8月24日(土) 晴  ハノイ→ハーロン湾 〔ハーロン泊〕

健康チェック:順最高血圧121(則129)・最低血圧84(83)・脈拍66(60)・体温35.5(36.2)

<朝>
 朝5時に目覚ましをかけていたが、結局順さんが起きたのは5時25分だった。外では、もうサッカーをして遊んでいる少年たちがいた。6時少し前にロビー階へ。朝食を食べる。今回もビュッフェスタイルなので助かる。食事後、少し周辺を歩いた。もうスクールバスが子供を集めているのには驚いたが、バイクがどんどん数を増やしてきていて、ひどい騒音だったので、早々に部屋へ戻る。上から見ていると(今回は11階なので、見晴らしがいい)アリンコがせわしく動き回っているように見えて面白かった。それも飽きてきたので出発までベッドに横になっていると、突然則がガバッと飛び起きた。8時にバゲージダウンだったのをすっかり忘れていたのだ。余裕は後10分。あわてて荷造りをして何とか間に合わせた。今度はゆっくり出来ると思っていたら、ミニバーの検査とか、ベッドメーキングの人とかが来てなかなか落ち着けなかった。
 そんななんだで9時出発。今日も一番後ろの石。55人乗りのバスに22人だからかなり余裕がある。

<ハノイ市内観光>
 さて、今日の最初の見学は9時15分〜9時40分までホーチミン廟。こんなに時間があっても、我々がホーチミンに会ったのはほんの1分ほど。後は行列をしての順番待ちの時間。毎日すごい人なのだそうだが、今日は土曜日ということでなおさら人が多いそうだ。小学生らしい団体もいて、則は盛んに話しかけられていた。ところでホーチミンの遺体は、本物なのだそうだ。内臓を取り出して、当時のソ連の最新技術で残したのだそうだが、まるで生きているように顔の色つやも良かった。その回りを直立不動の兵隊さんが4人で守っていた。厳重なのはそこだけではなく、そこへたどり着く我々も、持ち物はいっさいダメで厳しいチェックを受けた。
 外へ出てから、10時まで前庭で撮影タイム。ホーチミン廟向が国会議事堂だったが、後から知ったので写真を撮らずじまい。またカメラを持ってこなかった人たちがいて、ちょっとしたトラブル。以降結構ちぐはぐが目立つ旅となった。
 このホーチミン廟の裏手一体が周遊コースになっていて、正面から見て右手奥に出て左手奥の駐車場に戻ってくるように設定されている。ホーチミン廟の裏には大きな池がある。魚などいて、ホーチミン翁が存命の頃はここで魚にえさを与えていたと言うところで、その一隅にホーチミンの旧居がある。ホーチミン翁が実際この家に住んでいたかどうかは怪しいが(なぜならこの家は漆で全体が塗られている)往事の姿が忍べるようになっている、高床式の、おそらくはベトナム伝統建築様式の建物だ。ホーチミン旧居にもあったが、その後の道すがらはしばらくはザボンの林で、季節的なのかどうかはわからないが大きなザボンがなっていた。道なりに進むと一柱寺境内に出る。境内と書いたが寺域が大きいわけではなく、小さな池の端に堂が立っているだけだ。そして今やその名称になっている柱も立派なコンクリート製のものになっていて、往事の微妙なバランスの上に立っていたであろう姿は想像で忍ぶしかない。そのかわり、堂の上には登れ、信仰心厚い人はここで線香と供物を供して祈りを捧げていた。順さんも一応は信心深い様子を見せて、手ぶらなから拝んでいた。(一柱寺見学:10時15分〜10時23分)
 寺を辞して進むと右手に大きな建物が見えてくる。ホーチミン博物館ということだった。一柱寺に行く道すがらも見えており、体育館のようなものかと思っていた。博物館と反対の方に進むと駐車場に戻る。ホーチミン廟には先ほどにもまして長い行列が出来ていた。
 そこからバスで少し走って、10時35分〜11時頃まで文廟見学。ここは孔子廟といえばよいだろう。中国の制度を模倣した科挙の制度がベトナムにもかつてあって、その合格者82名の石碑が建ち並ぶことでも知られている。約300年間に3年に一回試験があったということだから、合格者は1回一名だったのだろうか。

