六日目:7月25日(火) 快晴

 (天気の回復を祈りながら朝を迎える)5時に起床する。ぐっすりと寝た感じ。薄明になるも雲多く、不安な感じだが、道路はむしろ乾いてきており白くなってきている部分も何とはなしに判る。見なりを整えてから荷物の整理にかかる。今日は移動もあるのでバスに手で持ち込めばよいから楽勝と思ったが、けっこうな量でパッケージするのに苦労する。
 6時半近く急に遠望の白き衣をまとった険しい山々がぼんやりと見え始める。見れば月がその上にはっきりと見える。上空は晴れており、これまで山々を隠していた霧が地上付近に降りてきているものと見た。この希望が正しいことを祈る。順さんは部屋のベランダにかじりついている。


 (メインダイニングからの眺め)やがて朝食の時間。このホテルの売り物はそのメインダイニングにある。8階建ての最上階に位置し、眺望抜群とインターネットのページにはあったから。最上階はレストラン部分の周りがベランダになっており、真上にエギュードミディが迫ってくる構造だ。勿論則は朝食などどうでも良いと言った風で、ベランダに飛び出した。風と雲あるいは霧の作る芸術は幼子の心をもち、時に晴れ渡り、時に山々の姿を隠す。哀れな我々はその所作に一喜一憂を繰り返す。しかしながら確実に晴れに向かっていることは、惑わされつつも我々の心の中にはっきりとした像を次第次第に結び始めていた。写真の左のピークがエギュードミディ。

 (エギュードミディへ)はやる心を抑えつつロープウェイ乗り場に向かう。奇跡かエギュードミディはその姿を我々の眼前に明確な形で表していた。もはや風とか雲とかの障害物は我々の「晴れて!」の一念にひれ伏したかの感さえもった。
 しばらくの後、我々が乗り込む時間となった。ゴンドラは大きく揺れて地上を蹴った。驚きと若干の恐怖のためにどよめきが起きる。最初にゴンドラは中間地点まで登り、そこで向きを変えて、全く鉄柱の無い中を一挙に次のゴンドラで駆けのぼるのだ。途中の氷河が荒々しい姿で眼前に迫る中、最終地点では一挙に数百メートルを駆け上がり、我々を富士の頂よりも勝る頂に20分のわずかで立たせたのだ。その間にもモンブランがどんどん手の届く範囲まで近づき、氷河は直ぐ足下にあるようになる。最初のゴンドラでは訳が分からず後陣をはいしたものの、エギュードミディに最終的に登る2段階目のゴンドラでは、順さんはちゃっかりと一番前に陣取った。何故かこういう時になるとすばしっこくなる不思議な人だ。上の写真はその順さんが撮った最後の一挙の登りにかかる前の、反対側のケーブルカーとの交差地点の写真。右側の2本のケーブルのピークの左側の離れた細い先がエギュードミディに立てられた尖塔の部分。
 9時40分到着。勿論我先にとゴンドラを降りるが、さすがに息が苦しい。何か気が遠くなりそうな雰囲気があった。これはまずいかもしれない・・・と不安がよぎるが、ともかくもモンブランに対面したいと言う一心で岩 をくりぬいたトンネルの中を急ぐ。
 さて頂上部分は2つの峰より成る。峰と言うが、そそり立った岩山と言うべきだろう。そのやや低いほうの峰にケーブルカーは着く。今一方の峰にもケーブルカーはあり、それはイタリア側からのもの。そうエギュードミディはフランスとイタリアの国境の役目も担う。さてこの二つの峰は実は橋で繋がっているのだ。その距離はおよそ20メートル。つまり二つの峰がいかに接近しているかがこれで判るだろう。右の写真は手前側(フランス側)とピークのあるイタリア側を結ぶ橋を上から取ったもの。もちろんこの下は断崖絶壁だ。

