三日目:7月22日(土) 快晴

 (朝)昨日は10時ころには寝たのだけれども、順さんは2時ころからがたがたやっていて、とうとう最後には完全に起きて日記を書き出していた。
 散歩をして7時から朝食。ヨーグルトなどの種類は多いが、相変わらずのヨーロッパスタイル。それでもゆで玉子があったのが何よりの幸い。このゆで卵、面白いことに置いてある生卵を自分で茹でて食べるというもので、則は他の人に取られないようにしっかりと卵に名前を書いて茹でた。スイスはブロイラーが禁止されているので、地卵と言うことだったが、その説明は添乗員さんから後で聞いたので、一人一つずつだけにしてしまった。もう少しもらってくればよかったが、それは後の祭りである。

 (サンモリッツは日本?)8時45分にホテルを出発し、程なくしてサンモリッツの駅に到着。再集合時間を聞いた上で、一旦解散。出発の時間が何時だという表示は小学校の1年生の算数の時間に使うような手回しのアナログ時計表示。
 サンモリッツ駅の高度は、駅の高度は、1775メートル。この高さから今日は峠越えの一日である。解散後、早速日本語の駅名表示を探す。これはこの鉄道会社が日本の箱根登山鉄道と姉妹鉄道の関係にあるからだ。このときトランシーバが活躍した。二手に分かれて3本あるプラットホームを手分けして探した。駅舎から一番離れた4・5番線ホームのツェルマット方向にあった。それからそこには何と、「箱根」とネーミングされた機関車が留まっていた。以前何かで富士と言う機関車があると言うようなことを聞いていたが、実際にそうした種類の機関車にお目に掛かれたので感激だった。こうした点でも深い関係があるのだろう。我々は夢中になってそれを写真に納めていたが、その姿を外人さんが笑ってみていたり写真に納めたりという奇妙な光景があった。
 さて列車は日本とは違い、9時半に静かに動き出す。こうして氷河急行(日本では氷河特急と書いてある場合もある)座席は前から3両目(気動車を含む)で、進行方向左側、前から3ボックス目に座る。この列車の平均時速は34kmと言うことだから、けっこうなスピードである。サンモリッツを出るときには未だアプト式の第三軌道は無かった。
 走り出して早々に配られたパンフレットを見ると、それは車内販売の案内だった。めざとくワインを見つけた則はしっかりと購入。他の人は話の種にというバカ売れの傾いたワイングラスを買っていた。

 (氷河特急は見所いっぱい)走り出して早々に配られたパンフレットを見ると、それは車内販売の案内だった。めざとくワインを見つけた則はしっかりと購入。他の人は話の種にというバカ売れの傾いたワイングラスを買っていた。
 10時30分、ビューポイントとして有名なラント・ヴァッサー橋を渡る。このときが問題だ。予め則はしっかりと車掌からどちら側かを聞き出しておいた。添乗員さんにそれを聞くのははばかられたからだ。客同士で争奪戦になるのはまずいと思ったからだ。準備万端と言うところで則も何とかビデオをとったし、順さんはバッチリとのことであった。ラッキー。
 次にもう一つのビューポイントである、同じような鉄橋を見る。これも同じ側だ。これは急に添乗員さんから話があったので、危うく見過ごす所であった。下調べをしないともっと完璧にしないといけないと思った。
 ここまで見所は全てサンモリッツを背にして左側。しかし最後までこういかないのは天の無せる技か。

 (機関車付け替えなどで途中休憩)11時28分、ライフェナウ(604mでこの線では一番低い)にてスイッチバックをするために機関車の取り付け替えで10分ほど停車。機関車が離れていったのでカメラを構えて戻るのを待ったが行ったきり戻ってこなかった。ここからの見所はやはり左側。つまり走る方向が反対になったから、我々のほうは山際になってしまってあまり見るものはなかった。結局半分ずついい景色が楽しめるようになっている何ともにくい演出?
 方向が変わったまま、つまり先頭の方から後ろのほうになったまま、14時40分に大休憩となるディセンデス(1130m)に到着。その時間を使って18世紀の僧院を見学。そう有名なところではないと言うことだったが、大きな建物で、中は豪華な装飾がテカテカ。ゴッシクだねと同行者が話していたが、事の真偽は判らない。そこで則は敬虔な信者に返信して今までの生活を懺悔。

