1日目(航空会社はアシアナASIANA航空)8月19日
 
  集合時間:8月19日(火)11:30
  集合場所:新東京国際空港第2旅客ターミナルビル
      3階出発ロビー 全日空【B】カウンター63番 
      日通旅行『マインド』受付
 
自宅(0800)(0820)高円寺・朝食を摂る(0900)(0920)新宿(0940)成田エクスプレス2号車3C・D(1059)(1130集合)成田・軽い昼食を摂る(1330)−OZ101便・2時間15分・機種747C・機内食→(1545)ソウル(1730・1330)−OZ573便・7時間30分・機内食→(0100・2100)タシケント タシケント泊(0300・2300)
 
 さあ、出発。どんな国か全く分からず、不安を抱えての旅立ちの朝。自宅で朝食を摂ってから、新宿へ。
9:40発の成田エクスプレスは満員だったが、成田空港内部はガラガラ。時間帯のせいか。11:20に受付を済ませてから2階のマクドナルドで軽いおやつ。このマクドナルドだけは成田相場ではなく普通のマクドナルドと同じなので、貧乏人の我々には頼もしい見方だ。
 今日一緒に行くのは、添乗員の他に26人もいるとのこと。思ったより大勢だ。変な人がいなければいいがと思いながら飛行機へ。ここでは勝手に乗り込むのではなく席番ごとの乗り込みになるので呼ばれるまで待つことになる。こんなの初めてだ。座席は、49のAとB。窓際の2人席だ。ラッキー。
 10分遅れの1:40に離陸。2:30頃から、飲み物と食事のサービスが始まる。ここで初めてスチュワーデスの日本語を聞く。日本人スチュワーデスが乗っているということだったが、どうやらいないみたい。韓国語でペラペラしゃべるばかりで全く分からないが、これが外国へ行くということなのだ。食事はおいしくて満足。ただ、マックで食べてきたので全部は食べきれなかった。
 献立:ステーキ(固め)、ご飯、パン、そば、生野菜
 
 3:45に予定通り韓国金浦空港に到着。ここで乗り継ぐわけだが、トランジット(乗り換え者)用の専用出口があってスムーズに流れて待合所に着いた。ここのトイレは日本と同じ、トイレットペーパーもペーパータオルも備え付けでとてもきれいだった。
 
 5:30の予定がやや遅れて離陸。7:00少し前に食事。
 献立A:ビーフ焼き肉風、ご飯、パン、クッキー、ケーキ、エビサラダ
 献立B:白身魚煮、ピラフ、餅、ニンニク風味サラダ、キムチ風味漬け物、そば
 
さて、これからは現地の時間に合わせることにする。4時間遅れだ。
 タシケント空港に近づく。地上が見えてきた。夜になっていたが、明かりが一面に見える。想像以上の大都会だ。地上がはっきり見えてきた。車が走っている・・・
 8:40にタシケント着陸。想像していたより以上に古くさい空港だ。入国手続き(パスポート・コントロール)のための列に並んだが、これが時間がかかる。その場所も壊れたタイルや切れた電灯等、とてもこれが首都国際空港とは思えない。
 トイレも相当の覚悟をして入らなければならないような代物。そんなところで延々待たされる。やっと手続きが終わったと思ったら、荷物が出てくるまでがまた大変。どうしてこうも時間がかかるのかしらん。しかし、それさえ我慢すればあとの手続きはごく簡単。税関もこちらの書類を黙って受け取ってペタンと判を押しておしまい。持ち金や持ち物の数などは勿論、ここはどう書いたらいいのだろうとさんざん悩んだのが馬鹿らしいほどだ。
 税関はX線検査があり、そこを通過して無事ウズベクの人となる。出口はこれまた狭く汚く、迎えの人々でごった返している。バスがやってきた。なんと、車体にはインツーリストと書かれている。ソビエト時代の名のこりなのだろうか?バスはかなりおんぼろだ。ところどころリクライニングが壊れていて、座席に寄りかかるとそのまま倒れてしまうのだ。これで旅を続けるのだろうか?不安がよぎる。
 
 街は以外に明るい。トロリーや連接バスが見られた。
 ホテルに着いてからも、なかなかチェックインが進まない。いると思われていた日本語ガイドがいるわけではなかったので、片言の英語が通じる現地旅行者の人と添乗員が英語でやりとりし、それをロシア語でフロントに伝えるというやり方だからなおまだるっこしい。人々が座り込んでいる隙に両替をする。1$78.12スム位だった。40$両替したが、これが今回の旅行の最初で最後の両替だった。ちなみに円安も進行していたが、帰路のタシケント空港のレートは1$82スム位だった。もっともこれは公式レートの話。旅行中最初の頃不思議だったのは100スムの場合だいたい1$で相手は喜んで受け取っていたことだ。その後分かったのだが、だいたい市中の1$の相場は約2倍の140スム程度とのことだ。ホテルの両替の女性に交換の証拠をよこせと言ったにもかかわらずくれなかったから、あの40$はどうなったか分からない。
 
 すべて終わってやっとホテルに入ったのが11時過ぎ。12時にベッドに入る。
 今日の宿 ホテルウズベキスタン:外見は近代的でとてもきれい。部屋の広さは8畳くらいでベッド、冷蔵庫が置いてある。ベッドは簡易ベッドのようでおまけに布団は薄くて寂しい限り。冷蔵庫の中は空だが、ミネラル水を冷やすのに使用。ウズベキスタンの冷蔵庫はこれ以降皆このスタイルだった。洗面所は狭くて汚く、風呂は半畳くらいのバスタブがあるにはあるがとても入る気にはならず、シャワーだけにする。トイレも薄汚れていておまけに水がよく流れない。パキスタンのときは、流すための水入れが備えてあったのだが、そういうものもないのでシャワーで代用する。バスタオル、タオル、石鹸、コップが備え付けてある。足拭きはないので、タオルでこれまた代用。
 
 冷蔵庫はGOLDSTAR(韓国製)、TVはSHIVAKIとあった。電話機はポーランド製で、モジュラージャックはない。風呂は湯は出た。また鍵はいわゆる2重回しの鍵で、時計回りに2回回すとしまり、反対に回すと開く。私達は鍵屋のおばさんといっていた、ジェジュールナヤといわれる女の人が各階にいて、フロントではなくその人に鍵を預け、また帰ってくればその人からもらう。まぁソビエト時代は旅行者の監視役も務めていたのだろう。
○HOTEL UZBEKISTAN(ホテル ウズベキスタン)
 1967年に建てられ町の中心地にあり空港より10キロ、鉄道の駅より3キロの所にある。ベット数は910、その他3つのレストラン(800席)、カフェ、チャイハナ、プール、サウナなどがあります。17階には日本食レストランがあり、ラーメン、カレーライス、親子ドンブリなどが外貨で食べられる。