第二日目(12月28日・月曜日)
 
■空路、力ッバトキア近郊のカイセリへ。
■着後、カッパドキア観光。ギョレメ渓谷、ウチヒサール、ゼルベの丘など。
■昼食はます料理
■夕食はムード満点の洞窟レストランにて。
 (カッパドキア泊)
○朝

 5時からポット用の湯を作り始める。お湯は220ボルトなので結構直ぐ沸く。これがあれば、寒くても結構快適な旅が可能なのだ。ようやく窓の外に見えるドネルケバブ屋がみせじまいを始めた。もうすぐ夜明けなのだろう。アザーンの声が聞こえる。この声とともに、断食が始まる。といっても、最近の人はあまりやらないのだそうだ。トルコの人はあまり熱心なイスラム教徒ではなさそうだ。結局窓下のドネルケバブ屋さんはその時間(日の出)までしっかり営業していた。終了間近になると、パトカーやタクシーが駆け込みで食べ物を買いに来ていた。

 時計を見ると、丁度職場では今年最後の勤務が昼飯を迎えている時間だ。こうしてまだ開けやらぬ外をそのような感慨に耽ってみていると、何か不可思議な気がしてくる。まだ肌に直接触れぬ国トルコの風は思いの外冷たくはなかった。
 朝食は6時30分だが、その前6時にモーニングコールがある。ツァーというのは馬鹿になるとも言えるが、何にも考えなくいてよいから楽なものだ。もとより人々の暮らし向きまで探るような余裕のある旅などできるはずはないのだから、異論もあろうがこれはこれでよしというか、こちらの自己満足は得られる方法なのだ。

 モーニングコールを受けてから外へ出る。まだ暗くてよく見えないが、悪人にもこちらが見えないという点では夜よりも安全かもしれないなどと思いながら町並みを見て歩いた。ラコステとかリーバイスとかベネトンとか結構メーカーショップがあって、値段もいい値だ。インフレが進んでいて桁数は多いが、人々はそれなりに裕福なのかも知れない。トルコ全体の治安はとてもいいそうだというのもうなずける。それを証明するように、開店前のパン屋の店外には商品がそのまま置きっぱなしになっている。ただ、最近はイラン人などの外国人が多く入ってきて悪さをするそうだ。日本と同じ。ほとんどの人はいい人が多いのに、こうした一部の悪人のおかげで評判が下がるのはいかんともしがたい。
 朝食はバイキング形式。ハムやウインナがあって、是れは何で作っているのだろうと考えてしまった。豚じゃないんだよなあ、イスラム圏だから。あとはチーズやヨーグルト。野菜など種類は豊富だが、淡泊だ。コーヒーはインスタントみたいだと則は言っていたが、順さんは結構満足。


○カイセリへ

 さていよいよ今日からトルコ国内の旅が始まる。まず今日はのっけから空路移動。カッパドキア近郊のカイセリまで飛ぶ。出発の際にトラブルがあってバスが15分遅れでホテルを出る。途中左にアガサクリスティーが泊まっていたという緑色のホテル、右手には金角湾を見ながら走る。ただ残念ながら靄っているのであまり良くは判らない。(最後の日もやはり飛行場へ向かう途中に金角湾をみたが同じようだった。)道路は比較的スムーズに流れていた。
 国内線のビルに入った途端に荷物と人間のセキュリティーチェック。まずビルに不審なものを入れないという寸法なのだろう。入国の際の気楽さとはうって変わって緊張の一瞬だ。ボーディングパスを受け取ってからこれは他の空港と同様のチェックもある。切符は2枚渡されたが、飛行機まで誘導するバスの手前で1枚の半券以外はとられてしまった。飛行機は3−3の6列で、順さんは当然のようにまたもや窓側を占めた。

 9時35分離陸。窓から外を眺めると低い山ではあるが、その頂上付近は雪がかぶっていた。やはり大陸内部は冷え込んでいるらしい。機長の報告はよく聞き取れ無かったが(我々の英語力の無さ)カイセリの気温は1度と言っていた。かなりの寒さは覚悟して結構厚着をしていたので、大丈夫だと思うが、機内の暑めの暖房で汗をかいた。9時45分くらいから機内サービスが開始された。

 10時に軽食が出る。チーズ入りのごまパンとチョコクッキー。1人分を食べて後は非常食としてとっておくことにした。いつものことだが、これで結局は残して持って帰ることになるのだ。食後はお決まりの昼寝タイム。10時55分に無事カイセリ空港に到着。この空港は軍民共用空港ということで、写真は控えるように指示される。が、そんなことを黙って素直に聞く則でないことは言うまでもない。民間用のターミナルビルは出来立てで新しく、これから店舗などの整備をする感じ。

