第三日目:2002年12月27日(金)


○起床・朝食・出発
 順は1時頃一回目をさまし、水を飲む。起きてから則は日記を書き始めた。その後にそれを順さんが引き継ぐ。則は体温が高く、朝食後に風邪薬を服用。順も咳止めを飲む。6時30分になったので、朝食を食べにいくが、我々のグループはまだ誰も来ていなかった。7時まで朝食後部屋に戻り荷造りをする。7時40分頃荷を部屋の外に出す。前後して今日の予定を復習。
 バスは少し手間取って(結構トラブルはあるものだ)、8時43分に出発。

○バルドー美術館へ
 10時13分、バルドー美術館に着く。バルドー美術館はモザイクの美術館だ。ここでモザイクというのは、基本的には床のタイルの装飾を言う。様々な主にローマ遺跡から(中にはそれ以前のものもある)持ってきたモザイクを展示している。もちろんそのうちの美しくて小型のものは壁面を飾っている。遺跡から写真を撮り、その上で1メートル四方に区分けして持ってきて再構成したのだそうだ。おびただしい数のモザイクだ。そのすべてが見事な出来だ。

 ガイド氏はここでなんだかモザイクの値段を強調していた。おそらくは古美術として一部流通しているのだろう。なんだか金銭的な説明があった。曰く、モザイクの価値は大きさではなく、そのモザイクの構成要素の細かさにあると。まぁそうだろう。昨日も書いたような気がするが、それは早い話点描画の世界だ。床にあるものをそうして見る訳ではなかったであろうが、今となっては立派な(骨董的価値ももちろんだが)芸術品だ。それは壁面を飾るにふさわしいものだ。こうしたものは職人によったのであろうが、その地位はいかばかりであったのだろうか。後世の画家のような立場だったのか。
 上の写真はサタンのそれだが、このように小さな写真にしてしまえば、もはやそれは絵画といってもよいレベルで見えることがわかるだろう。順さんが写っている写真の背景にあるものはかつてこれも床にあったであろうが、まるで絨毯のようにも見えてくる。

 この美術館はじめ、おしなべて写真撮影料を払えば写真撮影が可能だ。チュニジア中我々が訪れたところはすべて1DでOK。フラッシュも使えた。ビデオも一カ所を覗いてあまり堅いことを言わず、カメラとともに使っても1D以上払わないですんだ。もっとも入場券や写真の券も素っ気ないもので、バルドー美術館の場合でも、別にバルドー美術館の所蔵品が描かれているというようなことはない。11時23分まで見学。CD−ROMを買う。

○メディナ(旧市街)散策と昼食
 メディナと呼ばれる旧市街を持つ都市は少なくとも1000年以上の歴史を持つ街だ。それらは一般的には城壁に囲まれた、外的からまた身を守る機能を持つ都市でもある。しかしながら、チュニスのメディナはマグレブではモロッコのマラケシュに次ぐ規模を誇りながらも城壁はない。これは持たなかったのではなく、第二次世界大戦中にドイツ軍がここを占領した際に、連合国側の米英が城壁を破壊したためで、その意味でもチェニスのメディナはかつてそこが堅固な砦を持っていたという意味で、世界遺産に登録される価値のあるものであることがしれる。11時40分メディナ到着。
 最初に帽子と香水の店を見る。だいたいメディナの店は一つの店が一つの商売だかろうから、完全に観光客向けの店だ。帽子というのはいわゆるトルコ帽風のもので、この作り方は羊毛で作った帽子を熱湯に長時間(17時間と説明あり)浸けて、いわば縮みあがらせて作るというもの。その後整形をしてあの形が出来るという。トルコに行ったときには、もうあのような帽子をかぶる人はいないし、あれはアラブの帽子だという説明だったが、実際にここではある程度の年配の人々はかなりの割合で赤い帽子を頭の上に載せている。
 それからグランドモスク(金曜日なので礼拝中で観光客は中に入れない)の脇の少し広い、観光客相手の店の前で解散となり、30分ほどの自由時間。帽子を買おうか買うまいかっっまよったが、結局買わなかった。その後少しメディナの中を散策した。勿論メディナの中の道は迷路であり、観光客の我々は一旦足を踏み入れたら出るのに難儀をするであろうと思われるものではあるが、マラケシュのような雑然とした状態のものではなく、また大きな広場を持つわけでもなく、整然としており、今日もなおそこが人々の生活のための場である要素がよりいっそうに強い街であった。12時30分に再集合して、それから我々はなんだかぐるぐると回った気がするのだが、あちこちの路地をぐるぐると引き回されて、そうこうして、かつて裕福な人の家だったと想像される一軒のレストラン(チュニジアコース料理「ラマハッタン」)に12時43分入る。
 ここで私たちは最初にサラダの盛り合わせを食べ、たたいたビーフを煮込んだもの、フルーツの盛り合わせという内容。またまたここでワイン1本を飲む。ワインはマスカットという白が出てきた。現地のワイン。それからバスに戻り、13時57分、一路ケロアン(カイロワン)へ向かった。

