2日目  8月20日(水)
 
 タシケント市内見学  ○バラクハン・メドレセ  ○ナポイ劇場
 午後  サマルカンドへバスで移動     
 サマルカンド  ○歓迎夕食会 (民族舞踊ショー付)
         サマルカンド泊   HOTEL AFROSIAB(ホテル アフロシアブ)

 興奮しているのか、ベッドが固いせいか5:30に目が覚める。6時から散歩に出る。まず、ホテル前の中央広場(以前は革命広場といったが、ソ連から独立してから名前が変わった)に行った。チムールの像を中心に造られたゆったりした公園だ。記念撮影をしたあと、ウズベキスタン唯一の地下鉄というものを見に行く。
 駅へ着くまでの地下の通路には、パンやたばこなどの物売りが簡単な台を置いて商売している。照明もあまりない様な所だが、結構お客が立ち止まっている。駅に着いて中に入ってみる。切符売り場に行ってコインを買い、日本の改札機のような所にそれを入れてホームに出るようになっている。1区間は10スムだった。写真を撮ろうとしたら駅の女性に怒られてしまった。そういえば朝から働いている人を何人も見かけるが、みんな女性だなあ。
 ホテルへ戻って朝食。朝食はバイキング。種類はあまり多くはないが、味は濃いめで十分に食べられるものばかり。口に合わないのではないかと心配だったが、ホッとした。果物はあまり甘みがなかった。テーブルもナイフもフォークもあまりきれいでなく不安もあったが、それも文化と割り切ることにした。
 食事のあと、また散歩に出る。タクシーの運転手らしい男が「ヘーイ、ジャポネ?タクシー、ブハラ、サマルカンド」と話しかけられたが、振り切って歩き続ける。通勤の人がだいぶ増えてきた。人々の服装は開放的で、女性はとてもおしゃれ。ノースリーブの人もいるし鮮やかなピンクのワンピース、黒のシックなドレス、イヤリングなど。これがイスラムの国?と思えるほどだ。

