。今日も暑くなるそうだ。



201008russia3889.jpg
201008russia3892.jpg201008russia3893.jpg
201008russia3898.jpg201008russia3900.jpg
201008russia3907.jpg201008russia3914.jpg
201008russia3918.jpg201008russia3919.jpg

クリックすると拡大します。

6-2 スズタリ(0922~1149)

 バスが走って程なく観光するスズタリの町へ着いた。
まっすぐな道はメーンストリートで、3.5kmしかないが、まっすぐな道はここだけで、他は昔のままの曲がりくねった道になっていると言うことだ。
 人口は1万1千人とあまり多くはないが、土・日は観光客が多く訪れて賑やかになるそうだ。なにしろ町の70%の人が観光で生計を立てているというほどだ。
 ここには60もの教会がある。修道院は5つ、鐘楼は16ある。
 昔鍛冶屋や道具を作っている人など、それぞれ独自の神がいて、それぞれで教会を造ったためだという。これってロシア正教ではなかったのか?キリストは一神教だと思うのだが。聞いているときには、ふーんそうなのか、としか思わなかったが、考えてみれば疑問符がつく。
 町は大きく、クレムリン、市場の広場、教会の3つに分けられる。
 この中で、クレムリンのロジュジェーストヴェンスキー聖堂、スパソ・エフフィミエフスキー男子修道院、ポクロフスキー女子修道院、ボリスとクレーブ教会の4つがユネスコの世界遺産に登録されている。



201008russia3935.jpg
201008russia3936.jpg201008russia3937.jpg
201008russia3960.jpg201008russia3964.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-1 聖なる門(0922~0940)

 聖なる門は、リザバラジエーンスキー修道院の門。修道院自体は13世紀に創建されたが、この門は17世紀に造られた。装飾タイルなどが使われたカラフルな門で、白地に赤い模様が、可愛い。この模様は意味があるのだろうか。それとも単にきれいさを追求したものか?
 鐘楼は、ナポレオン戦争の勝利を記念して造られた。
 この修道院の向かい側に、と言ってもやや遠くになるのだが、教会がある。これがまた立派。特にドームの横の塔の形が、弓のように反っているのは、ここ独特の形だそうだ。そう言われると,何とかカメラに納めようとするのが我が家の習性。



201008russia3990.jpg
201008russia4007.jpg201008russia3991.jpg
201008russia4001.jpg201008russia4004.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-2 赤の広場

 モスクワの赤の広場は、美しいという意味だが、ここの赤の広場は革命の赤。
 その中央にレーニンの像がある。昔は「レーニンのおかげ」と言い,今は「レーニンのせい」と言うとか。それだけ時代が変わったと言うことだろう。今のロシアで、広場の中央にレーニン像があるのは珍しいのだそうだ。それだけこの地が保守的なんですよ、とはガイドさんの弁。でも、ただ広いだけの広場にぽつんと立っているのもかわいそう。
 白い建物は、市役所で、正面の紋章は鷹、この町のシンボル。



201008russia4011.jpg
201008russia4013.jpg201008russia4012.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-3 スパソ・エフフィミエフ修道院(0948~1035)

 カーメンカ川に面し、まるで砦のような城壁を巡らした修道院。創設は1352年、貴族や商人らの信仰を集めて成長した。スパソとは救世主、つまりはキリストのこと、エフフィミエフとはこの修道院を創設した人。
17世紀にリトアニア・ポーランド軍に破壊された後、12の塔をもつ城壁が建設された。この修道院には、1つの聖堂と3つの教会があるが、今は博物館になっている。
カーメンカ川は、昔は船の行き来ができるほどだったが、今は、浅く狭くなってしまったために交通路としては廃れてしまった。
この修道院にドミトリー・ポジャルスキーの墓がある。彼は1612年にポーランドからロシアを解放した人で、モスクワの赤の広場に、友人とともに像が造られている。



201008russia3940.jpg
201008russia4039.jpg201008russia4042.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-3-1 城壁の横から全体を見る