 11時20分〜11時40分はトイレ休憩。この後の旧市街散策にはトイレがないということで店にはいる。宝石とかジャックフルーツのドライフルーツあるいはコブラの入った酒などがあった。そこから少し走ってホアンキエム湖の畔に止まる。ここから旧市街の散策。観光客のコースになっているのだろう、どっと物売りが近づいてきた。旧市街に進むにつれ、物売りはかなりしつこかったけれども離れていった。一番しつこかったのは、女の子の物売りで、この子は結構貧しいように思えた。買わないと言ったら怒ったように離れていった。靴磨きの少年もいた。皆、一様に商売熱心だ。特に順さんには、ベトナムの帽子を連ねたミニチュア売りのおばさんがずっとつきまとっていて、バスに乗ってもまだ粘っていた。我々が見た場所は服飾関係の店が多い場所で、アオザイや糸などを売る店がいくつもいくつも軒を重ねてあった。この散策で、ようやくオートバイの隙間をぬって道を渡る方法を身につけた。(11時50分〜12時30分)

<昼食:「南京」北部ベトナム料理>
 旧市街から少し走って、13時00分から13時55分まで昼食。今日は北部ベトナム料理ということだったが、おおむね日本人に会う味付けにしているのだろう、抵抗なく味わうことが出来た。海沿いの国であり、エビとかイカとかが入っている料理が殆どで、これらが苦手な人が二人ほどいて、気の毒でもあった。ここには、大学で学んだという日本語をよくしゃべる人が二人ほどいて、サービスをしてくれたが、日本で言えば大学院を出たくらいだろうにとも思った。ここでタイガービールとハノイビールを飲む。また店の人が強い酒(55種類の薬味の入った38度のもの)を勧めてくれた。

<バッチャン村>
 ハノイから紅川という、文字通り赤茶に濁った川の堤防の上をバスは進み、まだハノイ市内にあたるというバッチャン村に立ち寄る。ここで14時30分から15時30分なでの1時間見学。バッチャン村は陶器の町だ。おびただしい数の陶器を製造して売る店が建ち並ぶ。JCBマークや日本語の美術品などという文字も目についた。則は順さんに陶器は買わないように厳命されているので、ここでは見学だけにした。が、道路が工事中でほこりっぽくゆっくり見学するという雰囲気ではなかった。また、あまりの暑さに、早々に切り上げて待ち合わせの店で座って時間をつぶした。面白かったのは、陶器の工場付属の店のトイレの手洗いの陶器はINAXだった。

<ベトナム戦争の傷跡>
 そこから一路ハロン湾に向かう。途中、17時10分〜17時45分、シルクの店で休憩をする。ここは従業員はすべて障害を持った人々だ。アオザイなども売ってはいたが、商品の中心は刺繍で、刺繍による絵を制作していた。制作している人たちはほぼ全員青年男女で、100人はいるのではないかという数の人々を抱える授産施設でもあった。ここいらあたりは、人口も多くベトナム戦争当時多くの兵隊を出したところなのだそうだ。もちろんベトナム戦争は1975年にサイゴン解放で終わりを迎えているから、彼らが兵隊であるわけはない。いったい、それにしてもこれだけの若人たちがどうしてここにいるのか不思議であった。バスに再び乗り、現地ガイドの説明でそれがわかった。ベトちゃんドクちゃんで代表される、帰還兵の子供たちだったのだ。米軍が掃討作戦のために撒いた枯れ葉剤の影響が生んだ現実だった。かかる現実を見ていると、9月11日もやがて歴史的には全く違う評価の日になるのかとも思った。正義とは何なのかと改めて突きつけられたような気がした。ちなみにドクちゃんはもう成人して働いているそうだ。

<夕食:ホテルにて ベトナム風中華料理>
 そこからまたバスは約1時間半かけて19時20分にホテル着。既に日が暮れており、夜道を結構なスピードでとばすバスには冷や冷やした。時間が時間だけに、ホテル付属のレストランに直行。中華料理と言うことだったが、我々が慣れ親しんでいるそれとは少し様子が変わっていた。量的には多すぎて、だいぶ残してしまった。

<ヘリテージハロン ホテル 507号室>
 20時40分頃部屋に入る。21時30分頃就寝。今日のホテルはバスタブ無し。聞いてないよー。

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