2005年12月31日(土)

ホテル(0810)(1225)ハジャラ(1310)(1330)昼食(1425)(1700)ホテル

10.1 朝

 6時半から朝食というので、ぴったりに行ってみたが、まだ開いてなかった。5分過ぎても開かないのでフロントで確かめると時間は合っている。また戻ってみるとようやく開いた。が、中ではまだ掃除機をかけていて、全く客が来るとは考えていなかったようだ。ジュースなど飲み物の用意もされていなかった。しばらくウロウロしているとようやく準備ができた。
 オムレツを焼いてもらおうと思って頼んだら、係のおじさんが調理場に行って戻ってこないので、道具を使わせてもらって自分たちで作った。則さんなど、チーズがなかったので他の所から持ってきて入れていた。まさに自分の味。

10.2 四駆 5号車 8:10

 本当は6号車に乗るはずだったのだが、昨日の長距離のハードな運転で、6号車が事故を起こし、今日は来られないというので急遽、5号車に変更となった。(結果的に、6号車の運転手に二度と会うことはなかった。たいしたことではないと、添乗員や現地ガイドは言っていたが、その割にはドライバーたちは心配していたようだ。真実はわからずじまいだが、このときに注意を喚起しておけば違った結果になったのかもしれない大事件がその後起きる。)
 右は当初の座席表。毎回だが、1号車はガイドと添乗員が乗る。自分たちが先に書いてあるのも毎度のこと。われわれは気持ちの上でも、大事にしてもらえていない客と言うことになる。朝の出発時点まで事故のことは添乗員はしらさらされていなかったようで、6号車のために10分ほどロビーで待たされる。つまりは事故のことも正確には知らされていなかったらしい。でも、「3人で1台」と募集時には書いてあった。これを守らせられないのは、変だ。昼からでも代車をチャーターするよう主張すべきだった。それができるほどの力量ではないことは先刻承知のことだが、窮屈を強いられる乗客はトホホだ。
 かなり走ることになるが、5号車の運転手は陽気なだけではなくて運転技術もある。幼い子がいるそうで、昨日は久しぶりに家に帰ってその子供と会えたのが嬉しいと言っていた。家に戻ったのは明け方ということであまり寝ていないのだそうだ。ものすごいハードだったのだなあと改めて思い知る。彼はまた、それはカートの力だとも言っていた。全体的にこの日はドライバーはやけにハイ状態であったことは確かだ。口数の少なかった4号車も、だいぶこの日は陽気だった。

10.3 トイレタイム 9:45〜1005

 峠を一つ越えて小さな村についた。そこでトイレ休憩とお茶。トイレはあまりきれいではなかったが、その前がどうやらお祈りをする場所らしく、小さな女の子がきてそのやり方を見せてくれた。運転手さん達はカートを大量に仕入れていた。5号車の人が買ったのは、新芽のカートで1000イエメンリアルもするそうだ。そんなに高い物を買っているのかと思うとビックリする。これを3回分に小分けしていた。
 写真は道ばたのカートや。

10.4 コーヒーの木 10:45〜10:55

 初めてコーヒーの実という物を見た。といってもまだ若い実ですぐに割って中を見ることができた。どこからか子供が寄ってきて、中の一人が「スーラ」と言われたので写真を撮ったら物を要求されたそうだ。断っていたら勝手にバッグからボールペンを取ったと言って大騒ぎになった。すぐに運転手が駆けつけて取り返してくれたので事なきを得たが、写真を撮るというのも気をつけないといけない。(でもこうした事件は今回の旅でこれ1回のみだった。)

