2010年7月1日(木)
起床(0640)朝食(0710)ホテル発(0940)錦渓(1048~1152)昼食(1248~1335)シルク工場(1335~1445)寒山寺(1453~1550)留園(1558~1650)山とう街(1700~1730)夕食(1750~1850)ナイトクルーズ(1922~2030)ホテル着(2130頃)就寝(2230)
2-1 朝
起床(0640)朝食(0710)ホテル発(0940)
我が家の朝は「健康チェック」という行事から始まる。チェックする項目は、体温・血圧・心電図・noriだけ血糖値もである。それを終えて、朝食に向かう。朝食はロビーのある別棟に行かなければならない。
7時過ぎに部屋を出る。少し迷って朝食場所へ。広い場所だが、結構な人数が来ている。それも日本人よりは現地中国人の方が圧倒的に多い。種類は豊富だが、内容的に豪華さはない。まぁ問題は全くないが。
ホテルの今日の出発は結構早い・・・はずだったが、9時半に変更された。後から聞いた話だが、我々は0時半にホテル入りしたが、2時を回った場合もあるという。ちょっと強行スケジュールなので、現地でまぁアレンジしたということだろう。
今回の旅のメーンは水郷巡り。今日はその第一番目、錦渓へ向かう。
2-2-2 船(1015~1030)
橋を渡りきると船乗り場になる。すごい人でごった返していると、それに乗るのだという。8人グループを作ってください、と言われたが、結局は前から順番に乗り込む。我々は別のバスの人たちと同乗することに。
きれいとはいえない川を女船頭さんの竿裁きで船は狭い川筋を進んでいく。途中で、舟歌なども歌ってくれた。意味も分からず拍手をした。
確かにこれに乗ると古い町並みの様子が分かる。中にはこの川で洗い物をしている人もいた。まさに生活の中に生きている川だ。
どの家にもこの川に降りる階段があり、かつては各家ごとに持ち船があったそうだ。
ショートコースの船旅を楽しんで下りた。
2-3 昼食(1248~1335) 蘇州料理(薄味)
昼食は蘇州へ戻って、シルク工場の中のレストランで食べる。今回、食事は3つのグループに分けられて、いつも同じだという。分かりやすくていい方法だ。
我々は第二グループだったが、特に我々のグループには、中国人がいて食事などいろいろと解説してくれるので大助かりだった。
今回は蘇州料理ということだ。メーンは「スズキのあんかけ」らしいが、他にも前菜が3皿、大皿が4皿もあり、お焦げやご飯、スープなどあわせるとかなりの量になった。junの感想としては、薄味料理で淡泊、どれを食べても同じ味に感じた。醤油かソースがほしい。
ビールはチンタオビールで30元。これはこの後、どこで飲んでも、何を飲んでも30元と変わりなかった。たぶん町の人が冷えていないのを買ったらその1/5~1/10くらいの値段なのではないだろうか。
食事中、流しの人がテーブルを回ってリクエスト曲に答えていた。もちろんなにがしかを払わなければならないので、我がテーブルでは誰も頼まなかった。
2-4 シルク工場(1335~1445)
食事の後、1階へ下りてシルク工場の見学をした。蘇州はシルク産業で発展していった町だ。いわば本場。
はじめは繭から糸を紡ぐ様子を見た。これは初めてのことで目新しさもなかったが、次の工程に行って驚いた。
それは双子の繭というものだった。これは人工的に蚕を二匹入れて繭を作らせるのだという。従って1匹のに比べれば大きい繭ができる。これは太くて丈夫になるので布団などに使うのだそうだ。二匹が入るとそれぞれの糸は雁字搦めになるので、もはや糸を取り出すことはできない。それどころかその繭というのは、ちょうどボールを糸で雁字搦めに巻いたような状態になって取り出される。
それを大きく広げて最初は帽子のようにする。それを今度は4人がかりで布団の大きさまで大きく広げる。思いっきり引っ張っているのだが、全く切れるようなことはない。これを何枚も重ねていくと真綿の布団と言うことになる。
さわらせて貰ったが、これぞ絹、というすべすべの手触りだった。
製品も気持ちよかった。軽くて暖かいという言葉に動かされて、その後行った布団売場で3枚も購入した。
それからまだ時間があったので、2階の小物売り場へ行った。と言っても目当ては桃子のもの。ちょうど可愛いチャイナドレスがあったのですぐに購入。
ただ、それでは母親が可愛そうと、次にパジャマ売り場へ行って、即購入。ここはこれで終わり。
それでもまだ手持ちの元はたっぷり残っていた。前回は二人の旅行だったので、不安感からか、かなりの金額を両替していた。ただ、その間に古い方の札は一般では通用しなくなってしまっていたので、今回は使いきるつもりでいる。
2-5 蘇州(1450~1730)
蘇州と言えば蘇州夜曲。誰が歌っていたっけと言うことが話題に上った程度の知識だ。
この蘇州もやはり水郷の街。東洋のベニス、と言う呼ばれ方もするそうだ。ただ、ここはそれだけにとどまらず、ここにある9カ所の庭園がまとめて「蘇州古典園林」として世界遺産に指定されている。今回の我々の目的はこの一カ所のみと言っても過言ではない。この格安小旅行で、世界遺産を一カ所稼ごうというわけ。
2-5-1 寒山寺(1453~1550)
ここは日本では漢詩で有名でしょ、とガイドさんが言うが、残念ながら記憶にない。行く前に調べて置いたので、どんなものかわかるが、とくに感慨はない。
入り口には金色の武者像?がある。それからお線香の煙を全身に浴びて本堂へ行く。途中に赤い布がたくさん結びつけられていた。日本で言うとおみくじか、絵馬?その一つの塔にお金を投げ入れて中にはいるといいことがあるというので、皆チャレンジした。こういうものはだいたいだめなnoriはなぜか1回目で成功。junは失敗したが、ガイドさんが3回チャレンジできますよ、と言うのでやってみたが、いずれも失敗。最後とばかりにやけになって投げてみたらようやく入った。これで願い事が叶うのか?
