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ロシアへの旅 前説

 ロシアへの旅は、ちょっと早めの夏休みの感じだった。例年だとそろそろ暑くなりかけて、ムシムシした日本からの脱出を考えていたのだ。そして実際問題、今年の夏は記録的暑さを我々は経験した。


気象庁は2日、7月の天候の特徴をまとめ、発表した。北日本と東日本では気温が月を通して平年を上回り、かなり高くなった。北海道と沖縄では南からの暖かく湿った空気の影響で、1カ月の降水量が平年の約2倍に達した。
 同庁によると、平均気温は北日本で7月上旬に平年比プラス2.9度、東日本で同月下旬に同2.1度を記録し、1961年の統計開始以来、最も高温になった。東北と関東甲信では月を通しても平年より2度以上高くなり、仙台市と千葉市ではそれぞれ25.3度と27.7度で月平均気温の過去最高を更新した。
 東京都心では最高気温が35度以上の猛暑日が4日、30度以上の真夏日が22日あり、いずれも平年を上回った。      (2010.08.02 朝日新聞)

 だから、ロシアへの旅はこの上なく気候的には快適な旅になるはずだった。6月の平均最高気温は22.1度であり、7月のそれは23.2度であり、この上なく涼しいモスクワを堪能できる予定だった。

 ところが、今年のモスクワは7月に最高気温38.2度を記録するなどの日本のそれを上回る記録史上最高気温に達するなど、以上尽くめの年であった。

【モスクワ=副島英樹】記録的な猛暑が続くロシアの首都モスクワで26日、ついに気温が37.4度に達し、130年の観測史上、最も暑い日となった。これまでは1920年8月の36.8度が最高気温だった。予報では今後40度近くまで記録を更新する可能性も見込まれている。「寒い首都というイメージが吹き飛んだ」と言われている。        (2010.07.27 朝日新聞)

 何のことはない、現地の人間からすれば、おまえたちが暑さを運んできたのだ・・・という感じだったろう。多数の死者さえ出た。バスの中の空調も猛暑用にはできていないから、中で団扇や扇子を使う始末だった。

 とはいえ、苦しんだモスクワ市民には申し訳ないが、そのことのために今回の旅行は我々にとって忘れ得ない旅となった。

 さて我々が長年ロシアに近づかなかったのは、スペイン旅行などでモスクワをトランジットした際の、あの薄暗いじめじめとした感じ、そこここに寝転がっている人々がうごめくような姿、それらが影響しているように思う。コーカサスに旅行したときに利用したビジネスラウンジも、先進国のそれとは違っていて、サービス、食事類の内容、どれを見てもかなりレベルの低いもので、まぁロシアはこんなものかという感じだった。
 それとやはり脳裏を離れないのは、日本を裏切った国という印象。
 そうしたものがあい混ざって、複雑な感情になって、近づきがたいという垣根を作っていた。

 まぁそういうわけで、単に世界遺産狙いで訪れたこの国であった。ロシアはヨーロッパの田舎といった印象しかない、訪問だった。

 モスクワの暑さで今回の旅行は忘れ得ぬものになったと書いたが、今ひとつ日本にいたときから今回の旅行は一つ忘れ得ぬ旅行になる要素をそもそも持っていた。それは京成の新しい成田空港アクセス線である、スカイアクセス開業日に出発日が当たったことだ。われわれはその一番列車になる新型アクセス特急スカイライナー1号の発売日に京成上野に並び、見事ゲットした。

 この路線はかなり画期的なものだ。日暮里<>空港第二ビルを36分というスピードで結ぶスカイライナーも画期的だが、成田羽田間を結ぶ直通列車が従前よりも大幅に増発されたことだ。押上を経由し、都営線を挟み京急に引き継がれるその経路は、われわれ従前よいこらしょと日暮里まで出なければならなかった種族からすれば、乗り換え一回という経路が実現されことになった(従前もあったがあまりにも時間がかかるか高すぎた)。

 とはいえ、われわれはこうして最初のスカイライナーに乗り込んでモスクワを目指した。