○ケロアンへ
 ケロアンへの道はおよそ2時間30分。
 国道を少し走ったところで、道の脇を2本の水道管が走るのが見えるようになる。ザグーアンという山の中腹を水源とし、そこからチェニスまで直線距離では50キロほどを結ぶ現代の水道。そしてこの水道にも使われているのが、かつてザグーアンからカルタゴまでを結んでいた水道の水道橋。チェニス付近でも見られたがその距離実に120キロとか(途中主要都市を通っていくのでこの距離になる)。その比較的保存されているビューポイントで写真を撮る(14時40分より約10分)。しかし普通はこうした場所には物売りや子供が集まってくるものだが、誰もいなかった。国道沿いでかなり往来が激しいせいもあろうが、少し不思議だった。
 上から二段目はこのツアーのガイド役をしていた守屋寿人によるイラストで、その知多の写真はこの水道橋の源になっている、つまりは水源地のザグーアン山を遠望したもの(順子作品)。右下に打つ言っているのは運転手さん。つまり一番前の席でシャッターを切った。
 ケロアンへ進む途中で国道3号線脇のマグレブ風喫茶店でトイレ休憩(15時15分)。ここでミントティーを飲む。0.5ディナール。といっても、ミントは入っていない。値段も少し高いような気がする。55円くらいだが。だいたい中国茶を煮立てて砂糖を思いっきり入れたものをミントティーと呼ぶようで、ミントが入っているのは高級なものだけのようだ。そしてそれらはエスプレッソより少し多いくらいの量しか提供されないものを、ゆっくりと時間をかけて飲む。それがこちらのしきたりのようだ。そうした単位でまた時間が流れていっているといっても良いかもしれない。
 言い忘れたが我々の今日の席は2番目、つまり旅行者の占める席では一番先頭なので、添乗員氏とガイド氏の二人の会話が良くはいる。例のイヤホンの話だが、後発の28日出発のツーアが持ち込むという話だ。そうすれば年末には届くだろうという。
 そこから約1時間あまりで、何となく大きな街に入ったなぁと思ったらそこがケロアンだった。16時50分、城壁の片隅にあるカスバというホテルにはいる。まだ日は明るかった。

○ホテル
 ホテルの設備はそう悪いものではない。
 5時過ぎに部屋に入れたので、夕食の7時半まで時間があったので、また明日の朝の出発が比較的早いので、荷物の整理をして則の方の旅行鞄を整理して荷造りをして、その後午睡に入った。(上左の写真はホテルの鍵。持つところがマグレブでよく見かけるファティマの手になっているのが一興だ。)
 夕食はビュッフェスタイル。19時30分から。ここで、添乗員氏から例のイヤホーンの不手際のお詫びとして、ドリンクサービスということで、今日のワイン代はただ。同行の他の人たちも、結構ワインを飲んでいた。それまでの食事でワインを飲んでいた人たちは殆どいなかったから、皆結構しっかり者である。
 ここは大きなホテルで、沢山の観光客でレストランは満員だった。さてビュッフェスタイルはよい。みんなと同調して、早めに食べることなく、ゆっくり飲みながら食事が出来る。のんびり食事をして、風呂に入り、21時40分に就寝。


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