スリランカ後記 


A.スリランカで飲んだお酒
 スリランカで飲んだお酒はわずかに2種類、5銘柄でしかありません。第一はスリランカの独特のお酒であるアラック。椰子の花から出る液から作った蒸留酒です。これは2銘柄。といっても、何を飲んだのかわかりません。最初に飲んだのは往路の飛行機の中で、順さんが言うにはVSOPと書いてあったとか。オンザロックで、チェイサーをもらって飲みました。復路はジンジャエールで割って飲みました。旅行中1回だけホテルのレストランでコーラで割って飲みました。まぁ早い話、スリランカのウイスキーという感じのもので、透明なものもあるそうですが、私の飲んだものはすべて琥珀色のものでした。ちなみに、オールド・アラックという銘柄のものを帰りの空港で買い求めてまいりました。
 今ひとつはビールです。これは3種類飲みました。一番ポピューラーなのがLIONブランドだと思います。街道のあちらこちらにその宣伝を見ることが出来ましたし、癖も少しだけで、比較的日本人の口に合うと思います。もう少し癖が強いのはキングというブランドです。これは慣れるのに少し時間を要しますが、慣れるほど出てきませんでした。それから今ひとつ銘柄不詳の文がありました。こちらが一番飲みやすいタイプだったお思います。

B.スリランカのカレー
 スリランカでは、カレーは何種類かをご飯の周りに取り、かき混ぜるようにして食べると言うことです。もちろんもともとは手で食べていたのだろうと思います。ところでカレーですが、日本人がまいらないようにとのエイジェント側の配慮でしょうか、それとも大きなホテルばかり泊まったせいでしょうか、パキスタンのように今日もカレー明日もカレーという感じではなく、済みました。順さんは安堵ですが、則にはいささか不満でありました。
 さて辛さですが、辛いものもありますし、それほどでもないものもあります。中身も野菜もあれば、チキンも魚もあります。基本的に仏教国ですので、肉に対する禁忌はありませんが、牛肉はヒンズーの影響も有り余り食べないそうです。もちろんスリランカでも8%くらい回教徒がいますから、それらの人々は豚は食べません。
 カレーに話を戻しますが、もちろん日本のようなカレーではなく、うどん粉など入って這いませんから、外見的には緩いカレーです。でもこれが抜群においしいです。HOTなところでは、やはり食べ物もHOTであるべきではないでしょうか。

C.スリランカのあいさつ
 スリランカのあいさつは、アーユーボアンです。意味は「あなたの長寿をお祈りします」というような意味だそうで、朝晩会うときも分かれるときにもこれ一つで用が足りるそうです。あいさつするときには必ず両手を胸の前に合わせて「アーユーボアン」と発します。スリランカン航空に登場するときのあいさつも、アーユーボアンです。バスの運転手さんも、朝合うとアーユーボアンです。