 11時10分カイセリ空港からバスに乗り込む。このバスでこれからトルコ西部をぐるっと回ってイスタンブールをめざすのだ。
 1時間半くらい走ると昼食場所のアバノス(?)の町へ着く。レストランというより、昔の建物を利用した重厚な感じの所だ。私たちの部屋には、羊の毛を剃るはさみがたくさん飾ってあった。今日のメニューは、野菜のスープ、じゃが芋のオムレツ、鱒の空揚げ、そしてデザートと内容豊富。さらにワインフルボトル1本を空ける。250万TL。細かくしようと500万TLを出したら、最初は小さいのを出せといっていたがそのうち待っていてと、お釣りを持ってくる。受け取ってよく数えてみると、100万TLと50万TLと10万TLだった。さっそく文句を言って10万を100万に変えてもらう。やるなぁトルコ人も。これも、バルシュさんのよーく注意をという忠告のおかげだ。でも、のっけからのこの洗礼は、その後否応なしに桁数に注意を払うこととなる。

 ここのトイレは無料というので使わせてもらう。入り口のところで本を売っていたので、「トルコ」「カッパドキア」の2冊を20$で購入。本当は8$と12$で22$だったのだが、早速則の得意技が発揮されたのだ。その後、いよいよカッパドキアへ。


○カッパドキア

 まず、妖精の谷というところへ。ここにはあの有名なラクダ岩があった。ほかにもマリア像とか説明してくれたが、規模の大きさ、自然のまか不思議さに圧倒されて「すごーい、すごーい」の連発で細かくは覚えていない。

 それからゼルべの谷へ。人が住んでいた様子がよくわかる所もあって、関心しきり。何しろ岩の形にも感動するが、人の住みかという穴にはもっと感動させられる。必要に迫られてのことだが、人の工夫というのはすごいものだ。ここで。則はお土産を買う。例の目玉。10個3000円と言うのを10ドルにまけさせた。しかも1個のおまけつき。ただ、こうも簡単に値を下げると元値は?と聞きたくなってしまう。おもしろかったのは、売り子の少年の着ていたナイキのトレーナーをほめたら、それも売ると言うのだ。ついでに履いていたナイキの靴もと言うのには参った。現金に勝るものなしというところか。それでも、観光の時期からはずれたせいかあまり物売りはいなかったし、またヘキヘキするほどにはしつこくもなかった。

 次にギョレメ。ここは野外博物館となっていてカッパドキアでただ一つ有料。375(則の記憶では1年の数の365)もの協会があるとかで、その中からリンゴの教会、蛇の教会、聖バルバラ教会、トカル教会などいくつかを見た。残念ながら、最も有名だと言うカランルク協会(暗闇の協会)へはいかなかった(ちょっと離れた上にある)。いずれも内部に見事なフラスコ画が描いてある。岩の中にあんなにきちんとした建物と言えるようなものを造るのにも驚いたが、そこにまた絵を描くというのにはさらに驚かされた。ただ形を造ればいいというのではなく内面にまで心配りをするということに、信仰の強さもだが、余裕さえ感じる。かなり高い天井まで描いてあって、どうやったのだろうと関心しきり。それにしても、イスラム教徒であろうガイドが、キリスト教について詳しく説明するのには、仕事とは言え何やら不思議な気がした。が、本来のイスラム教はこういう懐の深さがあったのだ。(フレスコ画は保存のため現在は撮影禁止になっている。フラッシュを焚かなければ構わないのだが、それが守られないので結局撮影禁止となったそうだ。)

 ここを見終わってからウチヒサールヘ。ウチヒサールは要塞と言われているところだが、ここも同じようにすごい。山と言ってもいいところのかなり上のほうまで人のすんだ跡が残っているのだ。ここで敵と戦ったらしいが、さすがにあそこまでは攻めてこれなかったろうと思わざるを得ないようなすごいところだ。が、人々もどうやってあの中で生活したのだろう。下から上まで行くなんて考えただけでゾッとする高さ。その高い岩の山の頂上にはトルコ国旗がはためいていた。上る人がいるんだなあ。

 最後に鳩の谷へいく。鳩の糞はいい肥料になるとのことで、鳩の住みかを作って鳩に住まわせるようわざわざ岩に穴を空けているそうで、無数にあった。そこからどうやって糞をとるかは聞き損ねた。
 飛行機からもきれいに見えて、則がアララト山だと馬鹿なことを言ったエルジェス山がとてもきれいに見えた。なにしろ雨の予想が大外れで快晴の真っ青な空なのだ(則が事前に調べたインターネット上の天気予報では雨だった)。気持ちいいい。最高だ。


