2005年12月26日(月)

ホテル(0800)(0910)旧南北イエメン国境(0915)(0935)アルグウェイミ 温泉(1005)(1135)ホテル(1230)昼食(1330)ホテル(1500)(1515)アイダルースモスク(1525)(1535)アデンタンク(1610)(1630)アデン港(1700)(1710)ゴールデン・モアビーチ(1745)(1800)ホテル

5.1 旧南北イエメン国境 9:10〜9:15 四駆3号車

 ホテルから1時間ほど走ると旧南北イエメン国境で停車。国境を挟んで二つの丘の上に当時の見張り台が残されていたが、ほんの小さなものだ。どうしてこんな所が国境なのだろうと思えるほど、地域的にも境目らしき物は見られなかった。でも多分、当時は鉄条網などで仕切られていたのだろうな。統一されて、一応平和の形を整えてからまだ10年ちょっとしか経っていない。(・・・のちにこの不安定な現実はわれわれの前に爪を立てることになる。)

5.2 足浴 9:35〜10:05

 青空トイレを済ませた後、温泉へ行く。青空温泉。プールのようになっていて、水着を着てはいる。女性用は仕切られていて別の所にあるのだが、足だけなら、と男性用で済ますことにした。
 まず則さんが入る。2つあるプールの一つに入ると熱くて入れないといってすぐに足を出してしまった。なるほどこちらに入っている人はいない。代わりにもう一つの方では泳いだりしているので、そちらへ行ってみるとぬるくてゆっくりと入っていられた。他の人はただ見ているだけで入ろうとしないので、次に順さんが無謀にも熱い方へ挑戦した。確かに始めは熱くて大変だったが、少し我慢していると徐々に慣れてきて入っていることができるようになった。この方が足湯としては効果があるんじゃないかな。つられてもう一人の女性が入ってきた。体が気持ちよく温まった。

5.3 ラクダの群れ

 アデンへ向かう途中でラクダが散歩していたので、ちょっと写真タイムを取った。足下には、こんな砂漠の中なのに花が咲いていた。

5.4 ホテル 11:35

 まずはホテルへ。少し休憩をした。ただ、時間がそうわるわけでもなく、ただぼーっと過ごした。といっても、荷物が何もないのでやることがないといった方が正解か。

5.5 昼食 12:30〜13:30

 歩いて近くの地元レストランへ行った。が、道路を横断するので大変だ。車はどんどん飛ばしてくるし、信号や横断歩道はないし。車の間隙を縫って走るようにしてようやく渡った。これも、ガイドさんと一緒だからできることで、我々だけではずっと立ちっぱなしになってしまうだろう。
 メニューはサラダ、ピラフ、オクラの煮物、魚フライ。ノンアルコールビールも注文。
 我々は明日ここから飛行機で次の目的地へ行くことになるが、四駆はこれからそこまで飛ばしていくそうだ。ということでしばしドライバーさん達と別れることになる。我が家はこれまでにためておいた水を運んでいってもらうことにした。(われわれが乗ってきた3号車のドライバーはだめだと言ったが、1号車のわれわれが大工の頭領と呼んでいた親方に、頼み込んでそうしてもらった。)水は砂漠横断の時のために溜め込んである、そのためだった。
 以後の移動は、マイクロバスになる。

5.6 モスク 15:15〜15:25

 ホテルへ戻ってまたひと休みをして、15時から午後の観光に出かけた。
 始めにモスクへ行った。建物自体はそう大きくはないが、造りは他と同じ。中にはスンニ派を広めたという人の一族の墓がいくつか並べられている部屋と、礼拝室があった。ちょうど数人の人がお祈りをしていたので、入ることは許されなかったが、写真だけ撮らせてもらった。

5.7 アデン・タンク  15:35〜16:10

 山の斜面を利用して8つの貯水槽を造り、上が満杯になると下に流れるという仕組みを造っているなかなか考えた施設だ。しかも造られたのが紀元前1世紀というから驚きだ。シバの女王の水瓶といわれるそうだ。やはり権力を握る人はそれなりの知恵が身に付いているようだ。
 と感心しつつも階段を上がるのは大変だった。

5.8 ランボーの家  16:20

 突然車は予定外のランボーの家を目指す。一部の客からの「どこにあるんですか?」という問い合わせに応える形でのことだ。中に入るには料金がかかるが、自費負担になるとのこと。我が家は興味がないので入る気はなかったが、その時間どうしようと思っていた矢先、結局、今は閉鎖されていて入ることはできませんとのことで写真を撮っただけで通過。
 行き当たりばったりの、今回の旅行にしばしば見られた典型的な事柄。振り回される方も、溜まったものではない。