 中に入る前に、まずはこの町の様子が見渡せるところへ行った。
眼下にはカーメンカ川が、右奥には、撮影のために造られたという昔の村が、そして対岸にはいくつかの教会が見えた。
 その中で、一際目立つ白い教会が、ポクロフスキー修道院。ここは女子の修道院で、上流社会の女性のためのもの。昔、離婚ができなかったために、王は強制的に奥さんをここに入れたのだそうだ。一人目がイヴァン雷帝の父のワシリー三世の一人目の奥さんだった。嫌いになったわけではなく、子供が生まれなかったためにそうせざるを得なかったとか。その代わりにここへは多額の寄付をしたそうだ。その後、ワシリー三世は再婚した。要するに尼寺だ。
 ピョートル大帝の一人目の奥さんもここに入れられ、そのときに5つのドームが造られた。このピョートル大帝、後にエカテリーナ一世と結婚した。
 周りは城壁で囲まれているが、かつてはそこに200人もの人が住んでいたという。


201008russia4071.jpg
201008russia4056.jpg201008russia4068.jpg
201008russia4058.jpg201008russia4063.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-3-2 いよいよ中へ

 入り口でカメラ券を100ルーブルで購入。これは後の木造博物館との共通券になる。
城門を入る。この中央の門の塔のレリーフが素晴らしい。
 城壁の中に入ると、まずブラゴヴェシチェンスカヤ教会の前に出る。これが内門になる。
ここがメーンストリートで、突き当たりまで行くと主な聖堂がある。これは、昨日のトロイツェ・セルギエフ大修道院と同じだ。
 ここではそれが、16世紀に建てられたスパソ・ブレオブラジェーンスキー聖堂で、7つの立派なドームがあるのですぐにわかる。
 ブラゴヴェシチェンスカヤ教会を抜けると食堂の教会がある。これがウスペンスカヤ教会。
 他にも修道士たちの住んでいた建物がある。ここは、病院や刑務所として使われたとか。エカテリーナ二世の時には無神論者を犯罪者として捕らえ、大戦時には、ドイツ軍の捕虜を収容した。1986年からは博物館となっている。病院時代にハーブなど薬草を育てていたという庭もある。


201008russia4094.jpg
201008russia4091.jpg201008russia4084.jpg
201008russia4082.jpg201008russia4152.jpg
201008russia4107.jpg201008russia4160.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-3-3 屋根のつくり

 昔外国人が来て、ロシアは皆銀色の屋根を持っているほど金持ちだと記したそうだ。
 が、実はこれはヤマナラシという木だそうだ。城壁の屋根も同じで、色が違うように見えるのは、まだ新しくて自然の色が残っているためだ。伐採してから2年間ほど完全に乾燥させてから使用する。その際ニスなどは一切塗らず、そのままを使用する。5年もたてば銀色になってくる。雨に濡れても40年くらいは大丈夫で、そのくらいおきに葺き替えるそうだ。井戸もヤマナラシを使っている。
 ところでヤマナラシの木とはどういうものなのか、帰国してから調べてみた。あるにはあるが、ヤマナラシとは日本の固有種だ。そんなにロシアにあるとは思えないが、ポプラの一種とあるから、似たような物なのかもしれない。


201008russia4092.jpg
201008russia4096.jpg201008russia4098.jpg
201008russia4099.jpg201008russia4090.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-3-4 鐘のコンサート

 それから鐘楼下へ行く。これから鐘のコンサートがある。
 元々の鐘は、共産政権の時に没収されてしまってしまい、今の鐘は周辺の修道院から集めて復元した。鐘は大小合わせて全部で24個あると説明されたが、見えたのは11個だった。(下の三角のボタンを押すと再生されます・・・二回繰り返します)

 それを一人で両手両足を使って演奏する。それぞれの鐘にはひもがついていて、それを引いて鳴らすようになっているので、演奏者が動き回ることはない。
 メロディーと言うより太鼓に近い感じで、強いリズムが響いてきた。
 これは1時間おきになされるそうだが、10時のみ10時10分になり、後は毎正時。時間にして7分間だそうだ。
 ガイドさんによると、今日の彼は調子がいいですね、何かいいことがあったんでしょうかね、というほどの出来映えだったようだ。



201008russia4132.jpg
201008russia4136.jpg201008russia4138.jpg
201008russia4139.jpg201008russia4141.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-3-5 スパソ・ブレオブラジェーンスキー聖堂

 鐘楼の隣には、この修道院では一番重要な聖堂がある。キリストに捧げられた聖堂だ。
 内部は17世紀のフレスコ画で埋め尽くされているそうだが、我々は外観のみ。
 緑色のドームが、金色のドームを囲むように造られており、これまでのとはちょっと違った聖堂だ。青はマリア様を表すように、緑色はキリストを表すそうだ。


