第3日目(12月29日・火曜日)
 
■絨毯製作実演、地下郡市カイマクルを見学。
■昼食はケバブ
■昼食後、シルクロードを通り、コンヤヘ。 
■コンヤ市内観光。メブラーナ教の神学校跡、メブラーナ博物館を見学。
(コンヤ泊) 
○朝

 5時15分過ぎアザーンが流れる。祈りの時だ。モーニングコールは昨日と同じ6時。朝食とバゲージダウンは同じ6時45分。出発は7時30分。昨日のことがあるので、例の若い女性のツァーと一緒にならなければと念じて朝食のレストランへ行く。
 朝食の前にホテルの外へ出てみると、うっすら駐車中の車の屋根に雪が積もっていた。海抜が高い所にあるので、結構寒い土地なのだ。今年初めて触れる雪に、順さんはやや興奮気味。道路まで行って写真を撮る。
 朝食はパンとサラダとチーズ類が中心のバイキング。順さんはパンがおいしいと食べていたが、このスタイルになると則は苦しい。ただ野菜がパサパサしていないのが救い。


○3人の娘岩

 今日はまず3人の娘岩(7時45分〜7時55分)を見ることから始まる。
 雪化粧したカッパドキアという写真も何度か見たが、実際にそれは結構幻想的な世界だった。昨日とはうって変わった景色で2度おいしさを味わった気分で。が、順さんは雪の上を歩くのは怖いと言って則に手を引いてもらっての安全歩行。おかげで上から見渡す限りカッパドキアの風景を満喫した。3人の娘岩というのは、例のカッパドキア独特の円錐の上にレンズ状の岩が載っているスタイルのものが、3つより添っているもの。出店を出している人たちもいたが、あまりしつこくはない。スカーフ2枚で千円、セーター2千円が売り物らしい。天候はその後徐々に回復傾向で、ついてる。


○絨毯や。(8時10分〜9時40分)


 絨毯の協同組合のようなところに行った。ここは新潟県柏崎にあるトルコ村のスポンサーでもあるらしい。絨毯は見事であったし、値段もかなり安く感じた。といってもいいなと思えば5万円を下らない。10万20万が普通とあってはなかなか手もでない。おまけにいくらトルコとの友好のためといわれても、置く場所に欠けるわが家にとっては残念ながら興味を引くにとどまるものだった。
 ここの中心人物(この人は大学で日本語教えたり、様々な活動をしている人で有名な方だそうな、例のトルコ風呂という表現を政府に変えさせたのもこの人らしい)の言葉がいくつか印象的だった。第一は、絨毯を織る織り子をヨーロッパ諸国は未成年者に労働させると非難するが、3・4才から覚えて15才くらいで一人前になり20才少しでもう第一線からは退かなければならない(若いときの器用さと目の良さはそのくらいが限度ということ)のに、18才からではだめだという話。やはり文化の押し売りはよくないというか、鋭いところをついているなぁと思った。第二にはトルコの文化を知っている日本人より日本のことを知っているトルコ人のほうが多いということ。第三は、私たちも日本に行けば何万もの着物を買うのだから、トルコ日本の友好のために絨毯を買ってくださいというひとこと。筋は通っている。彼らだって着物など使いはしない。だが着物を買えという日本人はいないことと、絨毯を切望している日本人はいないというところが問題なのだろう。



○カイマクル(10時15分〜10時45分)


 この巨大地下都市のほんのさわり部分を見学した。地下8階まであるということだが、現在4階まで公開している。ここは貯蔵庫、ここは教会と説明されればそうと知れるが、いわば幾層にもくりぬき連結された洞穴の結合体。その通路は狭く、縦横に結ばれている。とても一人では回れないが、矢印がきちんとしているので横道にそれない限り大丈夫。とにかく狭くて腰をかがめてやっとという状態の通路、日本人の背の高さでちょうどという高さの天井の部屋で、2千人もの人が生活していたというのだからすごい。足の踏み場もないくらい狭かったのだろう。が、攻撃から身を守るためには我慢せざるをえなかったのだろう。沖縄で見た塹壕のようなものと思えばいいかな。


○昼食


 シルクロードを走る。これでシルクロードを走る我々の経験は3度目か4度目くらいになるのだろうか(中国・パキスタン・ウズベキスタンで多分経験したと思う)。喜多郎のシルクロードの曲に乗せながらバスはアジアハイウエーをひた走る。シルクロードというと砂漠にラクダというイメージ(私だけ?)だが、ここは違う。やや荒れた土地を通過しているかと思うと、採り入れが終わった畑が現れ、やがて集落を後ろにやり過ごす。東洋と西洋の接点イスタンブールへ向けて。ときおり雲の切れ間から白い姿のハッサン山が顔を出す。

