8月27日(火)晴のち曇り  ホイアン→ランコー島→フエ  〔フエ泊〕

健康チェック:順最高血圧122(則135)・最低血圧84(96)・脈拍69(65)・体温36.0(36.1)

<朝>
 4時30分起床。則はもうごそごそ始めた。朝やや早めとはいえ、そんなに急ぐこともないのだけれども、習慣は恐ろしい。5時20分頃則は日の出を見に海の方へ行く。あいにくと雲がかかっていたが、途中順さんを呼びに戻ってまた来てみると既に海の上だった。しばし撮影タイムをしてから、部屋に戻り荷物の整理。荷物を外に出してから、6時30分朝食を食べる。

 8時出発。バスはやや北上する形で、最後の世界遺産の地となる古都フエを目指す。日本で言えば京都のような所だ。則は絶対右側の座席の方が景色がいいと言って乗り込んだが、きれいな海岸線はすぐに終わってしまった。道の両側は砂地。といって砂浜ではなく、人家が建ち並んでいる。たださすがに高い建物は無理なのか、殆どが平屋だった。風が吹いたら砂が入って大変だろうなあと思ったり、水を撒いている人がいてあの水はどこから持ってくるのだろうなどと思いながら車窓風景を楽しんだ。所々には野菜畑らしいのも見られた。また、お金持ちの家(多分)は庭先をコンクリートで固めていた。途中学校が見えたが、きちんと机に座って、先生らしい人が巡視しているのが見えた。8時だというのにもう勉強が始まっている。ベトナムの朝は早い。

<大理石店>
 それから8時25分から8時45分まで大理石の店を見学する。前日2号車が立ち寄っていた場所だ。ぶつからないように微妙に調整をしてるらしい。
 このあたりは大理石の店が多い。大理石は、硬い石だが、切り出してから空気にあまりふれない約1ヶ月位の間は比較的加工がし易いのだそうだ。アメリカ向けに造られた荷物がいくつか有り、外人はそういう買い物をするのだなあ。我々は小さな指輪とか、小物のローソク立てとかそういったものを、たむろして買っていた。後に立ち寄った店で同じようなものを見つけた人たちは、「高い、ぼられた」と怒っていた。が、元々安いものだし、それほどのこともあるまいにと思った。

<ハイヴァン峠>
 バスは9時10分頃ダナン中心部通過。ハノイまで行く長距離バスにすれ違ったが、屋根に荷物や自転車などが乗っていた。ハノイ・ホーチミン間を走っていて、3日間かかるそうだ。ここはさすがに大きな街でオートバイの数も半端じゃなかった。それが少なくなったと思った9時30分頃ハイヴァン峠を登りはじめた。
 結構な急カーブと上り坂だが、対向車も勿論我々のバスも遠慮というものを知らないで飛ばしまくる。ただ、所々工事中でやむを得ず止められた。ここも、鉄道の方はトンネルを掘る計画があるので、観光道路として活躍するようになるらしい。それほど、ここからの景観はすばらしかった。目の下にずっと海岸線が見えるのだが、海の色も空の色も真っ青に澄んでいて、白い海岸とよくマッチしていた。
 9時50分に頂上です、という声が聞かれたので、さあ下りてゆっくり撮影タイム、と思ったら、止まることなく進んでしまってちょっとがっかり。坂を下り始めると、こちらも急坂急カーブ、海岸線が見えるのは同じだが、平地は、砂の荒れた土地の様子から緑豊かな豊穣な土地へと変わり、見渡す限りたっぷりと穂をつけた稲が実っていた。
 この国の道路はいたるところで工事をしている。働き口のない人々の就労対策もあるのではないだろうか。今回も片側交互通行の場所にさしかかって、しばし停車を余儀なくされた。この国の人はたくましい。そういう場所をしっかりと商売にしている人たちがいる。バスが止まっていると、空調が効くので窓を開けられるのは我々後部座席だけだが、そこにしっかりと寄ってきて果物を買えと言う。塩をかけて食べる柑橘系のものらしい。もちろん、地元の長距離バス(空調などは勿論ない)相手の商売だろうが、素晴らしいことだ。

<ランコウ島>
 バスは峠をこうして駆け下りて麓の道に出た。しばらく行って、海岸線に近いところで、10時10分ランコウ島撮影タイム。ここもきれいだった。まあ綺麗だからわざわざ車を止めるのだろうが。ということは、たくましい物売りもいるということになる。

 10時15分になって島の休憩所へ到着。10時45分まで自由行動となったので、早速海岸へ。ここの砂は粒が小さくてしまっているのだろう、歩いても砂にめり込むということはなく歩くことが出来た。ここにも物売りがいた。が、あんまり商売にならないと思ったのかすぐに諦めて屋根の下へ戻っていった。かように太陽の日差しは強烈なものがある。しかし、それでもしばし足をとどめさせるほどにここの砂も海の水も綺麗だった。