201008russia4157.jpg
201008russia4147.jpg201008russia4148.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-3-6 番外

 見学を終えて外へ出ると、また教会があった。
 夏の教会、冬の教会、鐘楼の3点セットの建物だ。スモレンスカヤ教会という名らしい。
夏用は大きく、冬用は小さくなっている。
 そこから駐車場へ行く途中に、キュウリ売りのおばさんが店を開こうとしていた。ここは世界一のキュウリの町で、浅漬けのキュウリを売っている。他にもキュウリ売りのおばさんがいた。
 おいしいですよと言うガイドさんの勧めに従って買って食べてみると確かにおいしかった。1本5ルーブル。その後他の人も買い込んでいた。
明後日は世界キュウリ祭りが行われるとか。大勢人が集まって民族舞踊なども披露されるそうだ。
 地球の歩き方で紹介されていた「パサードの家」というのもあった。住宅が木造から石造りへと変わるちょうど端境期の建物で、ロシアにも殆ど残っていない貴重な建築だとある。が、実際のところ良くは分からなかった。


201008russia4167.jpg左から 冬・鐘楼・夏
201008russia4168.jpg201008russia4169.jpg
201008russia4170.jpg201008russia4171.jpg
201008russia4178.jpg201008russia4179.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-4 見晴らし所(1051~1055)

 教会がたくさん見えますよ、ということで写真ストップ。
確かにどの角度にカメラを構えても教会が見える。
川向こうのクレムリンもよく見えた。



201008russia4183.jpg
201008russia4190.jpg201008russia4193.jpg
201008russia4194.jpg201008russia4196.jpg
201008russia4192.jpg201008russia4197.jpg
201008russia4211.jpg201008russia4213.jpg
201008russia4202.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-5 木造建築博物館(1100~1125)

 各地から貴重な建築を集めて、村を造った。これは1920年頃から始められた。
 スズダリ近隣の村から移築されたふたつの木造教会、風車などが保存されている。



201008russia4284.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-5-1 木造教会

 教会は1本の釘も使わずに造ってある。一つは冬用、もう一つは夏用になる。やはりヤマナラシの屋根になっている。十字架の作りはロシア独特の物だ。この十字形を見ればロシア正教であることが分かるので、間違えて他の宗派の教会に入ることはないという。木組みの建物はこれまでにも見てきたが、言い尽くされた言い方だが、やはりぬくもりが感じられる。
 後で自由時間になったときに、夏用の教会に入ってみた。
 入ってすぐのところは土産物売り場のようになっていて、なあんだと思ったが、奥の部屋には立派なイコンが並んでいて、しっかりとした教会だったのは意外だった。


201008russia4222.jpg
201008russia4223.jpg201008russia4238.jpg
201008russia4278.jpg201008russia4282.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-5-2 民家

 民家はログハウス。これが伝統的な建て方で、太い丸太の間には巻き肌を入れる。造るときは村の人がみんな協力してだいたい1週間で作り上げる。ただ、レリーフなどの飾りは、持ち主がやる。
 その中の一つ、農家に入ってみる。
 1階は倉庫になっている。いろいろな物が置いてある。次に中に入ってみる。天井が低かったが、これは、暖かさを保つためだとか。やはりこの地に住む人にとって寒さとの戦いは半端じゃなかったのだろう。
 右側が赤い色の壁になっているが、そこは客用の場所。奥には、キリストのイコンが飾ってある。
 これが一般的だったそうだ。
 狭い部屋だが、ここに家族全員で住んでいた。老人や病人はペチカの上、両親は長持ちの上、子供たちはほんとに狭い隙間に寝たそうだ。ここには特にベッドという物はないが、向かい側にあるもっと狭い部屋にはベッドがある。こちらは夏用になるそうだ。


201008russia4240.jpg
201008russia4241.jpg201008russia4244.jpg
201008russia4252.jpg201008russia4257.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-5-3 その他の建物

 教会は18世紀の物だが、他の民家や井戸、風車などは19世紀のものになる。
 井戸は、深く70mくらいしたにやっと水があるそうだ。水をくみ上げるには、この輪の中に2人ほど人が入って歩くようにして回し水汲みをするそうだ。大変な仕事だが、生きるとはそうしたものなのだろう。
 風車もある。


201008russia4262.jpg
201008russia4259.jpg201008russia4265.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-5-4 キュウリ祭り