10.5 四駆大苦戦 11:50

 マナハという町のレストランでトイレ休憩をした後、今日のメーン、ハジャラへ向かおうとしたが、町は大混雑で二進も三進も行かなくなってしまった。道の両側から店がせり出していて、車道が1車線しかないところに車が鉢合わせ状態になってしまったからだ。と、そこへ地元の男がやってきて道案内をするというのでそれに付いていったら、ものすごく細い道で、おまけに未舗装の急カーブ。スイッチバックのように前進後退を繰り返す場面もあった。が、何といつも我が道を行く4号車が後退をしないで前進あるのみで突き進むと、先の道へ出てしまった。それを見ていた我が5号車もそれに続く。が、3号車が大苦戦で、見ている方もハラハラドキドキの状態だった。何しろ道を外すと断崖から真っ逆さまという事になりかねないからだ。何人かが誘導に行って事なきを得たが、いつも陽気な運転手もさすがに真っ青な状態だった。その後みんなから盛んにからかわれていた。

10.6 ハジャラ 12:25〜1310

 この町の家も岩の上ぎりぎりまで建てている。全て石造り。上手に積み重ねて造ってある。そして窓の周りを白く色づけているのが何ともきれいだ。
 町に行くには、ただ一つの門をくぐって入らなければならない。これも防衛のためだ。この国は一つ一つの町が全て防衛ということを念頭に造られている。それだけ部族の争いが激しかったようだ。それは一部で今も続いていて、今回の行程変更へとなったわけだ。
 長い階段を上って門をくぐり町へはいる。やはり道は狭く、坂道が続くので息が切れた。
 ここも一大観光地らしく、駐車場は他の団体の四駆で満杯状態だった。

10.7 マナハにて昼食 13:30〜14:25

 ハジャラへ行く前に立ち寄ったレストランで昼食となった。今までのテーブル式の所と違って、床に絨毯を敷いてある部屋で、靴を脱いで入るようになっていた。その中央に料理が並べられる。我々はそれを挟んで座っているので、目の前に並べられた料理を適当にとって食べるようになる。この形式が本来のイエメンの食卓のスタイルなのであろうか。今回はイエメンの家庭料理「サルタ」という物もあるということだったが、どれがそうなのかはよくわからなかった。本来石鍋料理と聞いているが、それらしきものを拡大掲示した。
 その後、部屋を隣に移して、ジャンビアダンスを見せられた。今までにも運転手さん達の自然発生的な物を見ていたのでことさら新しい感じはしなかったが、男の子が可愛かった。(右のジャンビアンスの写真をクリックすると動画が見られます。)

10.8 サボテンの実 15:00頃

 途中ピンクのきれいな花があったので、ちょっと写真タイム。時折見かけていたので、他の人も興味を引かれていたらしい。それを察してのストップ。
 ボトルツリーと説明してくれたが、とてもきれいな花だった。これとは別に、桜のように花をたくさんつけている木も見られたし、梅のような白い花も見られた。他にも所によってはブーゲンビリアもあった。
 また、サボテンに実がなっていたので、それを試食してみた。酸っぱくてとても食べられたものではなかったが、平気な顔をしている人もいたので、順さんが取ったのははずれだったのかも知れない。
 17時にホテルへ戻った。

10.9 ガラディナー 21:30〜

 あ今日は大晦日ということで、特別のパーティーがある。初めは8時半からということだったが、遅れに遅れてこの時間になった。ロビーで待っている間、アルコール禁止のこの国でもアルコールのサービスがあったので、我々はワインとビールを何杯か所望した。
 食事は10時近くになってようやく始まった。すごいメニューですよ、と添乗員さんは言っていたが、ビュッフェスタイルのそれは、たいしたこと無かった。デザートもありきたり。ということで、お腹が満腹になったらすぐに部屋に戻った。
 聞くとこの後、ベリーダンスなども出て相当盛り上がったらしい。
 われわれの前に添乗員が座ったが、どうもガラパティーは初めての口ぶりだった。脳天気に、少し遅れるくらいの夕食と思っていた彼女にとっては、1月1日朝の予定を考慮しなければ行けないことなど、もちろん頭にはなかった。熟年ツアーとは全く名ばかりだ。われわれはそこはわかっていたので、一番最初ではなかったが、早めに退席をしたが・・・

★ホテル シェラトン・サナーホテル 339号室  連泊