2001年8月21日(火)
 チベット高原ドライブとヤムドク湖

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<文字通りのハイウエイ>
 今日はオプショナルツアーの日。一部の人は解説をしてくれていたIさんとともに尼寺散策の臨時企画で出かけたが、大部分の人はオプションのヤムドク湖を目指した。
 8時36分ホテルを出る。8時50分給油のためガスステーションへ立ち寄り、100リットル給油。356元也。バスは空港のほうへ向かう。9時15分磨崖仏を通過、9時45分トイレタイム。10時5分、軍事橋を渡り、空港へは左折するが、我々は右折しいよいよ山越えの道へ入る。
 10時15分撮影タイム。チョモカルという双頭の山を遠望する。この山はカイラスなどと同様に西山としてチベット人に崇め立てられている山で、やはりすそ野を巡礼をするらしい。このあたりで既に高度は3700メートル、つまりは富士山の頂上付近と同じような高さだとのこと。10時30分そこを出発、5分ほど走るととうとう道はオフロードとなる。これ以降急なカーブや急峻な道が連続することになる。我々のバスは素晴らしく古いので、トラクター以外の車、つまりは同じような形のバスさえにも追い抜かれながら、あえぎあえぎ登っていく。このころになって、一行の一人が車酔いになり、日本からのガイドが連れて通り掛かりの中国語を話すバスに乗せてもらい下山。後で聞くと、単なる車酔いではなく、高山病の初期症状を呈していたらしい。ガイドは内心かなりあせったとのことだった。これ以降、英語もわからない二人の運転手のみのバス旅行となる。

<難行苦行の末のカンパ・ラ峠>
 さらに登っていくと、崖下にタクシーが転落しているのが見えた。この山道ではこうしたことは多分よくあることだろう。また、順さんは足下の土がパラパラと崩れ落ちるのを目にしてビビっていた。さらに途中で泊まっている車に遭遇。どうもエンジントラブルらしい。ここで運転手がしばらく助けに行き15分ほど停車。言葉がわからないので、何とも歯痒い。バスはスタートしたが、既に時間は12時を回っている。我々の車はただでさえのんびりバスなのに、この二つのトラブルでかなり先発のバスに遅れをとる。我々も、この分では帰っても土産物を買う時間もなくなると思った。
 バスはシガッェ方面への分岐近くで、ようやく峠に達した。12時35分だった。先発の車に駆け寄り状況を把握してもらい、ここで15分の撮影タイム。ヤムドク湖が俯瞰できるカンパ・ラ峠のところで、実に標高4750メートル。15分しかないので、われわれは急いで撮影をする。順さんは少し動いても息切れするということだった。則はそう大儀なことはなかった。だが先発のグループの人々は我々を待ち続けてそこに1時間くらいいたので、全員バスの中でグロッキー状態で、後から聞いた話だが、高山病症状が出ていたらしい。

<ヤムドク湖畔の昼食と下山>
 12時50分そこを出発し、湖畔へ降りていく。13時15分湖畔につき、そこで昼食&撮影タイムとなる。昼食のサンドイッチはけっこううまかった。追い払っても追い払っても子どもがやってきてお金をせびったり、また、家族連れの巡礼の一行に会ったりした。湖は太陽の具合で時々色を変える。それがまた美しかった。
 14時25分湖畔を出発し、16時5分トイレタイムをとり、16時20分ようやく橋を渡り、17時磨崖仏を抜け、17時30分ようやくホテルへ戻る。

<バルコルの買い物と夕食>
 ホテルに帰ると、時間が押しているので、すぐにバルコルへ買い物に出かける。ショトン祭に演じたチベットオペラのお面を17元で買う。中ぶりのタルチョを2つ23元で買う。則は面白がって値切っていたが、順さんはもういらないといって帰りかけた。、このあたりが、二人の性格の違いだ。6時20分にホテルへ戻る。明日の朝はまた早いので、荷造りを急いで行う。
 7時からチベタンレストランにて夕食。チベット料理は人々が言うほどには口に合わないということはなかった。ツァンパという麦の粉を焦がしたものをバター茶で練って作る食べ物を、実演付きでやってもらった。地元の濁酒のような酒、チャンも再び味わった。バター茶もいうまでもない。また、チベットオペラも演じてもらって、鑑賞した。最後に新婚旅行の一組みがいたので、チベット式結婚式のまねごとをした。新郎新婦の頭に革製の帽子をかぶせ、歌が歌われた。我々も手拍子を打った。最後に新郎がチャンの一気のみのようなことをして、大演団となった。21時ホテル着。明日早いので、風呂は省略して寝た。

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