12月30日(火) 第5日目

 コルドバ(8:00)(8:30)メスキータ(オレンジの中庭、モスク、大聖堂、ミハラブ、聖具室など)、花の小路、ユダヤ人街(11:00)(12:40)ハエンの町を見下ろせる元要塞 パラドールにて昼食(14:50)→バエッサ散策(16:10)旧大学、サンタクルス教会、ハバルキント宮殿、カテドラル(17:05)(17:15)ウベダ(18:15)散策→ホテルにて夕食(20:30)

 今日はいよいよメスキータ。朝食を7:30から30分で済ませて8:00出発。8:30にはメスキータに着いたがあいにくの雨。外は真っ暗と、観光不日和。でも、40分にはメスキータの中に入っていたからあまり関係ないか。解説書には、10:30開館と書いてあったので不安に思っていたが、早く開いたようだ。ここはイスラム教のモスクで、メッカのカーバイスラム教寺院に次ぐ規模を誇るそうだ。コルドバは、かつて東のイスラム教国(首都バグダット)に対する西のイスラム教の宮廷所在地として栄えた所で、このメスキータは、まさにカリフ王国の栄華の象徴だそうだ。

 少し日本語の分かるガイドさんに連れられて、まずはオレンジの中庭へ。オレンジが沢山なってきれいだった。則裕はてっきりオレンジ色の中庭だと思っていてキョロキョロ。昔、ここには巡礼の体を清める池があったということだ。最盛期にはそこに面して19の扉があり中に入りきれない人はそこで祈りを捧げたという。今はたった1つだけ。キリスト教徒が占領したときに改造(壁を作った・・・柱と柱の間は小礼拝堂に一部なっている)してしまったからだ。そこから中に入ると、真っ暗。目が慣れてくると無数の柱が目に飛び込んできた。約850本もあるとのこと。すごい。縞めのう、大理石、花崗岩で作られた柱は線条細工のアラベスク模様になっている。ここはいくつかの時代に渡って増築されたので、それぞれに幾分かの違いがある。最後の時にはあまり繁栄していなかったので質素になっている。それにしてもすごい数、すごい飾り、圧倒されっぱなし。

 中央あたりにキリスト教の礼拝堂がある。イスラム教のモスクの中にキリスト教の礼拝堂があるのは他に例を見ないそうだ。地元の反対を押し切って強引に改造してしまったとのこと。権力とはこういう物なのだなあ。ただ、それを抜きにしてみればこれはこれで素晴らしいものだ。ちょっと暗いなと思ったら、ガイドさんが警備員に話を付けて電気をつけて見やすくなった。金銀財宝ではないけれど、結構贅沢な造りだ。次のミハラブでも、中に入れてもらった。ミハラブはメッカの方向を指す窪みが祭壇になっているものだが、回りの模様が素晴らしい。スペインビザンチン様式の傑作とのことだ。その後も聖具室に入れてもらった。たくさん並んでいたが、何がなんだかわからん。それから聖歌隊の所へ行くと、何と日本人の団体だらけ。どこからこんなに?と思うほど急に現れた。パイプオルガンの素晴らしいものがあって見とれていたら、なんと引いてくれるサービスぶり。初めは君が代。ん?他にも何曲か。そろそろ礼拝の時間ということで、もっと聞いていたかったがまた見学。昔入り口で今は例の私所有の教会になっている所を通って外へ出る。まだひどい雨だ。気分が重くなる。やはり観光 はいいお天気の下でなければ。

 それでもじっとしているのはもったいないので、次に花の小路へ行く。ほんの一角なのだが、お土産やがたくさん並んでいる道だ。パティオに、窓際の花が美しい町と聞いていたが、それはここだけのようで、この後もあまりきれいなのにはお目にかからなかった。季節のせいかもしれない。そのお土産屋の1つで、素焼きのアルファベット文字を買う。表札にしようと言うことで7文字+両はじの飾り分。青い色が付いていて結構きれい。その後ユダヤ人街へ。どうしてこうもユダヤ人街というのは道も細くて折れ曲がっているのだろう。とても一人では歩けそうもない。それからやっと自由時間。ローマ橋の方へ行くことにした。これもローマ時代に造られた橋で、16のアーチ型の橋桁に支えられた250mの物。車も通って歩きにくいが、向こう側まで渡ってきた。凱旋門のような門が橋のこちらとあちらにあったが、本当のところはわからん。そうそうその橋のこちら側に道路標識があるのだが、そこになんとマックへの道も書いてあるではないか。で、マックはと言えばやはり地域性を生かして、そこらし い建物になっていた。ふーんさすが、と感心。

 バスに戻ってまたお茶。体が温まる。ホントにこれは良かった。オリーブを両側に見ながら走っていくとやがて本日の昼食場所、ハエンに到着。山の上のパラドールに行く。やや早く着いてしまったので、しばらく待ってありついた食事はおいしかった。久しぶりに全部食べた。体も慣れてきたせいかもしれない。いやそれだけでなく、食事の取り方にもあるのかも知れない。今日の昼食の時間は2時間。こちらの人はゆっくりだ。こちらの人はそれからシエスタという昼休みに入るのだ。そうなったらお店も何もかも閉まってしまう。生活自体ゆったりしているのだ。雨も小降りになってきたので、周りを散歩。下のハエンの町がよく見える。白い壁に赤い屋根は本当にきれいだ。町全体で調和をとっているためだが、よくこんな事が出来るなあとまた感心。日本なら自分の利益優先になってとても考えられない。

 この辺りはオリーブ作りが盛んということで、なるほど走っても走っても見渡す限りのオリーブ畑だ。途中でバスを止めて下車。ポパイではないがオリーブと記念撮影。木下にたくさん落ちていたが、それはそのまま腐らせてしまうのだそうだ。そうだろうな、あれを拾っていたのでは能率が悪くて利益にはならないだろう。ツアーの一人がその落ちている実を口にして確かめたところ、苦くてとても食べられた物ではないとのこと。そりゃあそうだろう。これってそうやって食べる物ではないのだから。ちなみに、オリーブは殆どは油になるが、一部、しばらく炭酸につけてそれからその炭酸抜きをしてやっと人の口に入るのがあるそうだ。これは作っているところによってだいぶ味が違っていた。

 次にバスを下りたのはバエッサ。中世の貴族の館の並ぶ町だそうで、旧大学や教会、カテドラルなどを見たが、あまり記憶にない。ただ、写真を見ると、この頃にはもう青空も見え始めて天気は回復していたらしい。カテドラルで則裕がきちっと懺悔をしてくれたせいか?

 夜、町の散策に行く。「本川さん、帽子」とみんなから期待されていた(これは、帽子好きの則裕が「仲屋むげん堂」で買ったインドの帽子をかぶっていったら、思いの外人々の関心を浴びて、その後、度々話題になったのだ。)ので、一応帽子屋も覗く。かっこいい帽子があったが、値段の折り合いがつかなくて止め(6800ペセタ・・・日本円でも6千円くらい)。ちょっと気取りすぎて普段かぶるにはもったいない帽子だ。その後、「カーボン」という溶岩石のようなお菓子を見つけたが、訳が分からず買いそびれたら、それは正月5日に悪い子にあげるものだと聞いて、後悔した。翌日にと思ったが、その機会はなかった。が、中野さんのおかげで味わうことは出来た。感謝。

 ホテル:コンデスタブレ・ダバロス。今日明日の2泊の宿。当たり外れがあったそうだが、我々の部屋は当たり。次の間付だ。ついてる。