七日目:7月26日(水) 曇り時々晴れ

 (アイガー北壁顔を見せる)朝はいつものように5時起床。アイガーの頂がホテルから見えるのだが、残念ながら少し雲がかかっている。6時30分に朝食をとる。ホテルのメインダイニングはさながら日本のホテルの様相。日本人の波だ。ご飯(勿論長粒種)も醤油もある。そう言えば到着したとき流暢な日本語が聞こえてきたと思ったら、ホテルの日本人スタッフだった。それほどまでに日本人が多い。8時40分にロビー集合後、徒歩でグリンデルワルド駅へ向かう。町もまた日本人が沢山いる。左の写真はホテルを出発前にホテルの中庭でアイガーをバックに写した記念写真。また右の写真は、同じくアイガーをバックにした(この時は頂上付近は見えている)グリンデルワルドの駅。この左側で線路は切れており、右側が駅をでると(駅の構内からもう?)手前と奥とに直ぐに線路は分かれる。奥に行くと(今日がそう)ユングフラウヨッホ方向であり、手前に行くと(明日がそう)インターラーケン方向。

 (メンリッフェンへ)9時過ぎに貸切車両に乗って、グルンドヘ1駅だけの乗車。電車はグリンデルワルドの谷間を少し下り、5分程度で到着。そこからゴンドラの駅へ向かう。切符は今日一日使うという通し切符。登山電車・ゴンドラ・(徒歩)・ユングフラウヨッホへの鉄道の往復・登山電車という今日の行程全部をまかなうもの。この辺は鉄道が発達しているスイスならではのことであろう、なかなか便利だ。9時27分から30分間、4人乗りのゴンドラでメンリッフェンヘ。ゴンドラは一方の窓しか開かないので、蒸し風呂状態だ。その暑さに耐えていると、アイガーが目の前にくっきりと見え、徐々にユングフラウ、メンヒが見えてくる。すごいパノラマだ。山の斜面には沢山の牛が放牧され、カウベルの音が谷にこだましている。おそらく農家から集められたのであろう牛達は、斜面を器用に登りながら草をはむ。だれかがここの牛は足腰が鍛えられると冗談を言っていたが実際そうしたことを言いたくなるような光景だ。写真の中央の山がユングフラウで、左の手前の山に隠れたあたりにユングフラウヨッホがある。またユングフラウの手前のきれいな三角形の山がシルバーホルン。

 (アルプスパノラマハイキング)10時ころゴンドラの終着駅であるメンリッフェンに到着。ここにも大きなカウベルを付けた牛がたくさんいて、ちょっとした演奏会。目を閉じるとインド音楽のようにも聞こえる。直ぐ前にユングフラウがそびえ立つ。きょうの午後あの肩の部分迄行くのだと思うと、感激もひとしお。ここからはハイキングとなる。(写真右は道標の例。このような道標がよく整備されていて、まず道に迷うと言うことはない。この道標で言えば、われわれは写真の右側のゴンドラ駅のメンリフェンから登山電車の駅のクライネシャイデックまで歩いた。分岐の方向の矢印の色は、上級者向けのコースを表しているらしい。)
 今日のハイキングは丘の中腹を這うように作られているなだらかな起伏の中を進むコース。アップダウンはあまり厳しいものはない。ハイキングの途中から三山を雲が襲い始める。休憩場所ともなっている絶景のポイントでは一瞬アイガーとメンヒが顔を出したが直ぐに雲に消えた。ところで、順さんはいつも最後尾だ。勿論ゆっくり歩いているということもあるが、道々の肩に咲く花々の写真を沢山撮っているからだ。これはこの前のハイキングと同様だ。
 後半はだらだらとした下り坂。三山の姿は気まぐれに時に雲が覆い、時にその一つがひょっこりと顔を出す。そして後半も半分過ぎたあたりでようやくすべての顔が晴れ晴れと出揃った。これで満足だ。またしても我々は昨日同様気が狂ったようにシャッターを押すこととなった。三脚を出して記念写真もとったことは言うまでもない。

 (クライネシャイデックでの昼食)そうこうしてだらだら下りも疲れたあたりで、どうにかラストを免れて、11時40分にクライネシャイデック到着。ここは交通の要所だ。グリンデルワルド方向と今一つ別の方向から上がってきた登山電車から吐き出された人々の向かう先はユングフラウヨッホだ。ユングフラウは今見てきた方向からは三山の右の位置する山。その右より(方向とすればメンヒ側)の肩にアイガーのどてっぱらから穴を開けて鉄道を通しているのだ。計画は前世紀からであり、もう終わろうとする今世紀始めには一部完成を見ている。スイス人の計画の壮大さには驚くべきものがある。こういうのを見ていると日本の山なんて総てにこういう施設が出来そうな気がする。(右の写真で、クライネシャイデックの駅は2つの建物の左手方向にある。建物の裏に連なるいくつもの筋はともにユングフラウ鉄道の線路やそのシェルターで、下段の左右にほぼ写真と並行に付いている筋はグリンデルワルドに至る登山電車の線路。これは下山時に利用した。)
 さて我々はそのユングフラウヨッホへ出かけるまでにこの駅で腹拵えをした。場所は駅舎の一部になっているホテルの経営するレストラン・・・と書けば嘘ではないが、まぁ早い話殆ど駅のプラットホームで食べたのだ。そこを利用して我々のような団体客を含むハイキングやユングフラウヨッホへの行き帰りの乗降客に駅頭で机を並べて食事を提供しているのだ。昼食のメインはソーセージ。我々は朝以外はレストランでの食事の度にワインを飲んでいる。今回は当然スイスワイン。日本を旅行すれば地酒を飲むのと一緒だ。しかし今回はユングフラウヨッホ詣をひかえているので飲むわけにはいかない。きつく順さんに止められた。その上、雲上で乾杯をしようとしたのも止められた。まぁ仕方が無いか。