<昼食:ベトナム風お好み焼き カウラウ>
 11時50分から13時10分昼食。今日はベトナム風お好み焼きの日。2号車とここで昼食会場が一緒になり、大混乱だ。前のご婦人はジュースを頼んだのにまだ来ないとか、ビールが冷えていないとか(だいたい日本人くらいビールが冷えているのが好きな人種はいないと言うことだが)、そしてさらには料理の食べ方が不明なものが多くて、いちいち聞いたり、隣の席をのぞき込んだりというかんじだった。それでも、くだんのベトナム風お好み焼きも、出てきたものにクルミソースのようなものをかけてレモングラスを載せてそれにさらにクルミソースのようなものをかけてたべたのだけれども、美味しかった。今回の料理が美味しいことは何度か書いたが、品数が多くて一つ一つを堪能すると言うことはかなわない場合が多かったが、こうしたやや残すくらいの分量が出てくるというのは中国の影響だろうか。
 いろいろあったけれども美味しかったし、お店の人も親切だったし、満足して終わった。

<フーン川クルーズ>
 それから13時15分から13時55分フーン川クルーズを楽しんだ。順さんは船が好きだ。日本でも、最上川から四万十川まで、湖や海岸線の遊覧船などには必ずといってもいいほど乗る。この川の両岸には見るべきものはほとんどなかったが、ゆったりしたときの流れが気分もゆったりさせる。この船は家族経営で、生活もこの中でしているようで家族全員がおり、洗濯物を干すなど生活の様子も伺えた。ガイドがトイレもありますと強調していたが、これなら当たり前のことだ。3歳くらいだろうか、女の子がいて、ぐずっていたので持ち合わせた指人形で遊んでみたが、あまり反応を示さなかったのでちょっとがっかりした。それでもしばらくするとそれを父親のところに持っていって遊んでいたので少し満足。

<フエ市内見学>
 13時55分から14時35分ティエンムー寺見学。船が着くとそこはもうティエンムー寺。階段を見上げると7層の塔が高くそびえ立つ。鐘突き動や本堂などもあって、きちんと寺の様相を整えていた。本堂の中には、3体の観音像?が置かれていた。その光背には光が当たっていて浮かび上がらせるようになっていた。扉の隙間から背伸びして覗いていたら、お坊さんが来て中に入れてくれた。そのあと少し庭を歩いたが、ジャックフルーツやプルメリアの花があった。やはり南国だ。ただ、スリランカに比べてちょっぴり小振りだった。
 14時50分から16時王宮見学。このころにはもう陽が高くて暑くてたまらない。歩く足取りも結ったりですぐに木陰に入って休む様になった。バスを降りて、少し歩くとお堀があった。やはり備えを堅牢にするためにはこのお堀というのは世界共通のものなのかもしれない。フラッグポールを遠目に見て、午門を抜け、まずはそこへ登って全体を見ることとなる。真正面には大和殿があった。9月2日は独立祭とのことで旗の飾りなどが用意されていた。その裏庭には、これから宴会でも行うのか、テーブルがきれいに並べられていた。

<サイゴン モーリン 148号室>
 16時15分にホテルへ着いた。中庭を囲むようにして造られている。階段を上がってすぐの部屋だ。バスタブつきで、ここも一通り必要なものがそろっている。バスジェルもあったので、則に入ってもらってパチリ。

<夕食:王と王妃になって宮廷料理>
 18時30分から。さて本日の夕食は、このホテルで王宮時代の衣装を着て古典音楽を聞きながら宮廷料理を食べるというものだ。一つの売り物になっているらしく、「地球の歩き方」にも写真が載っていた。ただし、王と王妃という組み合わせもあると知って嫌な予感がしていたのだが、案の定、我が家がそれをすることになった。何故いつもこういうのを仰せつかるのだろうと則のぼやくことぼやくこと。衣装に着替えて、仰々しくホテルロビーを闊歩して会場へ行く。外人観光客が物珍しそうに見ていたので、更に恥ずかしくなった。我々は貴賓席ということで、そう、結構披露宴と同じ並び方で、みんなを見渡せる席だ。しかもお付きの者がいて、大きなうちわで常に扇いでくれる。勿論ビールも料理も全て盛りつけてくれるという最高の扱いだ。が、恥ずかしいやら疲れるやらで、早々に衣装を脱がせてもらった。

 そんなことで20時近くまで夕食の時間がかかってしまい、寝たのは21時30分頃だった。

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