その後、本堂(大仏殿)でお参りをしてから堂内を巡って行くと、日本から送られたという鐘があった。昭和天皇が送られたものらしい。
それから外へでて次の建物に行く。ここには寒山と拾得の像がある。壷を持っているのが寒山、蓮を持っているのが拾得。何故、それらを手にしているのかはわからない。
その前の庭に石で円模様があった。そこを1周すると願いが叶うとか。観光客らしい人たちばかりがそれをやっていた。もちろん我々も。
それから聴鐘石を通って、例の漢詩の石碑の前で説明を聞く。張継の「楓橋夜泊」という詩で、日本では有名でしょ、とまたガイドさんが言った。この詩のために、日本からの観光客も多いのだとか。というより、そういう風に仕向けられている為ではないかと思う。現に、我々だってこの詩の寺をみたいなんていう気は全くなかったのだから。というよりこの詩の存在すら知らないのだから。
次に日本に馴染みの人が奉ってある堂に入った。左から、空海、三蔵法師、鑑真。ただ、これも何故この三人なのかはわからない。
次に碑廊という書が沢山並べられているところ。
この寺は書でも有名なのだとか。特に今の法主?さんは書でも名のある人だそうで、日本でもかなり知られているとか。ということで最後は、その書などが並べられている売店へ。クーラーが効いて涼しかった。ここで我が家はお土産に白檀の線香を購入。
2-5-2 留園(1558~1650)
元々は個人の庭園だったところ。一時荒廃したこともあったようだが、今はきっちりと整備されて世界遺産グループの一つとなっている。これが、我が家にとっては238個めの世界遺産となる。
園内は、東・西・北・中に分かれている。南の庭は四季を表現し、東の庭は太湖石を観るように造られた住居部分となるそうだ。
はじめに絵と書が並べられている額の前でそんな説明を聞いた。
それから回廊を進んでいく。ここにある窓の格子は様々な形をしていて、庭を直接見るのを妨げている。少しずつ庭の美しさを味わってほしいという演出らしい。
そうやってまず南の庭へでる。そこには池を取り囲むように小さな東屋のような建物があった。背後では古典の楽器演奏がなされていた。
さらに進んで行くと、今度は日本のことのような楽器の演奏をしている人がいた。暑さで参ってきていたので、回廊の縁に座って、しばしそれを聴いた。
着いたところがここの代表的な景観の太湖石のある池。冠雲峰という名が付いていて、高さが6、5mあるそうだ。確かに立派。見応えもある。
それから住居部分に入る。
調度品は皆立派なものばかりだ。中に丸い石が飾ってあった。自然にできた模様だという。何に見えるかは受け取り手によって違うそうで、自由に想像してください、とのこと。
とにかく暑い。この日の最高は37度を記録したそうだ。ということで、いつもの様にガイドさんの話をメモするどころではなかった。
2-5-3 山塘街(1700~1730)
ここは、庶民の商店街ということで自由散策。が、庶民的すぎて、日用品や食料品しかないので、とても買うような気になるものはなかった。しかも、臭いがきつくて、道路の状態も昔の中国そのまま。確かに人々の生活ぶりをみるにはいいのかもしれないが、あまり興味はわかなかった。暑さのせいかもしれない。もうグッタリだ。
そこで、スーパーらしき店に入った。クーラーでも利いているかと思ったのだが、装置そのものがなかった。そこで冷たいジュースでもと思い、購入した。その際、以前の残りの札を出したら受け取ってもらえなかった。おばさんが財布の中から、今使える札を探して受け取った。金額はぴったりで、ごまかそうとかそういう風は全くなかった。ごく自然に手が伸びてきて、支払いが済んだ。
集合場所へ戻ると子供たちがメンコをしていた。昔の懐かしい光景だ。