 (氷河急行後半戦)清らかな身になったところで再び同じ電車に乗って14時10分出発。本来の氷河急行はこのような大停車はしない。実際定時の列車はそのままツェルマットを目指して出て行った。我々のは貸し切り車両であり、急勾配にさしかかる区間は何両もの連結であがるのは不可能なためらしい。歯切れの悪い添乗員さんの言葉からそう判断した。線路はいつの間にか3本になっていた。
 さて再出発したら、則はずっと車両の前(最初乗ったときには後ろ)のデッキの窓の陣取ってその半分の景色を堪能していた。氷河の水(石灰分を削って流れてきているためであろうか白濁している)を運ぶ川沿いに進むので、大きなカーブの時などは列車のカーブと川のカーブが一望できる。また遠くの山々の下には氷河とおぼしきものが見てとれ、望遠でみるとそのスケールの大きさが手にとるように判る。そして最高地点オーバーアルパスヘーエ(2033m)を15時ちょっとに通過する。最後に今度はまた逆の我々の座っている側にアンデルマットの町並みが見えはじめ、一挙にループで下って15時10分ころアンデルマット(1433m)に着く。

 (フルカ峠越え)そこでバスと再会する。この間は回送で荷物などを運んできてくれたのだ。このままでいけば峠を超大トンネルで越える氷河急行と大差ない時間でツェルマットに到着できると言う。バスはやがて古いフルカ峠越えの鉄道線路跡を何度もクロスしながら高度をあげていく。少し平坦になりかかったかなと思えるところにくると、フルカ峠まであと200メートルの標識。バスはあっという間にフルカ峠を越えていった。16時から20分ほどフルカ峠を少し下った所のベルベデールで休憩。ここで氷河を間近に見る。ただ人家が近いからなのだろうか、氷河の先端部分は随分と薄汚れた感じに見える。いくばくかの料金を払えばもっと氷河近くまでいけるのだが、時間の関係で我々は見るだけだ。
 ベルベデールを出発すると今度は急降下だ。その危うい谷間沿いの道をバスはけっこうなスピードで下る。17時25分、乗っているバスの車庫があると言うブリーグと言う大きな町を通過。操車場がある大きな駅も通過。ここからはやや平坦のところのため、バスは更にスピードをあげる。川沿いにバスはなおも進むと、17時50分ころブルネックホルンというマッターホルンに似た三角の高い山を正面方向に見ることができた。この山も独立峰で、姿形は美しい。やはり同じ山なら独立峰のほうが、富士山を初め人々の目にもとまり愛でられるので得な気がする。

 (ツェルマット入りのための儀式)そして予定よりもだいぶ早く、18時10にツェルマットの一つ手前の駅である、テッシュへ到着。乗り捨てた列車より早く着いた勘定。ここから先はガソリン車禁止区間と言うことで、ツェルマットまで一駅は電車の利用となる。順さんは電車の会社の陰謀と言っているが、こうした不便さを伴っても生活が十分にできると言うことは、経済的にかつ精神的に豊かでなければ成し得ない制度であろう。
 我々はバスと別れて、それぞれの荷物を持って電車に乗ることになる。20分おきに電車は出ているが、丁度18時10分発が行ったところで、18時30分発の電車に乗って、10分弱でツェルマットに到着。目の前にホテルがあると言うのにポーターが電気自動車で迎えにきていた。そのような自動車で駅前はごった返していた。そのほとんどが日本人と言うのだから驚きだ。そう言えば、今回の旅行は、どこへ行っても複数の日本人団体と鉢合わせする。この町など半数が日本人のようだ。
 ところで先にも書いたように、ツェルマットはガソリン車禁止ということで、車は電気自動車。タクシーやホテルのものはよく走っていたが、一般の人はどうなのだろう。また、道路を汚しているという馬車は少ししか見かけなかった。

 (マッターホルンとの対面と夕食)ホテルの部屋に行って早速外を見ると、マッターホルンが見えた。雲一つ無い状態でてっぺんまできれいに見える。何というラッキー。もっとゆっくり眺めていたかったが、直ぐに夕食なのでロビーへ降りて行く。
 夕食会場に向かう途中の道々、マッターホルンがよく見える。みんな歓声をあげながらシャッターを切った。19時近いのに外は未だ夕方の気配すら見せていない。まぶしいくらいにマッターホルンが輝いている。明日もかくぞと祈る。
 本日の夕食は鶏のクリーム煮にと言うことだったが、まあかわいい量の鳥肉が出てきただけ。今回はこのように寂しい食事が多い。これが日常なのか、体格の小さい日本人に会わせてのことなのか、或いは別の理由でもあるのか、どうも最後までわからずじまいだった。我々は当然ワインを飲んで、ラベル剥がしもいつもの通りにやっていると隣の席の外人さん家族が興味ぶかげに見ているので、終わった後剥がしたのを見せたら、拍手喝采だった。

 (夕食後の散歩など)夕食の後、メインストリートを散策する。教会のところがマッターホルン見所と書いてあったのを思い出してとりあえずそこまで行く。画角が変わってこれまたいい。
 帰ってきて直ぐに風呂に入る。今日は秋田の湯と言うことで、白濁した湯。氷河の河を見た後としてはぴったりだ。勿論日本からもってきた入浴剤の話。10時30分に就寝。

ホテル:ゴルナーグラード 209号室 

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