 (モンブランだ!)われわれは最初にモンブランの見えるテラスへ向かう。まさに快晴だ。これを快晴と言わずにどのような天候を快晴と呼べばよいのだろうか。モンブランの頂上が至近に見える。頂上付近は風が強いのだろうか、雪が舞っているようにも見える。いかにしたらその雄姿を表現できるだろう。他の山々のような険しさはないが、だからといってほほ笑んでいるわけでもなく、悠然と威圧感を伴ってそこにモンブランは存在した。何度か足を運んでいる添乗員さんさえ、写真を撮ってというほどの空前絶後の風景がそこにあった。
 モンブランテラスで、モンブランを見てふと振り返るとマッターホルンとモンテローザがこれまた快晴に遠望された。既に見慣れたことを差し引いても、その姿は重なって見える頂き達の中でも異彩を放っているので、全く詳しくない我々でも直ぐそれと見分けがつく。右の写真の中央置くに位置するのがマッターホルン。そしてその手前やや左側の固まりがモンテローザ。教科こんなにくっきり見える。ただしこれは望遠での写真です。
 感動の中、我々は峰峰に向かって何度カメラのシャッターを押しただろうか。狂ったと言う表現が的を得ているだろう。気が付けばあんなに苦しかった息も平静に戻っている。もはや言うことの無い満足を味わった後、我々はその外気の冷たさを感じ、はじめて我に帰った。もうそろそろ下山の約束の時間だった。そのときはもはや我々の心の全てをモンブランが満たしていた。
 およそ1時間の感動を味わった後、下界へはまた20分で戻ることになる。ゴンドラから外を見るといくつものパーティーが雪を踏みしめながら登っていくのが見える。彼らはまた我々の感動がいささか邪道であることを示しているようにも見える。わずか20分程度で畏怖を感するのはあまりにも安易なことと彼らは、ゴンドラの揺れにざわめいていた我々に教えてくれていたのかも知れない。

 (昼食)下山してしばし休憩した後、バスで昼食会場のホテルへ。と言っても徒歩でも直ぐの場所。ローストポークが美味しかった。昨日もそうだが、盛りつけと言い、味といい、やっぱりフランスは違うなと思ってしまった。その分のんびりもフランス時間で、昼食に1時間半を要した。

 (シオン城見学)昼食を挿んで、バスはモントルーへ。15時にはシオン城に到着。ここで約1時間の見学。シオン城というのはバイロンの叙事詩「シオンの囚人(幽閉なんとか)」で一躍有名になった城だそうで、そのために古いものを近代になって修復をした部分もあるそうだ。実際我々が訪れたときにも壁面の工事をしていた。ここでは日本人ガイドがついて説明をしたくれたので、判りやすかった。昔の調度品やとらわれの身となった坊さんがくくりつけられている場所とかを見たが、特に強く印象に残るものではなかった。代わりにそのガイドおすすめのワインを買った。「ここにしかありません!」という言葉に弱い則であった。

 (交通事故も見学?)16時15分にそシオン城を出発して途中トイレ休憩を挿んだ。高速道路上のものだったがここには売店もあった。韓国のピカチュウやガチャポン(ガチャガチャ?)などもあってそれはまた興味深かった。そこを出たとたんに大渋滞。事故があったのだ。けっこう大きな事故で横転した自動車が見られた。興味深かったのは、救援の救急車や事故処理車両の現場への到着の仕方。アウトバーンは片側2車線だったのだが、日本などは路側帯をそうした緊急車両が通ることが多いが、ここでは勿論路側帯もあるのだが2車線の車はそれぞれ左右に分かれ、中央部を緊急車両の通過にあてているところ。制度が違うと言うことは、こういうところにも現れており、日本の常識が世界の常識では必ずしも無いことをここでも思い知らされた。
 思わぬアクシデントがあって、バスは予定をかなり遅れて18時40分ころやっとトゥーン湖畔に到着。そこから道を山側にとって、更に15分ほど走るとユングフラウが見えますと言う添乗員の言葉にシャッターを押しまくる。が、実際にはどれがそうなのかわかっていない。19時を15分ほど過ぎたころにやっとホテル到着。添乗員さんの機転で、とりあえずチェックインだけして直ぐに夕食会場へ向かう。

 (夕食と就寝)夕食はグリンデルワルドの駅前のホテルのレストラン。このツアーはどういうわけか泊まっているホテルでは朝食以外はとらない。そこで、ベルナープラッテを頂く。特に変わった料理ではなく2種類の肉と言うことだったが、ハムとソフトサラミのソテーのようなものだった。まぁ久しぶりの肉らしい肉料理を味わった。ともかくも今日は、その雄姿を見せてくれたモンブランに感謝の一日だった。
 部屋に戻って風呂に入ったりしてベッドに入ったのは11時近かった。

ホテル:サンスター ★★★★ 204号室 

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