 昼食はアクサライという町のドライブインで12時から13時まで。またワインを飲む。250TLは同じ値段。本日のメニューは、レンズ豆のスープ、サラダ、ピラフ、ケバブ(といっても筋肉の煮込み)とデザート。ミネラルウォーター付き。ケバブは味は悪くないが、醤油をかけるともっと口に合う。肉の煮込み料理ではその煮込んだスープはほとんど提供されないのが不満。そこにおいしさや栄養があると思うのだが。ワインは薄口というか、どうということの無いもの。

 食事のあと30分程度走ってスルタンなんとかという町で、キャラバンサライ(昔の隊商宿)を見学した。夏と冬は別々の建物になっており、また中央にはモスクもあった。夏場というところはただ屋根があるだけのものだが、強盗から身を守るために堅剛な壁に囲まれてガードはしっかりできている。高い壁の上には、見張りも出きるように階段で上れるようになっている。既に上っている人がいて、則もそこへ行きたがったが、現存しているキャラバンサライの中では保存状態がもっともよいものの一つということだ。14時に出発し、コンヤに向かう。


○コンヤ


 コンヤについて最初に昔のカラタイ神学校後を見学した。スペインなどの神学校を見てきたので、古いものであることはわかるが保存状態が今一つで興味をあまり持てなかった。古いタイルも展示されていたがこちらもいまいちピンとこなかった。早めに外へでると、町は喧騒の中。それもそのはずで、ここはトルコで6番目に人口の多い都市なのだそうだ。車はクラクションを鳴らして走り回り、人の数も多い。電車もひっきりなしに走っている。なのに、女の人はほとんどがイスラムの装束。敬虔な宗教の町といっていたが、まさにそのようだ。それにしても、なぜ女子だけなのだ。イスラムの世界は・・・

 次に踊る宗教の創始者ともいうべきメブラーナの墓のあるモスクへ行った。彼は人間主義というのか、平和主義というのか、そうした教義で知られた人だということだ。「カムカム、みんなおいでよ」という彼の詩にその考えが表されている。その息子が踊るという部分を始めたらしい。ホテルでショーをやっているというので、夕食の後、それを見に行くことにした。一人25ドル。

○ホテル

 ホテルへは4時半過ぎについた。早いので洗濯をして、6時半の夕食時までのんびりと過ごした。ホテルは結構よくできているし、サービスも行き届いている。ただ昨日のホテルもそうなのだが、ごみ箱が洗面所にしかないのは旅行中でごみを出したい身には少し不便。

 夕食はバイキングスタイルで、まぁのんびりせかされる事無く食事ができた。ここでもワインを飲んだが、少し値段が上がって300万TL。

 その夕食中に今夜のメブラーナのショーは混んでいるという情報を受けて、早めに会場へ行く。おかげで、2番目3番目だったので、真正面の席を占めることができた。ショーは8時45分から9時26・7分まで行われた。最初に儀式めいた挨拶が何度も交互に交わされた後に、踊り手となる僧侶(?)の一群はおもむろにそれまでの黒い僧衣を脱ぎその下につけている白いジャンパースカート状のものになり、回転を始める。始めは腕を交差させるようにして肩に手をやっており、これは生まれる状態を表しているという。また白い装束は死をそしてその頭上の帽子は墓場を表しているという。これはまた輪廻転生の過程をも示してるので、手はやがて広げられ、右手の平を上向きに、左手の平を下向きにして回転をし出す。この手の所作は神や他人からのみ恵みをうけ、それをまた後輩に引き継ぎ与えるということを表現しているとのこと。とにかくすごい回転数で踊る。というか、回る。この所作を3回ほど繰り返して(多分このことも輪廻転生という人間がたどる道筋を示しているものなのだろう)、ショーは終わった。ただひたすら5人の男がスカートの裾をなびかせて回転するだけの踊りである。まぁこうして回転することで、無我の境地というかある種の宗教的催眠状態になるのであろう。あるいはその回転のさなかに彼は神を見いだすのであろうか。

  途中眠気を我慢してみていたので、終わったときにはほっとした。そういえば、観客の総棟数は居眠りをしていたし、途中で退場する人たちも目だった。これもメブラーナのマジックか。直ぐ部屋に帰って、入浴後10時過ぎに就寝。ハマム体験はやめ。
 
☆ 本日のホテル ドゥンダール(★★★★)(コンヤ)
  フロントは0階、24時間両替OK。
ハマムあり。地下1階(−1階)。サウナ・垢擦り・マッサージ付き20$(TLか日本円でも良い)。チップ2〜3$。9時までは男、9時から12時までは女子専用。三助は男。
メブラーナのショー。地下1階。25$。8:45〜9:30。禁煙、カメラのフラッシュや拍手は禁止。
街の治安は良くないので夜の外出は禁止。
 ◎部屋番号  1408(4階・実質5階)