第二日目:2002年12月26日(木)


○長い長い飛行機での移動〜CDGへ
 日本時間で日が変わってようやく食事が出た(0時45分・ビーフとサーモンのチョイス)。簡単にすませて、後は爆睡、といきたかったが、あいにくと後ろの席に幼児二人を連れた母親がいて、これが子供のしつけが悪くて大きな声で話すは暴れるはで、そうはいかなかった。それでも、時間は少しずつは進んでいく。そういえば、この飛行機には、座席毎の液晶がないので、楽しみにしていた映画が見られないのも時間が長く感じた理由の一つでもある。01時10分、隣の人がトイレに立ったのでついでにすかさず、トイレ&体操。以降フランス&チュニジア時間。
 3時30分、ライトが点灯されて朝食。遅れたにもかかわらず、定刻4時35分のところ、04時20分にCDG(シャルルドゴール・パリ国際空港)着陸し、40分には機外に出ることができた。

○CDGからチュニス国際空港へ
 CDGでは4時間弱のトランジットタイム。6時まではエールフランスのサービス軽食がとれるというので、Fゲート内に一旦朝食券を見せてセキュリティーを通り入る。クロワッサンとカフェオレを摂る。Fは日本便発着のターミナルなので、日本語で書いてある。まぁ簡単だ。そのあと出発ロビーに移動してそこでしばし休憩し、再集合場所へ行くと、もう揃っていたようで、つまり我々も遅れたわけではないが皆早く時間をもてあましていたので集合していたのだろう、集合するとすぐにB2ターミナルへバスで移動。そこでゲートを確認した上で、再度解散。ターミナル内をふらふらして、チュニジアの地図を購入。約7$。

 ベンチで時間をつぶしていると、添乗員さんがもうゲートがオープンしたよと知らせてくれたので、ゲートに並ぶ。ゲート内のソファーで再び待ち、07時40分搭乗。添乗員氏の配慮で通路側となるも、またまたダブルブッキング騒ぎで結局窓際の席へ(28A・B)。8時25分に離陸。ところでCDGに着いたときから相当雨が降っていたのだが、やはり気流が悪いようで、シートベルトサインは点灯しっぱなし状態。機内ではその状態でもまたまた食事が出る(09時10分)。おなかが空いていないといいながら、またまた食べる我々だった。10時34分着陸。(写真はチェニスの空港)

○空港を後にして
 空港では若干のトラブルがあった。まぁ遅延の可能性を考えると、許容の範囲ではある。空港での出発の際に書いた私たちの疑問が、ここで実際にはトラブルになって現れるとは想像をしなかったわけだが、この会社のトランシーバー説明のための機材をツアー参加者全員分一括して添乗員が持っていたために、空港で引っかかったのだ。向こうもたいしたものだ。よくわかったと感心させられる。この時点では多分悪くて没収、良くて帰国時に戻って来るというお咎めになるのではないかと思った。
 トラブルの処理におわれている添乗員を残して我々は空港施設へ移動し、そこで両替をする。両替屋は5軒くらいあって、少しずつレートが違う。皆が並んでいるところよりも良いレートの所があったので、そこに移動して順さんが5000円、則が1万円両替する(11時30分ころ両替:レート1,000円が10,973D)。いずれお酒に消えてしまうお金である。空港の外に出て、しばらく歩いて駐車場からバスに乗る。我々は、この時点で添乗員はおらず自由席状態だったので迷わず最後部の座席へ。ただし、一番最後部は狭かったのでその一つ前へ。バスはお世辞にも綺麗とはいえないバス。でも腐っても鯛、いやベンツだから、パワーは大きいと見た。基本的には運ぶ道具だから、動かなくなる方が心配だ。実際かつてそうした経験が2度あるから。
 まぁそうこうしながら、戻ってこなかったワイヤレスイヤホンを空港に置いたまま、我々のバスは空港を後にした。12時00分、バス発。天気は晴れだがこの後観光に差し支えない程度一時小雨。気温18度。日本からの格好では相当暑い感じ。