D.シギリヤロック登山は大変か
 このページの冒頭を飾っているのは夕日に輝くシギリヤロック。ホテルから5分ほどのところからの撮影。さて登山というか登岩だけれども、ハッキリ言って、大変ではないし、お手伝いの人もウザッタイだけだとは思います。でも、彼らはそれで生計を立てていますから、むげにせず、順さんのように二人も付けて登る人面必要です。お年寄りで、後ろからと更に一人の合計3人に付き添われて登った人もいます。
 ダンブッラ石窟寺院に登る時を1としますと、シギリヤロックは途中のミラーウオールまでがその1.0倍、そこからシギリヤレディーを見に横道にそれるのが0.5倍、ミラーウオールから横に折れてライオンの足から一挙に頂上まで登るのが1.5倍で、合計3倍くらいのところでしょう。
 私たちは実はオーストラリアのエアーズロック(現地名ウルル)に登りましたが、ダンブッラ石窟寺院を1とした計算方法で行くと、20倍くらい大変だと思います。又メキシコのテオティワカンの太陽と月に登るのがその半分くらいか。何れにせよ、時間さえかければ、シギリヤロックには多くの人が登ることが出来るでしょう。
 ただ、では頂上について感激するかと言えば・・・やはり感激すると思います。ジャングルの海原が360度広がっていることを確認することが出来ます。どうやって水をこの高地にあげたのか今もって謎と言うことですが、岩をくりぬいて作った沐浴場や玉座なども見ることが可能です。でも、シギリヤレディーの感激に比べたら、それはそう大きなものではありません。シギリヤレディーまでは是非見るべきですが、体に無理を科せられないならそこで止めてもシギリヤロックに登った価値は決して半減されると言うことはないでしょう。
 もう少し具体的に書きましょう。最初の写真はシギリヤロックの入り口です。ルートとして私たちは(そう決まっているのかどうかは不明)ここを再度通ることなく別のところへ出ました。たぶん最後にフレスコ画の名残りがあるところを通るので、戻ってくることはないのだろうと思います。ここから登ります。しばらく平坦で、上から見る庭園の一部を通過していくことになります。第一段階は岩の中腹に見えるオレンジ色の部分、ここはミラーウオールと呼ばれ、漆喰で固められているところで、鏡のように輝くからその名前があるのですが、この部分まで登ります。ここから右手に進むと、非常階段で螺旋になってビルなどに昔取り付けられていたような階段を登ります。ここにシギリヤレディーがいます。ここから本来なら上に行けるのだろうけれども、一旦また螺旋階段を下ります。そしてもと来た道をミラーウオールづたいに引き返し、登ってきたところを超えて進み、シギリヤロックの角まで行き、そこを曲がって少し進むとライオンの入り口に出ます。広場にそこはなっていて、シギリヤロックを見上げると、つづら折りに階段が付けられているのがわかります。ここから一気に上まで登ります。

E.スリランカの物価
 ハッキリ言ってただの観光客にとってスリランカの物価はよくわからない。
 かいま見たのは最終日のスーパーマーケット。だいたい日本の物価の5分の1から10分の1程度のものか。スリランカではチップ込みでだいたいビールを250ルピー程度で飲んでいたが、これってめちゃくちゃや高い値段だろう、代替源かはその10分の1くらいだと推定している。でも通り過ぎるだけの観光客だから、まぁよしとせざるを得ないだろう。ちなみに100円で80ルピー来る。だから250ルピーは邦貨300円。だからあまりにも、いくらチップ込みでも高いと思った。

F.スリランカの仏教遺跡
 日本風に言えば重要無形文化財とも言うべきペラヘラ祭を我々は見に出かけたわけだが、そのほかにもすべての世界文化遺産(2002年7月現在)を見てきた。そしてその多くは、仏教遺跡だった。私たちも南味かから東南アジアに書けての仏教遺跡については、パキスタンカンボジア・インドネシアと見てきたが、カンボジアのアンコールワットにしても忘れられていた存在であってそれが祈りの場に戻ったのはそう古い歴史があるわけではない。またアンコールワットでは本来僧のみが許されるであろう一番高い須弥壇の上まで登ることが可能なのだ。
 しかしながらスリランカの仏教遺跡は、旺盛の頃の仏教保護が近代まで延々と続いてきたためだろう、今も地元民にとって「神聖」な領域であり、地べたであろうともそこに土足で踏み入れることは許され得ない。また仏像は祈りの対象であり、それゆえに写真は許されるが、仏像を交えた写真は基本的には許されず、許諾される場合にも人物は仏像の前に立つ(仏像に尻を向ける)ことは許されない。比較的日本人が寺の奥まで行くことが時に許され、時に寺宝を拝見することも可能だったが、それは日本人の多くが仏教徒であるという前提で許されている。
 私はスリランカの仏教遺跡をまわりながら、パキスタンのタキシラにあるダルマラージカ遺跡のことをふと思い出していた。保存状態や保存に対する気配りはむしろタキシラ最古のスツーパということで大事にされていたようにも思う。しかしスリランカのそれらは、今なお厳然として祈りの場であり、あくまでも祈りの場という状況を妨げない限りにおいて、観光客に開放されているに過ぎない。その意味で、スリランカの仏教遺跡は「今なお生きている」、多くのスリランカ人にとっては決して遺跡ではない、自分たちの守りの存在なのだと思った。