5日目 8月23日(土)
 
 ブハラ市内  ○旧市街 ○カリアンの塔  ○キャラバン・サライ ○リャビハウス
          ブハラ泊 HOTEL BUKHORO NEW(ブホロニュー) 昨日と同じ
 
 5日目の朝、やはり疲れている。6時まで寝てしまった。則裕は夜暑くて寝苦しかったらしいが、私はグッスリ。それでもだるい。それを振り払うために元気に外へ散歩に出る。肌寒い朝だ。それでも昼間はやはり猛暑になるのだろうな。
 9時ちょっと過ぎにホテルを出てリャビハウズへ行く。ハウズというのは池という意味だそうで、この周りをメドレセやモスクがとり囲んでいる。池の畔のチャハイナでは何人もの老人がのんびりとお茶を飲んでいた。ここでもこうしているのは男だけだ。
 そこから歩いて沢山のメドレセを見た。それぞれに歴史があるようで、造りも違っているとのことだが、私の目からは皆同じように見えてしまう。きっと京都の寺巡りをする外人さんも同じようだろうなと思った。メドレセやモスク、本来はイスラム教のためのものだが、さすがにソ連に長い間占領されていたために、その殆どが宗教的シンボルと言うよりは土産物屋など現実的なものになっている。使える部屋はすべて有効に使うという感じだ。その何店かではチャイの無料サービスもしている。売らんかなの努力をするようになってきているようだ。それにしても、当地の人はチャイをよく飲むようだ。
 この近くは、シルクロードの交流点になっているようで、両替商の交差点とか、帽子屋、宝石商のそれなどそれぞれの売場があった。これらの交差点はアーチ状の屋根がつけられ快適に買い物ができるようになっている。また、ブハラ特有の刃物商品売場には独特のはさみを売っている店では、順子がかなり欲しがったが、決断が付かず後回しにして結局は買わなかった。また、商人がコットン・コットン、わた・わた、といって白い綿状のものを売っていたが、綿菓子のようなものだそうだ。
 午前最後の見物はお待ちかねの「カリヤンの塔」。中央アジア1といだけあってカメラのフレームに入りきれない。この高さから罪人を突き落としたというのだから、ひとたまりもなかったろう。それを見ていた観客も多数いたろうと、当時を想像するだけでゾッとする。
 ちょっと昼休みをしてから2時に午後の部出発。オールドタウンへ向かう。まず、サマーパレス(シュトライサム?)という所へ行く。別名、夏の城とか。王の離宮なのだそうだ。あまり大きくはなかったが、中にはシルクロードで伝わったという絨毯や中国、日本(有田焼)の陶器などが展示してあった。19世紀の建物と聞いただけで則裕は見る気がなくなったと言って、外へ出てしまった。そこへ丁度結婚式のグループにがやってきた。結婚式の多い国だなと思ったが、今日は土曜日だもの、当たり前だ。2組一緒に歩いていたし、花嫁の衣装が同じだったから、あれは姉妹なのかもしれない。先にも書いたがこの国では、費用節約のために兄弟姉妹が一緒に式を挙げることが多いのだそうだから。
 この後ハーレムに行く。男はうらやましいとニヤニヤして入っていったが、石の床に絨毯が敷いてあるだけのものという簡単な作りの部屋だった。

 次にアルクへ行く。冬の宮殿との紹介もあった。ここは大きな城壁に囲まれたところだ。門を入り罪人が入れられた地下牢を見ながら坂を上ると新型のベランダ付オープンモスクがあった。戴冠式を行うという広場へも行ったが、ま、どうということはない、単なる広場だ。ここもソ連時代に破壊されたので、今修復中。周りの建物がきちんと整備されればそれなりの見応えが出てくるのかもしれない。外側から城壁を見ている方がカッコイイ。

 最後にイスマルサマニ廟へと行った。これは素晴らしかった。同じ形の煉瓦を積み重ねて造ったモスクだが、その積み方によってきれいな模様を造っている。空の青さに映えて本当にきれいだった。
 ホテルに着くとすぐにまた、民族舞踊を見に行った。カリヤンの塔の近くのメドレセの庭でやるもので、一人10$だった。今回は、期待通りの踊りのオンパレードというもので、合間にファッションショーをやっていた。待望のベリーダンス風のものもあったが、人によっては物足りないと言うことだった。それにしても、みんなきれいな女性だった。
 夕食はピラフが主。おいしくて全部食べた。この国の食べ物は口に合わないと、死ぬような覚悟できたのだが、パキスタンよりは口にあってよく食べる。が、則裕はダメなようだ。同じ料理の連続という上に、ガーリック味が結構強いからのようだ。私はパンがあれば何とでもなるが、則裕はそれもダメのようだ。このパンはがちがちに固い。現地ガイドの学生のアンドレイに柔らかいパンと固いパンはどちらがおいしいかと訊ねたら、固いパンと答えた。それが文化なのだろう。