2001年8月17日(金)
  成都→ラサ・ゴンカル空港→ツェタン

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<ラサへの旅立ち>
 今日はいよいよチベット入りだ。モーニングコールが4時にあり、集合の4時40分少し前にロビーに行くと、すでにほとんどの人がそろっていた。そこで朝食のボックスを渡される。ほかの人たちは皆その場で既に食べているので、我々もそれにならってロビーで急いで食べる。昨日の夜から相当水を飲んでいるが、ある種それは信仰に近いものがある。我々も急いで食べたので遅れてきた人を待っている間に食べ終わる。
 4時53分ホテルを出発して昨日降りた成都空港へ向かう。外はけっこう雨が降っている。まだ雨期なのだそうだ。5時20分空港着。我々の乗る便はSZ4401と聞いていて、それが一番早い便かと思っていたら、臨時便があったようだ。チケットを待っていて受け取るとなんとそこにはSZ4403とあった。一便遅れた便になったようだ。つまり、この日3番目の便だ。(右の写真は空港の待合室で寝る子供・・・一夜を明かしたのだろうか?)
 6時25分機内に入る。飛行機は6時40分定刻のところ、6時45分動き出した。離陸は少し待たされて6時55分。7時30分に機内食となる。ご飯がついていて、則には嬉しかったが、四川風なのだろうか順には少し辛くて持て余した。このコースは気流が悪いところを飛ぶのだろう、しばしば機内サービスも中断された。しかし幸いにもそうたいした揺れもなく8時32分に着陸。ラサ空港は小雨模様だが青空も見える天候。

<ラサ空港からツェタンへ>
 なにかえらい人たちだろうか、我々よりも早く着いた一団が歓迎を受けていた。このために我々の便が一便狂ったのかもしれない。まぁこの程度の時間差は許せる範囲だ。歓迎式典を横目で見ながら8時45分空港のラゲージクライムのところにはいる。荷物がなかなか出てこないので、暇な時間に脈拍を計る。順が83で則が84だった。(写真左は歓迎式で、左の方にヤク踊りのヤクが見える。チベットの歓迎はだいたいフィルムなどを見ていても、話を聞いても、コンナ感じのようだ。
 それからバスまでゆっくり歩いていき、しつこいくらいの高山病の諸注意などを受け、歓迎の白いカタをかけてもらったりして、9時30分バスに乗りツェタンへむけて出発。 およそ2時間でホテルへ着くという。バスに乗るとさっそく血液中の酸素濃度?と脈拍の測定期で体調をチェックされる。だいたい順さんのほうが高度順応ができると思っていたら案の定だった。最初に則。最初に計ったら酸素が73しかなく、これは本来低地であれば100に限りなく近い値を示すものなので、深呼吸を3回ほどさせられた。するとその値は見る見る上がっていき、95までになって、何とか合格点をもらう。脈拍は73。順さんは最初から90以上あり、脈拍は77。この旅行社の売り物の機械だ。安全性をある程度客観的に計れることは重要だ。
 そうこうしているうちに10時3分に最初の休憩。ここからは休憩と言っても青空トイレ。15分休憩し、お茶などをもらって再び出発。10時50分から2回目の休憩。15分ほどここも停車し、出発し11時45分にツェタンのホテルへ到着。またチェックインに時間がかかる。致し方がないが・・・。

<ツェタン近郊の見学〜高度順応を含めて〜>
 カギをもらい12時15分にようやくホテルの自室へ。スーツケースをそこで待って、12時30分食堂へ向かう。13時20分まで昼食。
 中華料理のバイキングで、外人向けに作ってあるので油っこさも少なく食べやすかったが、腹6分にしろというお達しがあるので、自重。ここで、多分り尿作用があるのだろうと言う、高山病によく効くという触れ込みの怪しげな飲み物を飲む。甘くて薬臭い感じ。ところで会計しようとすると、この飲み物代も旅行料金に含まれているという。おもしろいシステムだ。ここまでの順さんが計算した水の一人あたりの大まかな摂取量2560ミリリットル。およそ3500mの高地にいるから、3500ミリリットルは飲まないといけないらしい。まだ1リットルは最低とらなければならない。
 再集合の時間は15時で、バスは5分後に出発した。最初に向かったのは、ユムブラカン寺。15時50分に遠望できるところへ着く。奈良時代に建てられた寺であったが文化大革命で破壊されたので、それ以前にイタリア人などが入って調査していたその資料を基に復元が行われたのが現在の建物だそうだ。仏像もすべて新しく、あまり山上まで見学に行く要素はないということで、遠望したにとどめた。少し歩きながらそのふもとも村まで下ってきてバスに再び乗る。16時15分出発。元来た道を引き返し、進む。行きもそうだったが、道は現在工事中でバスは左右に揺れながら難儀をしつつ進んだ。
 タントゥク寺に16時45分到着。ここは中国名で昌珠寺といわれ、その名のとおりに真珠がちりばめられたタンカで有名。70センチ×1メートルほどのそのタンカ(仏画)は、仏様の部分に真珠がちりばめられているが、ガラスケースの中なので、真正面からは見えにくい。更に堂宇が暗いので肉眼ではあまりよく見えない。そこで双眼鏡を持ち出して覗くと、真珠がちりばめられて立体的に浮かんで見事であった。これほどものなら日本でいえば国宝ものだろう。1時間後の17時45分にそこを辞して、18時にホテルに戻る。
 ところで一方の寺は文化大革命で破壊され、どうして他方は残ったのだろうか。建物のほうは定かな説明は得られなかったが、寺宝のたぐいはどうやら疎開をさせたらしい。その昔中国のどこかでも、共産主義第一仏教第二として寺を守ったというような話を聞いた記憶がある。つまりは遺跡化した寺と今日なお信仰を集めている寺の違いであろうか。

<夕食そして就寝>
 18時30分より19時15分まで食事。昼のほうがおいしかったように思うが、やはりバイキングだった。飲物は水を所望し、2本分とも確保。食事後荷物の整理を始める。21時少し前に添乗員さんから健康チェックの電話。まるで修学旅行の子どもだが、こうした配慮はすこぶるありがたい。21時に寝る。
 昼食後から就寝までの水の量450ミリリットル。7時25分健康チェック、順血圧146−83で脈拍88体温36.4度、則血圧140−84で脈拍71体温36.7度。本日の夜の注意。水をたくさん乗み、熟睡するよりむしろ寝不足ぎみになろうとトイレにいくように。そのとき水分摂取と、深呼吸を励行すること。もちろんこの指示を守ったことは言うまでもない。

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