○ウティカ遺跡
 空港を出て程なくしてバスは高速道路に入った。チュニジアには2つの高速道路があり、この道はそのうちの新しい方。CDGで買った地図にはまだ予定線になっている。最初の見学地はウティカの遺跡。追々チュニジアの歴史を勉強してゆくことになるが、チュニジアに人間が有史という意味で住み着いたのは紀元前10世紀つまり今から3000年前にまで遡ることが出来ると言うことだ。ローマとの間に繰り広げられたポエニ戦争のことは勇将ハンニバルの象に乗ったイラストとともに学校でも勉強したと記憶している。そのポエニ戦争が起きる前、この地にローマと戦ったカルタゴのフェニキア人と同じ人種の人で、ウティカの街は作られていた。遺跡の規模はそう大きなものではないし、発掘もそう進んでいるわけでもなく、既にユネスコの発掘チームは退去し現在はアメリカの発掘チームが(感じとしては細々)発掘を継続していると言うことだ。しかしながら年代を考えるとそこにあるモザイクは風雨にさらされながら今日まだ十二分に美しさをとどめている。12時40分、ウティカ着。
 ここには最初にはフェニキア人がいたが、彼らが作ったモザイクは素焼きの世界のものであった。その後に入ってきたローマ人が作ったものは、細かな陶器?による丁度点描画のような形のものと、現在のタイルの床のような形のものの二種類を見ることが出来た。おそらくは、大きな石(大理石)を使うものは裕福な邸宅のリビングや寝室に置かれたのであろう。またここでは墓も見た。墓はおおむね石を組み上げた石棺で、フェニキア人のそれは低い位置にあり、その上にローマ時代のものが層を作り形で作られていた。つまり墓地は代を引き継ぎ墓地のエリアだったということだろう。たぶんすべてての観光客にそうしているのであろう、ついてきた管理人がもったいぶって小屋を開けてくれて、この時代の少女の埋葬遺骨を見せてくれた。解説では、墳墓は質素だから下層の人の骨だろうということだった。さすがにローマ人も墓場までは破壊しなかったと言うことだろう。13時20分、ウティカ発。

○昼食(13時50分〜オリーブ畑で羊のバーベキュー。14時40分、昼食終わり。)
 ウティカ遺跡から程なくして、オリーブ農園の中に臨時にしつらえた昼食場所へ。このあたりはあまり観光客も多くはなく、適当なレストランがないためなのか?オリーブ農園のオリーブの木は丁度収穫を終わったところのようで、実はほとんどなかった。またそのすべてが相当の老木で、現地のガイドさんの話では1500〜1600年前という木々だとか。それは少しあやしいきもするが、皆ローマ時代からの木だといっていた(後からどうも本当にオリーブは長寿の木らしいことがわかってきた)。根本は殆ど割れているからいずれにせよ相当の古木であることは確かだろう。そこでチュニジアンサラダと羊肉のバーベキュー。現地のアトランティスという旅行会社のスタッフが用意してくれたもので、素朴なおいしさがあった。この時点では皆結構食事の量を食べていた。チュニジアンサラダと現地の人がいっていたのは、野菜の細かく刻んだものをあえてあるもので、この時点でも相当のオリーブオイルがかかっていると思われるものに、さらにオリーブオイルをかけて食べるというもの。それからナンのようなこれもチュニジアのパンという触れ込みのものを食べた。焼きたてで美味であった。

○イシュケウル国立公園
 昼食後、バスは日没時間と競うようにしてイシュケウル国立公園を目指した。日本よりも緯度が低い分朝も遅いが、夕刻も訪れる時間が早いということなのか。なんだか暮れる時間が早いような気がするが、気のせいか。鳥がいなくなってしまう・・・と我々は思う。そう、この公園はラムサール条約にも入っている公園で、チュニジア唯一の貴重な自然という意味での世界遺産となっているところ。元々王家の私有地であったために、開発の手から免れ、手つかずの自然が残っている地域。日没時間頃に公園域にはいる。
 遠くにバッファローの群れなどが見える。16時20分、バスは公園入口からさらに奥へ進むが、かなり急峻で狭い道を進んだ。ハマムのあるところでバスは停車、そこから階段の道が高台に通じている。高台には小さな博物館もあった。そこからはイシュケウル湖が見渡せ、残されている自然が堪能できる。しかし楽しみにしてきた鳥はいない。風景を楽しんだ後バスへの道をとぼとぼと失意のうちに下りる。バス再乗車17時丁度。そこからは一路1時間半をかけて再びチュニスへ。18時30分ホテル着。最初のチュニジアの夜。

○ホテル
 ホテルはAbouNawasTunisというホテル。まぁヨーロッパ風のホテルだ。
 ホテルの電話から、内線でインターネットが出来る。いくらなのか料金は定かではないが、チュニジアにもそうした流れが来ているのが実感できた。客室で今ひとつ気がついたのはメッカの方向を示すシール。これまで回教国をいくつか旅してきたが、こうした心遣いは全く気がつくことはなかった。チュニジアが回教国の中でも観光国であることを示しているのか、はたまた我々がこれまでに止まってきた他の国のホテルは非回教国の為のものだったのだろうか。
 夕食は7時30分より、ホテルの中のイタリアンレストランで。しかしながら同じテーブルの人たちは、出された食事を殆どといって良いくらいに食べなかった。疲れているのだろうか、それともあまりにも脂っこいものばかりで食傷気味なのだろうか。ワインを例によって飲んで気勢を上げていたのは我々だけだった(ワインボトル MAGON 赤 17D)。食事はイタリア料理ということで、前菜(卵とチーズの揚げ物)に魚のフライのメイン、それにデザート(ヨーグルトアイス)。8時30分食事終了。
 部屋に戻り、荷物の少し整理をして風呂に入って、21時30分就寝。則も順もすぐに寝入った。


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