5.9 アデン港 16:30〜17:00

 アデン港を見下ろすところで写真タイムを取ってから港へ行った。今日は軍関係の船がないので、写真をとてもよいとのことだった。が、何の変哲もない港なので、写真を撮るというよりは店を覗いて地図を買ったりしてのんびりと時間をつぶした。そんなことをしていたら、突然私の髪の毛を引っ張って逃げて行った男の子がいた。どこでも子供は同じらしい。

5.10 夕日 17:10〜17:45

 ゴールデン・モア・ビーチというところで夕日を見ることになった。17時20分頃という説明だったが、まだ日は高かったので、しばらくそこで待つことにした。
 浜辺では数人の子が水遊びをしていた。仲よく遊んでいる子もいれば時には喧嘩もあり、どこの国でも子供は同じだと思った。しっかり、いざりのまねをして小銭を稼ぎに来る子供もいた。足の裏が砂に汚れていて、すぐに順さんに見つかった。
 一つ驚いたのは、その中に、紙おむつをしている子がいたことだ。この貧しい国にもこんな使い捨ての文化があるとは意外だった。きっと高級家庭の子なのだろう。
 徐々に日が落ちてくる頃、アベックが我々前に来て同じように夕日を楽しむらしく立ち止まった。しっかりと手をつなぎ寄り添う姿は、格好の被写体となって我々を喜ばせた。
 ただ残念なことに夕日は海に落ちるのではなく小高い山に落ちていったしまったので、最後に水面に広がる日の輝きを見ることはできなかった。

5.11 夕食 19:00〜

 こちらの夕食は、毎回ビュッフェ。嫌いなスタイルではないのだが、毎回同じような食事ばかりで正直飽きる。その点、昼食は地元のレストランなので、それなりに違う物が出てきて面白い。味付けもそちらの方が好評だ。どうしてもホテルは万人向けにならざるをえないので、どこでも味わえる物になっているからだろう。で、量的にも昼より少なくなる。ただ、ここのホテルはビールが飲めたのが嬉しい。ハイネケンの缶で650イエメンリアル。約450円。この地の物価にしてはすこぶる高いが、飲める嬉しさが勝る。
 恒例となってしまった洗濯は、明日、もしかしたらスーツケースが戻ってくるかも知れないという気持ちと、明日の朝が早いということのために無し。

5.12 スーツケース届かず<4>

 朝「スーツケースの件は、ガイドさんの電話待ちです。はっきりしたらまたお知らせします。」
 昼「9個のうち、8個の所在が確認できました。1個がどなたのかはわかりません。8個は、明日の飛行機でムカッラに届きます。
 何故名前が確認できないのかわからない。スーツケースにはきちんと記名されているのだから、それでわかるはず。それによってこの日の夕刻の対応(過ごし方)が変わってくる訳なのだから、きちんとして欲しいと思うが、今回の添乗員と現地会社はこの最後の詰めが甘い
 ただ、1個というので、我が家の分は最低でも1個は戻ってくるので一応一安心。といっても、今までのことがあるから、現物を見ないまでは気が許せない。
 この頃になると、周りもストレスがたまってきていて、寄ると触ると悪口になる。

5.13 スーツケースと再会?

 今日も配られた明日の予定表に、バゲージダウンの時間がしっかりと記入されていた。誰も教えてあげなかったようだ。我が家も腹が立ったがそのまま放置していたから。
 そしてロビーに張り出された明日の行程表、何と”空港で8個のスーツケースと再会!!”と書かれている。添乗員としては、<してやったり>という誇らしげな気持ちなのかも知れないが、残りの一人の気持ちは全く無視している。というより、その一人が誰なのかわからない状態でこのような書き方をするのは、我々の気持ちを逆なでしているということに全く思いよらないらしい。第一、その一人が判明していたらこんな書き方はできないだろう。
 「何回も添乗していますが、ロストバゲージということは今まで一度もありませんでした。」という経験のなさからくる物なのか、はたまた人間性の問題なのか? しかし経験がないと言うこととロストバゲージの対応の不手際は、全く別種の問題であり、旅行会社の責は免れない。楽しい旅を支えるという努力は、惜しんではならない。

5.14 事件発覚<1>

 (海外安全ホームページより)
 12月21日(現地時間)、イエメン中部マアリブ州で外国人観光客2人が武装した部族民の集団によって拉致された旨報じられています。
 数日後に解放されたということだが、先の行程に変更が出るかも知れないと知らされる。情報が入ってくるのが遅い。だいたいサナア入りしたときに現地旅行社はきちんと把握していたはずだ。外務省の勧告を無視していくのだから、それくらいの情報は入手しておくべきだ。あぁ!われわれは大変な旅行社を選んでしまったものだ。

★ホテル アデン(チューリップ ホテル 旧名?)