○岩の中の生活

 おまけがあった。今も岩の中で生活している人がいるので、そこへ行こうと言うことになって訪問した。貧しい老夫婦を想像していたが全くの検討違い。カローラ(この国で一番安い乗用車はカローラなのだそうだ)を乗り回し、内部には電気製品はもちろん、電話やテレビもあって、何ら普通の家と変わりはない。むしろ空間をうまく利用してきれいに飾り立てていて、しかも展望は素晴らしく、かなり文化的な生活をしているのでびっくりした。図々しくベッドルームまで入っていったが、いくつもの植木を並べ壁やベッドの周りは刺繍で飾って、とても60過ぎの夫婦の部屋とは思えないほどきれいだった。お礼の代わりに何か買ってくださいと言われて、則は気分がよかったのか、人形を買う。2ドルなり。見学はまだ終わりではなかった。


○陶器製作

 次に訪れたのは陶器の製作所。一通り作り方の実演を見せてもらってから販売所へ。日本人が多いと見えて、販売員は皆日本語で応対していた。その数も多くて、1組に1人つくと行う台湾方式だ。結構しつこくすすめられたが、買わずに出る。ホテルに入ってから出直すと時間のロストいうことで、やや早いものの夕食の場へ直行する。


○洞窟レストラン


 洞窟レストランということで、ひなびた薄ら寒いところを考えていたのだが、中は全く普通の店と同じ。明るくて暖かくてきれいで。中央にステージらしきものがあり、その周りを客席が取り囲むように造られている。が、今は昼なので何もやってはいない。洞窟レストランはこの店だけでなく結構あるようだ。本日のメニューは、野菜スープ、茄子の鋏上げ、洞窟の名物と言うじゃが芋と肉の煮込み、デザート。デザートはメロンとライスプリン。もちろんワインは1本。250万TL。


○補足

 今日の記録のほとんどは、実は順さんで克明にかいているが、私はそんなに記憶をしているわけではない。いくつか記録の注釈や補足などをつけたが、2つだけ別記させてもらう。人形を買ったが、これは酔狂で買ったのではない。わが家と言うか順さんが独身時代から続いているのだけれども、最初はキーホールダーのようなものを集めていた。それを家を新しくしたのを機に、階段の回りの壁に飾っているのだ。たとえば人形で言えば津和野の和紙で作った1メートル弱の人形がある。階段の壁はだから旅行の思い出で一杯なのだ。
 それと台湾方式って言うくだりがあるが、夫婦が最初に海外へ飛んだのが台湾で、そこでツァーのお決まりのような(まぁこれでバックマージンを取っているのだろうからその分旅行がお安くなるのかもしれないので文句をいいべきではないのかも)バスで横付けされて1時間くらいそこでの買い物となるパターンをこう呼んでいる。台湾に悪いかな。


○ホテル

 さて洞窟レストランから30分ほどで今夜のホテルに到着。ハマムもあるが、明日の方がいいということだ。則はその気になっている。部屋は広い。バスルームも広い。暖房も効いている。ただ、ベッドが小さくて堅い。

 今日もインターネットは繋がらず、その上数々のアクシデントが発生した。モバイルパソコンとノートパソコンとMOドライブをつないだら、MOドライブのアダプタから液が漏れたのかブシュという音がしてあえなく昇天。回復せず。調子よくデジカメで撮ってきたが、明日からは枚数をひかえないとならないか。とりあえず、データはノートの空き容量のあまり無いハードディスクに保存。しかしあまり余裕が無いので、結構大胆な作業が今後必要になるかも。その上、デジカメ用の充電池の充電機もおかしくなる。ABに分かれて2本ずつ合計4本いっぺんに入るのだが、結論的にはどうもBのランプの故障のようだ(これはランプの故障ではなくBの方は全く充電ができなかった・・・翌日実際に撮ってみて判った)。不安を残しながらデジカメの電池を充電。これは翌朝の話だが、朝の4時の中東向けのラジオジャパンもうまく入らない。どうも則の画策しているトルコメニューはことごとく外れている。その分順さんのほうがラッキーだったらいいと思う。そう願うばかりだ。

 もう一つ。まるで修学旅行の(実際のところ卒業旅行だったのかもしれないが)のように大声で廊下を走り回っている若い日本人女性の一団(別のツァー)があって、9時ころ結構うるさかった。ホテルの利用法くらいまず日本で勉強してから来いと言いたいところだが、そういえば修学旅行でもホテルに泊まっても学校側は走るなとか他の客の迷惑をかけるなと言う当然注意はするが、ホテルという所はどういうところで、どのように振る舞わなければならないのかは教えてはいない。「馬鹿者!」と自室で二人でそっと怒鳴っていた。あぁ恥ずかしい日本人。
 
☆ 本日のホテル ディンラー(★★★★)(カッパドキア)
ハマムあり。地下1階。300万TLか10$。マッサージは+10$。チップ2〜3$。9時までは男女一緒。9時からは女子専用。三助は男。
エレベータのドアは手動式(乗るとき開けて乗る。降りるときもさっと開けないと動いてしまう。)
 ◎部屋番号  314