8日目 8月26日(火)
 
 午前 自由散策
 午後  ○バザール見学
 ウルゲンチ(1640)−HY-186便→(1800)タシケント 空港にて夕食
 タシケント(2210)−OZ574便・6時間20分→(0830)ソウル
 
☆バザール・・・シルクロードの観光でバザールを抜かすことはできない。昔に比べ、建物は新しくなっているが、人々の熱気がムンムンしている。食料品、日用品のほか、ありとあらゆるものが売られている。
 
 とうとうウズベキスタン最後の日。いつもよりゆっくり起きて(6:50)のんびりと仕度をする。日本語放送を聞くと、エジプトで北朝鮮の大使が行方不明になったとのこと、日本が野球でキューバに勝ったとのこと、ユニバーシアードで日本男子体操陣が沢山の金メダルをとったことなどが放送されていた。あまり大きな変化はなかったようだ。
 
 朝の自由時間、どうしようもないと思っていたら、スーパーマーケットに連れていってくれるというのでついていった。初めの所は休みだったが、昨日のバザールの隣が開いていた。そこは、何でもありという所で、店頭には車も置いてあった。こちらでみんなが着ている派手派手な布を買おうと思ったが、実際に着ることも無かろうと思って止めた。値段的は1m100スムくらいから500スムまで、一般的なのは250〜350スムほど。それを値切るのだから、実際はもっと安くなる。そこから出て隣のバザールに行くと布屋がたくさん並んでいたので、何かあるかと見て歩いたが、日本の方がいろいろとよいのがあるなと思うとこれまた買う気になれなかった。それでも一つだけいいのがあって、それにしようと思って裏を見たら、made in japan と書いてあってがっかりした。危ない危ない。1時間ほどブラブラしてホテルへ戻った。
 
 1時にホテルを出て空港へ行く。タシケントよりもきれいな空港だが、トイレは相変わらず汚い。2つしかないのに1つはドアも閉まらない。全くとも思うが、それも今日までのこと。さて、飛行機はというと、これはきれい。空港は撮影禁止と聞いていたが、シャッターを押しまくった。100人くらい乗れそうな大きさだ。サービスはよいと聞いているので、期待しよう。
 
 2時にはもう飛行機の中。座席番号は、あってないようなもので、早い者順に好きな所に座る。全員が座った頃にはもう飲み物が出てきた。オイオイ、まだ飛び立つ前だぞと思いながら、大急ぎで流し込んだ。するとさっと後片づけをして、予定より早い2:20には動き出した。予定より早いなんて、この国にもこんな事があるのかとびっくりした。シートベルトのサインが消えると、今度は軽食のサービス。飲み物にはワインのような(それよりも強かった)酒を飲んだ。聞きしにまさるサービスだ。半酔いの状態で外を見ると一面の砂漠。いやあすごい。地球はこんな無駄を持っているのだなあ。それから約1時間も砂漠の上を飛んでいくと、やっと川が見え、緑が見え、人家が見え、都会らしきところが見えるようになっていった。タシケントに着いたのが3:30。
 
 これでやっと日本へ帰れる、と思ったが、それは大変な間違いだった。現地担当が迎えに来て、ホテルで食事かもという話だったが、待合室で待たされること1時間あまり。やっと担当者が来たと思ったら、ここで「ランチボックス」の食事だという。「うっそー」と思ったが仕方ない。この国には裏切られっ放しだから。これで最後だろうと半ばあきらめて食事場所に行くと、これが何と密室のような所。それでなくても暑いのに、こんな所に閉じこめられては溜まらないとみんなでブーイングをした結果、別の場所に移されたが大差なかった。そこで開いた「ランチボックス」の中身がまたひどい。固いパン半分、リンゴ、トマト、期限の過ぎたクラッカー1箱、パサパサのサンドイッチ、1L入りのオレンジジュース。みんな殆ど食べずに、国内線の涼しい待合室へ移動した。
 
 添乗員は手続きに手間取っているのかいっこうに姿を見せないので、我々2人は彼を捜しに国際線のロビーに行くと、全員の荷物を番して立っていた。彼にも為すすべがないようだ。何もすることなくただじっと待つのみ。
 4時間ほど時間をつぶしてやっと出国審査。これもおしゃべりをしたり、遊んだりしている係員によってイライラしながら待たされた。中に入っても何ら施設があるわけでもないので、手持ちぶさたにぼんやりしているだけ。 
  もうこの頃になると、疲れて怒りも感じなくなった。10時過ぎに離陸。長い1日だった。




9日目 8月27日(水)
 
 ソウル(1015)−OZ102便→(1210)東京成田
 
 6時間ほどの空の旅を終えて、現地時間9時近くにソウル着。ここでまた2時間ほどの待ちがある。が、ここはさすがにオリンピックを開いただけのことはあり、見違えるほど設備も整っていて清潔。やっと安心した。が、この頃から則裕のお腹に異変が現れる。このときはさほど深刻には考えなかったのだが、やがて大きな騒動につながっていくのだ。 待合いには、沢山のお土産屋が並び、目の保養をしている内に出発時刻になった。帰りの飛行機では日本語もよく聞かれ、とても過ごしやすかった。帰りで気持ちがホッとしていることやウズベキと比べると何でもよく思えるということがあるのかもしれないが。こうして快適な空の旅を終えて、無事成田着。
 帰ってきたぞー。
 這うような感じで家にたどり着く。やっぱり家はいい。グッスリ眠れるぞ。
 
 が、そうはいかなかった。則裕のお腹が超特急で、おまけに吐き気も催して、もうたまらんと、ついに救急車のお世話になったのだ。しかし、外国帰りということで、あちこちの病院で診療拒否に合い、1時間ほどしてやっと都立駒込病院で診察してもらえることになった。即入院。この後、則裕の入院は1週間にも及ぶことになった。
 終わりよければ総てよしと言うが、今回はなあ。