 明後日キュウリ祭りがあると聞いていたが、ここではすでに準備が始まっていた。
 大きくて可愛いキュウリたちが並んでいたので、記念撮影。
 今年で8回目というからそう古い行事ではないが、とにかくたくさんの人が集まりますと言うことなので、それを見てみたかった気もするが、そうなるとゆっくり観光もできないだろうし、やはりどちらか一つか。
 そこからカーメンカ川を渡り、クレムリンへ向かう。


201008russia4224.jpg
201008russia4222.jpg201008russia4227.jpg
201008russia4279.jpg201008russia4305.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-6 クレムリン(1136~1149)

 クレムリンはスズダリの最も古い部分で、11世紀に建設された。中心部にはラジヂェストヴェンスキー聖堂と鍾楼、府主教宮殿、移築された木造のニコーリスカヤ教会などが博物館として保存されている。



201008russia4309.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-6-1 ラジヂェストヴェンスキー聖堂

 現存するスズダリで最も古い建築で、13世紀末の物。タタールモンゴルの征服の前の建物で、白い石灰岩でできた浮き彫りのある1階のみだが、こうして残っているのは珍しい。2階3階は、16世紀に再建された物。
 「ここのドームも青色に星、ということはマリア様に捧げられた物です。もう皆さんおわかりですね。」とガイドさんに確認させられた。
 門も当時のまま。これは黄金の門と言って、扉には聖書物語が金メッキで描かれている。ただし、現在は聖堂内に展示されているので、見ることはできない。また、聖堂内部はフレスコ画で覆われ、17世紀の巨大なイコノスタスも残っている。
 外観のみ見学。それもあまりの暑さに、向かい側にある鐘楼の日陰の部分で説明が行われ、誰も建物に近づいて見るようなことはしなかった。


201008russia4316.jpg
201008russia4319.jpg201008russia4320.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-6-2 府主教宮殿

 一時的に公国の首都になった時の宮殿。13世紀に首都がウラジーミルに移ってからは宗教施設として使用されるようになった。最も古い部分は15世紀の建設となる。
 1階は宗教関係の部屋、2階は広間、謁見室としても使われた。3階は召使いたちの部屋。
 窓の大きさや周りのレリーフなどに統一性がなくバラバラの感じがあります、と説明されたが、そうかなあと言うのが印象。
 隣にある尖塔のある教会は、移築された木造のニコーリスカヤ教会。


201008russia4323.jpg
201008russia4327.jpg201008russia4328.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-6-3 その他

 それからひとしきり写真を撮ってから昼食場所へ移動となった。
 日陰を提供してくれた鐘楼も1枚ぱちり。それから白い壁の門を抜ける。
 少し行くと土塁があった。要塞だけにこうしてカーメンカ川を利用して防御していた。
 更に小さな教会(夏用と冬用らしい)を通り過ぎて行くと、中央広場に出た。マーケットが開かれていた。そこに面してまたもや教会がある。復活教会(ヴァスクレセンスカヤ教会)だ。


201008russia4335.jpg
201008russia4336.jpg201008russia4341.jpg
201008russia4346.jpg201008russia4347.jpg

クリックすると拡大します。

6-2-7 窓飾り

 この町には窓がきれいに飾られている家がある。家に関して言えば、昨日から窓が3つというのが気になっていた。
 これは、リトアニアのトゥラカイ城に行ったときに、少数民族のカライメの人の家が同じような作りをしていたからだ。どこかで何かのつながりがあるのだろうか,後でガイドさんに聞いてみようなどと話していた。
 ここの窓は、そこをきれいにしているのだ。これは、正面は人で言えば顔だから、きれいにしなければならないという考えがあったからだそうだ。そうしないと町から追い出されたそうな。過激だ。



201008russia3836.jpg
201008russia3869.jpg201008russia3879.jpg
201008russia3935.jpg201008russia4024.jpg
201008russia4386.jpg201008russia4389.jpg

クリックすると拡大します。

6-3 昼食(1135~1315)

ピロシキ、壷焼きしシュー、ミネラル、紅茶付き、ビール150×2

 昼食はその広場に面したレストラン。メニューはいかにもロシア、という感じの物ばかり。楽しみだ。



201008russia4351.jpg
201008russia4349.jpg201008russia4375.jpg
201008russia4354.jpg201008russia4359.jpg
201008russia4363.jpg201008russia4367.jpg
201008russia4369.jpg201008russia4373.jpg

クリックすると拡大します。