 9:00から、第1日目の観光に出かける予定。その前にと、ホテル入り口近くのトイレに行ってびっくり。トイレの紙が、ざら紙を固くしたような紙なのだ。部屋の紙はそれなりの物だったので、何だトイレットペーパーなんて必要なかったと思ったのだが、こういうことかと納得した。これならトイレには流せないはずだ。使用済みの紙は、便器の横に置いてあるゴミ箱に捨てるのだそうだ。生理のときはどうするのだろうと余計な心配もした。そんなことには拘らないのかな。
 さて、出発はというと10:00になってしまった。全くこの国は時間というものがどうなっているのだろう。あまりにも長い時間バス付近でうろうろしていたので、退屈しのぎに地図を買った。100スム也。
 始めにナポイ劇場に行く。ここはとても立派な建物で、敗戦直後北朝鮮付近でソ連に強行連行された日本人が造った物だそうだ。今の建物はその当時のままの物では無いそうだが、それでも壁面に『日本の人々によって造られた』と刻んである。
 その捕虜だが、約2000人が連行されて、生きて帰国できた人は、僅かに98人だそうだ(この数字はどうもあやしい気がする)。ただ、虐待されたというよりも殆どが食事が合わなかったためということのようだ。内装が非常に素晴らしく、ウズベキスタンの6つの地区にちなんで6つの部屋がある。
 しかもそのそれぞれが、サマルカンドは青の花、ブハラは幾何学模様、ヒバはその2つを取り入れた物というようにその地方の特色を彫刻として施している。シャンデリアからドアまで行き届いている様は本当に見応えがある。ここは入ってまで見るツアーは少ないようだが、入ってみなければ価値は分からないところだ。
 次に国立博物館へ行った。絨毯と陶器を陳列してある。これもそれぞれの地方によって特色があるのだそうだ。絨毯はさすがに素晴らしかったが、見ているのも疲れた。
 次に行った公園では、結婚ラッシュ。7組まで数えて止めた。公園中央にある大きい像(誰だかわからない)の前で記念撮影をするらしく、2人きりで公園の中を歩いてくるのだが、どこから来てどこへ行くのかさっぱり分からない。花嫁は判で押したように白のウエディングドレス。花婿は白か黒のタキシード。最近ではもう民族衣装は着ないそうだ。それでも次々に我々の格好の撮影対象となった。そしてすべてのカップルにはビデオやさんがついて回る。式の一部始終を撮るのだろうか?ビデオをかくも撮るということは、各家庭である程度ビデオが普及しているためか。カメラはみなちょっと古めのナショナルのマックロードムービーだ。他の結婚式風景でもやはりナショナルのこの機械で、後でバザールに行ったとき、私達のビデオを見てナショナル!と叫んだから、どうやらナショナルはビデオということのようだ。
 どうしてこんなに多いのかというと、こちらの結婚式というのは、すべての披露宴をやり終えるまでに4日間かかるそうだ。それで最後の披露宴が土曜日になるようにすると水曜日の結婚式(結婚の登記の日)となるのだそうだ。当然ながらすごくお金がかかる。その為、兄弟がいるときには同時に式を挙げるケースが増えているとのことだ。
 他に2.3見学してホテルへ戻った。夕方初めてイスラムスタイルの女性を見た。ソ連時代、宗教が制限されていたことへの影響があるのだろう。
 昼食は、またまた遅れて2:00。なのに、テーブルの上にある食べ物の種類があまりにも少ないので、「仕方ない、パンで生き延びるか」と、固いのを我慢してガツガツ食べていたら、後から後から料理が出てきて参った。こちらでは夜よりも昼の食事を重視すると聞いていたのに、うっかりだ。食事の後、売店で本(400スム)とカレンダー(200スム)と順の帽子(260スム)を買った。けちな私達にしてみれば、珍しく初っぱなから買い物だ。
 一休みして3:30にホテルを出て、一路サマルカンドへ向かう。5時間30分位の長旅ということだ。ここで日本語をしゃべるガイドという若者(アンドレイ)が来たが、学生アルバイトらしく、日本語が殆どだめというのもさることながら、このコースの所へ行くのも初めてということだ。これでガイドなど務まるのだろうか。
 2時間も走ると田園風景が広がる。3〜11月は雨が降らないというのに何故?と思ったが、用水路が所々に見えて、緑を支えているようだ。ただ、この用水も、あまりにも多くの水を川から取り入れすぎていて、下流の方ではいろいろと問題を引き起こしているとのこと、日本もそうだが、水にまつわる争いは絶えないようだ。更にしばらく行くとのんびりと草をほおばる牛や馬を見かけるようになった。肉は羊が殆どと聞いていたが、その羊はなかなか目にしない。
 気温がどんどん上がり暑くてたまらなくなった。なのに、バスのクーラーは全く用をなしていない。何が快適な旅だ、と文句が口をつく。半袖のTシャツ1枚でこの有様。クーラー慣れした体にはつらい。水を飲み続けて2Lすべて飲んでしまった。あまりの暑さに、路上の果物売りの所でバスを止めて、メロンとスイカを食べた。まさに天の恵み、冷えてはいないが甘くて水分が豊富で、生き返った気分。旅行中ここで食べたメロン(まくわ瓜のような感じ)はついぞお目にかからなかった。また少し行って、今度はトイレ休憩。そのトイレの、まあ何ともすごいこと。昔の日本のぼっとんトイレと同じ作りで金隠しのない様な物。要するに板の真ん中に穴が空いているだけの物。おまけにドアがないので丸見え。これも文化、と我慢して使ったが、その強烈な臭いがいつまでも体から抜けなかった。
 日が落ちる頃になって、「チムールの門」という自然の要塞のような所で写真休憩。ここは素晴らしいから是非写真を撮れというので、それに従ったが、確かに夕日が山肌を赤く染めてきれいだった。ここはウズベキスタンを流れる2つの大河の内の一つが作る地峡帯で、ここからチムールに追われた蒙古の軍隊が敗走したことから名付けられているらしい。後1時間ほどで着くという頃になって、やっとクーラーも利いてきて、心地よくなったのでウトウト。
 8時近くなって、街に入る。あたりは薄暗くなっているのに、暑さしのぎか結構多くの人が散歩に出ている。と、そのとき、我々のバスが停車。何事かと思ったら、ガイー(交通警察)の職務質問とのこと。あー、暇つぶしに捕まったか、ついてないと思ったが、仕方ない、ただひたすら待つ。昔ならインツーリストのバスなどそんなこと無かったろうにこれも時代のせいか。やっとのことでホテル着。
 新しいと聞いていたが、我々が慣れ親しんだホテルに会えた。
 今日と明日の宿 ホテル アフロシアブ:やはりベッドと冷蔵庫が置いてある。ベッドはセミダブルでゆったり。冷蔵庫は空だが、使えるので、水を冷やすのに使用。
 洗面所も広く、バスタブは大きくて足を伸ばして入れる。バスタオル、タオル、石鹸、コップもきちんとそろっているが、やはり足拭きはない。タオルは漂白していないのだろう黄ばみがかっているし、柔軟剤などあろうはずもないから、ゴワゴワした感じ。が、使えないことはない。ゆっくり休む。