2006年1月1日(日) 元旦 |
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ホテル(0745)(0840)ロックパレス(1005)(1119)トゥーラ(1200)(1220)昼食(1310)(1350)コーカバン(1430)徒歩(1517)シバーム(1530)(16 11.1 今日の四駆 3号車昨日の運転手達の技術が朝から誰が3号車に乗るかと話題になっていたが、バッチリ我が家に当たった。昨日に引き続き今日も運転手が遅刻してきて出発が遅れた。というより見切り発車をして途中で遅れた運転手と合流したという有様だ。さて、3号車の運転手、いつもは陽気なのに今日は朝から何かわからないが不機嫌だった。運転も乱暴で、ギアチェンジもスムーズにできないので、乗っていても心中穏やかではなかった。この不安が後で的中してしまうことになるとは・・・。 |
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遠くにロックパレスが見える所で写真タイム。 |
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11.3 ロックパレス 8:40〜10:05文字通り岩山の上の宮殿。岩を上手に利用して造っているというより、どうしてこんな所に造ったんだろうと思うのが先に立った。これも防衛のためなのだろう。常駐し![]() ![]() 中を見学することになったが、やはり狭い階段を上っていくことになる。その階段の途中で、大発見。今年、順さんが子供向けの年賀状に使った写真があったのだ。順さんが気に入って使ったのだが、まさかここでお目にかかれるとは、ある種の感激だ。 さて、ロックパレスは観光に慣れているので各部屋に説明板があったので、わかりやすかった。当時もガードは固く、見張り番の部屋もあったが、今も係員が大きな鍵を持ってあちこちに鍵がかけられている。 ここは展示物などがあるわけではなく、建物の内部を楽しむというよ ![]() そこから5分ほどまた車で走って、丘の上からこの建物を含む風景を一望した。 ところで、ロックパレスを見学するために降りた直後、見学時間が45分、50分嫌1時間とめまぐるしく変わった。添乗員とガイドとの意見調整ができていなかったからだ。それでまた無駄な時間を費やした。到着前にいくらでも車の中で調整ができたはず。そのやりとりを聞かされる方のみにもなってもらいたい。 |
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11.4 四駆の事故 11:00頃(デジカメのタイムでは10時56分)3号車の運転手は相変わらず不機嫌で、クラクションを鳴らし続け、何![]() 大丈夫かな、と思った矢先、あっという間に女性をはねとばしていた。駐車している車を追い越そうとしたところにその車の蔭から女性が出てきたのだ。 女性の姿が見えて危ないと思った瞬間に女性の姿はなかった。少し走って車は止まり、運転手は真っ青な顔をして車から降りて現場へ戻っていった。フロントガラスには大きくひびが入り、ドアミラーは完全に壊れていた。ただ、フロントガラスが飛び散らなかっ ![]() 近くの人々が集まってきて大声で怒鳴り散らしたりしていた。5号車の運転手がきて、すぐに車を降りろというのでその指示に従い、とりあえず5号車に乗せてもらって移動した。 後続車の人は女性が倒れるところがよく見えたそうで、女性は痙攣を繰り返し意識がないような状態だったそうだ。 この事件については、またふれたいと思うが、重大な事故を起こしたにもかかわらず、 ![]() |
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11.5 トゥーラ 11:19〜12:00ここも石を積み重ねて造った家が印象的な町だ。まずは門をくぐって中に入る。丸く造られた門も勿論積み石で造られているのだが、とてもきれいな円柱となっている。ミナレットも![]() 水道管で水は各家に送られているそうだが、昔ながらの貯水池もあって、そこは今でも使われていて数人の女性が仕事をしている姿があった。 スークもあって、日本語で話しかけてきたり日本語を聞いてきたりと商売熱心だった。何かと思ったが、生憎と関心を引く物はなかったので、通過。 ![]() ![]() |
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11.6 昼食 12:20〜13:10![]() ![]() ところで事故があったために、われわれは別々の車に乗ることを余儀なくされた。これは昼食時を境に解消されるものと考えていたが、そのような考えは、われわれの添乗員には考えも及ばないことだったらしい。3人で一台に分乗とありながら、4人になり、かつ夫婦離ればなれで一日送るというのは、余りにも理不尽ではないか。 |
