第七日目:2002年12月31日(火)


○起床&朝食&出発
 今日は則は少し早く、3時15分頃目を覚ました。それから日記を書いて、5時まで過ごす。順が起きた5時から残り1つの荷造りやら、何やらで6時になったので、朝食を食べに行く。今日はもっとも質素な、本当にパンとゆで卵とコーヒーの世界。だいたい普段は朝食など摂らない生活なのだから、これで?って文句は言えた義理はない。パン4枚に、バターとジャムをつけて食べて退散した。
 実は今日も相当に過密なスケジュールになっている。朝はなんと7時45分の出発だ。今日も一昨日同様4駆の世界。我々のグループは偶然にも同じ車だ。同じ車というのは、フロントガラスの割れ方で、それとわかる。スーツケースの他に、いらない小物類や水をバスに積み込み身軽になって出発。標高がある程度高いので、まだ日が昇った直後で、丁度日の出の中の出発になる。車の陰が長くなる。

○ベルベルの村の遠望(1回目:08時23分ころ・2回目:08時30分から08時45分まで)
 なんと言ってもこの地方は、ベルベル人のすみかが多い。1時間ほど走ったところで小休止。そこは少しさらに登った峠付近で、盆地に広がる畑や家々を眺望できる。停まったところはやはりベルベルの昔洞窟住居だったところらしく、それをうまく利用して喫茶店を開いていた。

○スターウオーズの世界再び(クサール・ハタダ:9時55分から10時20分まで)
 そこから少し走ったところで、観光バスやランクルなどが沢山停まっているところに我々も停車。そこはスターウオーズの最初の頃の作品で、主人公ルークの生家として描かれたところだ。ここでは珍しく英語での説明が大きくかかれている。映画のゆかりの土地を訪れようとするのは東西同じ現象か。
 したがって、欧米の観光客がここにはわんさかと訪れていた。小さな駐車場は入るのにも出るのにも大混乱だ。元々この施設はベルベル人の居住地ではなく、彼らが倉庫として使っていたところで、一時期はホテルとしても営業していたとか。映画に利用したくらいだから保存状態はきわめてよく、二階建て三階建ての場合には上の方まで上ることが出来た。

○シェニニ 11時00分から11時40分
 そこを出ると山からランクルは駆け下り、少し走るとまたダートコースを走る。また舗装道路に戻ってしばらく行くと急にまたにぎやかな場所に出た。ここはまたベルベル人の住居等があったところで、山の上から見ると、住居や倉庫群が山の上の方にあって、そして昼間の活動場所である畑は谷間に広がっているのがよくわかった。右の写真で言うと、下の方つまり山の手の側にあるのがベルベルの旧居後で、その無効の大和の間に広がる盆地では今も彼らが耕作をしている畑がある。つまり昼間は山を下りて耕作をし、夜は危険なので山の上の住居に戻ってくるという生活だ。このような生活の知恵おかげで、ベルベル人は今日なお子孫を保っている訳だ。

○タタウィンで見学と昼食(見学:12時00分から12時20分・昼食:12時30分から13時25分(ビュッフェスタイル、赤ワイン12D))
 そこからまたしばらくアップダウンを繰り返して、やがて大きな街の出た。そこがタタウィン。ここで市場等を見学したが、見学時間が20分ということで、そう楽しむわけにはいかなかったが、にぎわいはこれまでの街よりはいくらか静かだったが、香辛料を売る店が多かったのが印象的。
 そこから少し道を引き返す形で、昼食場所のホテルへ。プールサイドのオープンレストランで食事をした。ここも欧米系の人が多かった。

○クサール・オウレッド・スルタン(13時52分から14時10分まで)
 昼食を採ってからは一路ジェルバ島を目指すことになる。
 途中で、クサール・オウレッド・スルタンという場所で写真タイム。ここは倉庫群の保存状態が良いところで、みんなで一回目の記念写真を撮った。
 ここもやはり倉庫群であって、写真でもわかるようにドアの上にはいくつかの棒が刺さっている。これを利用して滑車のようにして荷物の上げ下げを行っていたようだ。そのあたりは、やはりイラストの方がよくわかる。
 ここで二人で三脚で写真をとろうとして風で三脚が倒れそうになって、あわてて支えようとしてその瞬間にシャッターがおりたのがこの写真だ。偶然の写真だが、カメラが壊れなくてよかったのと、二人のあわて振りがわかるというものだ。(汗)





○メディネ 15時10分から15時30分
 そこから1時間ほどで、同じような場所で、観光客相手に店を開いている場所にてトイレ休憩。ここで小さな銅製?の皿を買う。 1枚1D。自分の名前と、そのアラビア文字を彫刻してくれた。この手のスタイルの店はチュニジア中いたるところにあった。

○フェリー 16時00分から16時20分
 さらに30分ほどで、地中海が見えてきたと思ったら、そこが港。ここでランクルとはお別れ。もうフェリーは閉まっていたのだが、我々の到着を待っていたのだろうか、のせてくれて、直後に出航。20分で対岸のジェルバ島へ。島に着くとまたバスが待っていた。先回りしていたわけだ。そこから40分で、定刻のほぼ17時にホテル着。ジェルバ島の地中海側は一大リゾート地になっており、欧米人を沢山迎えている。我々もそのエリアの中にあるホテルへ泊まる。リゾートホテルだけのことはある施設。

○夕食(20時00分から)
 (21時00分前菜 21時15分スープ 21時45分魚 22時05分シャーベット 22時40分肉料理 23時10分デザート盛り合わせ、赤ワイン23.5D)
 今日はガラディナー(特別な日?)ということで、どうもこのあたりの状況の把握が旨くいっていなかったようだ。だいたい新年を迎えるときには、ホテルは二つのタイプに分けられるだろう。第一は宿泊客とその日のための夕食のコース料理を頼んだ人々とで盛大に新年を迎えるための祝杯を挙げるタイプ、第二はともかく早い時間帯に宿泊客は食事を終わらせるようにしてその後に特別な夕食&祝宴を設けるタイプ。後者だと観光客は早々と追い出されることとなる。今回はモロッコもそうだったからその可能性は高いだろうと思っていたが、第一のタイプで、添乗員氏は8時に集合をかけたが、これは甘かった。食事は結局9時に始まり深夜を超えなければ終わらなかった。我々は事態がわかっていたのでいらいらしなかったが、他の人たちはどうだっただろう。前に座ったご夫婦は怒って途中で帰ってしまった。我々は23時30分には退席した。生活のリズムは守る方がよい。特に旅行の時は。24時のイベントを待っていると大変なことになるからだ。今ひとつ書いておきたいのは、食事が最低だったことだ。正確には我々の口には合わなかった。現地の人たちは結構食べていたようだ。
 帰り際にフロントで、日の出の時間を聞く。ソレイユという言葉が出てこなくて、日の出の時間を聞くのに苦労した。こっちの単語だけの英語が通じないのは仕方がないともいえるが、なんとかとか身振り手振りで、結果的に7時20分くらいとの回答を得た。

○就寝 24時00分


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