 (ユングフラウヨッホへ)期待に胸踊らせて、13時にユングフラウヨッホに向けて出発。ユングフラウは想像がつくように若い女性と言う意味だが、最後のヨッホは肩という意味らしい。我々は従って若い女性の肩までその体内をとおっていくことになる。最初の停車駅を過ぎると直ぐにトンネルの中となる。ここからは岩盤をくりぬいて作った世界がずっと広がる。途中、アイガーバント駅で停車。見学のため一旦電車を降りて大きなガラス張りの展望窓から外を見る。ここ迄が最初に開通した場所で、アイガーのオーバーハングした壁が見上げると見ることができる。この世のものとも思えぬ光景だ。更に2つ目の見学駅アイスメールでも同様。ここでは氷河が直ぐそばに大きく見えた。が、天気がよければもっとと奥まで見渡せるのだが、あいにくの雲の中状態で、目の前の本のわずかのところしか見ることができなかった。それでも氷河の青白さと割れた部分から伺える厚さに感動した。

 (ユングフラウヨッホ観光)後はただひたすら走るだけで、13時55分にユングフラウヨッホに到着。昨日よりは調子がいいぞと下車の際には思った。元気が良い組とそうでない組とに分かれ、勿論我々は、わずか1時間の見学時間の中で駆け足で3カ所回る元気組に入った。
 まずはスフィンクス展望台へ向かう。エレベーターは一気に100メートルも高い展望台に我々を連れていってくれる。エレベータの速度はかなり早く、新宿の高層建築群のそれと比べても早いと思う。このエレベータは順番待ちになると言う話だったが(最近はあまりそうなる事は無いらしい)、直ぐに乗れた。そして、われわれは肩の頂きに出た。ここはまずガラスに囲まれた部屋の中で見る。雲の中にいるのか周りは真っ白で何も見えない。つまらないなあと思って上に行ってみると展望台があって外に出ることができた。すると目の前にうっすらとメンヒが見えた。それでも圧倒されるような大きさは感じることが出来る。青空の下ならもっと間近に、もっと高圧的に見えるのだろうなとは思ったが、全く見えないよりいい、と思っていたら、やがて雹が振り出してしまった。頬にあたるそれが痛くてそうそうに退散。上の写真は間近に迫るメンヒの雄姿。この後あっという間に隠れてしまった。
 次に急ぎ足(けっこうやはり空気が薄くてやや息苦しい感じがする)でアイスパレスと名付けられた氷の彫刻の部屋へ。長い氷のトンネルの奥にあり、ここでの日本人の見物は千代の富士の氷像。このゆえんはよく判らないが、まぁシャッターは切った(インターラーケンと大津市が姉妹都市になっていることと関係してる?)。そこから出口を目指す。当然といえば当然なのだが、何しろ氷をくりぬいて作ってある道なので、下はツルツルしていて、滑らないように緊張しながら歩いた。一応手すりはついているので、順さんはしっかりと片手、または両手で捕まりながらの歩行となった。が、少し余裕のある則は狭い側道も歩いたりしていた。
 出口を出ると、雪原に出られる場所がある(プラトー)。ここが最後の今回のメニュー。雹のような、雪のようなものがちらつく中、お目当ての薄くしか見えないユングフラウを写真に収める。メンヒもユングフラウもうっすらとしか見えないが、雪の舞う中でそれなりに趣があり情緒的だ。ここでは今年の正月の札幌雪祭りのために買った滑り止めが大活躍だ。おかげで順さんは滑る事無く無事に撮影終了。左の写真の奥にうっすら見えるのがユングフラウ。
 やや時間をあまらして、集合場所へ行くと、建物の全体がとれる場所があるというので急いでいく。帰ってきたらもう集合時間の14時50分だ。帰りも我々は団体客なので指定された車両に乗り込む。またひたすら闇の世界を下り、(別に空を飛んだ訳では無いが)地上へと帰還した。
 ところでユングフラウヨッホには日本語の表示がしっかりとあり、迷うことはない。また、撮影ポイントとして、もっとも日本人だけにだが、日本の昔の赤いポストがある。これは、富士山頂の郵便局と提携しているためらしいが、当然そこから我が家に手紙を出した。1.80CHF。

 (夕食とお祭り見学)夕食は再び駅前の今度はダービーと言うホテルの中のレストランへ。白身さかなのバター焼きがメインで、付け合わせにじゃが芋などがあり、今までの単調さとは違ってフランス風だった。洋なしのチョコレートかけがデザート。
 夕食の後、この町はお祭り会場に変身していた。広場や道路では演奏や出店など、また店先も小さな宴席に変わっていた。おもしろかったのは射的。勿論こちらは洋弓のダーツのようなもの。そして的は、これまた当然ながら人型の上のリンゴである。スイスはウイリアムテルの国と言うことをこの時初めて知らされた(ただウイリアムテルというのは特急の名前にはあっても、名場面を模した土産は我々の見た限りにおいては皆無であった)。
 このお祭り騒ぎは24時までと言うことで、窓を開けているとけっこうな騒ぎが続いていたが、我々は明日のハイキングなどに備えて早々と眠りに着いた。

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