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11.7 コーカバン 13:50〜1430![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() まず車で町のはずれまで行く。といってもそれほど大きな町ではないのだが。そこは断崖になっていて、下にはシバームの町が広がっていた。その後町を散策したが、もうこの日くらいになると同じような光景になってくるので、ことさらの感激もなくなって、ただひたすら歩くことになっていた。 |
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11.8 下り道 14:30〜15:17![]() 道はかなり急な下りだった。しかも足下には小石や砂があって足下が悪く、滑らないように気をつけながら歩かなければならなかった。が、目を下に向ければシバムの町が、立ち止まって上を振り返るとコーカバンの町が見え、悪くはなかった。 かなりの急坂で足が疲れたので、途中平らなところで休憩をした。眼 ![]() ![]() その後また下り始めた。道路に出たのでこれで終わりかと思ったら、また道はずっと続いていた。 |
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ようやく終着点に着くとそこはもうシバムの中だった。すぐに子どもたちが寄ってきた。何かをいいながらしつこくまとわりついてきたが、適当にあしらった。ここはただ歩いて車の所へ行くだけだった。 |
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サナアに戻ってスーパーに行くことになった。が、市内はものすごい混雑で車は思うように走れない。行ったり来たりを繰り返しながらようやく着いたら、先に着いた6号車が焼きトウモロコシを買って食べていたのでお裾分けしてもらった。実が堅くてちょっと口には合わなかった。 |
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11.11 スーク 17:15〜18:10![]() ![]() そこからは旧市街が見回せてとてもきれいだった。スークの賑わいも人の流れもよくわかる。スーパーに行くとき ![]() 下へ降りると売店があったので、イエメンの説明書を買い込んだ。 一通りスークを回って歩いていたが、人にぶつかるばかりで面白くないので、ちょっと本道から外れた道に入り込んだ。そこはちょっとジャンキーな感じの道で、麻薬の巣窟のような店が並んでいた。外国の人が面白い店だと指さして教えてくれた所も覗いてみたが、怖い感じがして写真を撮ることはできなかった。 |
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11.12 サヨナラパーティー 19:30〜サ18時30分にホテルへ戻ってきて約1時間後に夕食。今日は最後の夕食ということで、シェラトンの中の中華料理店へ行った。あれ?ここは確か5月に事故を起こしたときに、お詫びの気持ちで変更したと書かれていた店ではないの。我々にはそんな話はなかったから、初めから予定されていた店なのか。ということは5月の事故のグループはどうだったんだろう。「今日は事故のお![]() さて、飲み物は我々にも出るということだったが、ケチな話して2人でハイネケン350ml1本だという。とりあえずそれをもらった。繰り返すが、それも旅行代金に入っているとは承知しているが、「さよならパーティーの時には弊社から飲み物一杯をサービスさせていただく」と繰り返し述べていた、そのサービ ![]() 料理は悪くなかった。久しぶりに慣れた味を満喫した。 |
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11.13 事件発覚<3>(海外安全ホームページより)(1)渡航者全般向けの注意事項 (ロ)イエメンの交通事情は劣悪で、交通事故が頻発しているため、特に渋滞の激しい首都サヌア市内については、乗車中はもとより道路を横断する際にも十分に注意してください。また、市郊外には街灯が設置されておらず、山岳地帯も多いことから、夜間の移動は避けてください。 1月1日(現地時間)、首都サヌアの東方約100キロメートルのマアリブ州スィルワーハ地区で、イタリア人旅行者人が武装した部族集団により誘拐される事件が発生しました。同集団は刑務所に収監されている仲間の釈放を求めて、イタリア人旅行者を人質に取っている模様です。 |
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★ホテル シェラトン・サナーホテル 339号室 連泊 |